ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

オーストリアのザルツブルグ市のホーエンザルツブルク城塞から旧市街地を一望しました

2014年04月11日 | 旅行
 オーストリアのザルツブルグ市の観光名所の一つであるミラベル宮殿庭園を出て、世界遺産に指定されている旧市街地に向かいました。

 花盛りのミラベル宮殿庭園を出て、ザルツァッハ川(Salzach)にかかっているマカルト小橋を渡ると、ユネスコの世界遺産に登録されている旧市街地が目の前に広がります。



 旧市街地は歴史的な街並みの通りの両側に、高級ブランド店やお土産屋、カフェやレストランが並ぶ“日本の門前町”のような雰囲気です(浅草の仲見世通りのような感じです)。観光客などが多数、街歩きを楽しんでいます。



 この喧噪(けんそう)あふれる街並みを抜けると、レジデンツ広場やモーツアルト広場などの歴史的な建築物に囲まれた地区に出ます。ここまで来ると観光客が意外と少なくなります。
 
 1614年に再建された大聖堂を真横からみた側面です。



 大聖堂内には、見事なパイプオルガンが二組、配置されていました。

 この大聖堂の正面を進むと、ホーエンザルツブルク城塞の下側に出ます。見上げるばかりの城塞は、ケーブルカーによって一気に上ります。

 ホーエンザルツブルク城塞の展望台から眼下に、ザルツァッハ川沿いにできた旧市街地や対岸のミラベル宮殿庭園などを一望できます。



 ホーエンザルツブルク城塞は、ローマ教皇派と神聖ローマ皇帝系のドイツ王派が覇権を争った時代に、司教の任命権をめぐって対立した1077年に建設されました。その後に1495年から1519年にかけて大規模に補強された名城です。中部欧州では現在、ほぼ完璧に保存された城塞だそうです。

 このホーエンザルツブルク城塞は一回も敵に占拠されたことがない歴史を持っていました。しかし、ナポレオン率いるフランスと同盟国が、イギリス、オーストリア、ロシア、プロイセンなどのヨーロッパ列強と戦った“ナポレオン戦争”中に1816年にフランス軍にまったく抵抗せずに、占領されたそうです。

 旧市街地の西北側の端にあるメンヒスベルグの丘に登ると、向かい側にホーエンザルツブルク城塞を望むことができます。



 小高い岩山の上に、ホーエンザルツブルク城塞が築かれていることがよく分かります。

 今回、ザルツブルグ市の観光では「ザルツブルグカード」を、ザルツブルグ市に到着後すぐに購入しました。



 このカードは、市内のバス・トロリーバスが乗り放題になる効力を持っています。今回は48時間有効なカードを購入しました。1枚34ユーロです(本当は24時間有効で十分だったようです)。

 この「ザルツブルグカード」はホーエンザルツブルク城塞のケーブルカーやモーツァルトの生家の入場、メンヒスベルグの丘に登るエレベーターなどが無料になる機能も持っています。これで一応、元を取ったと感じています。