自分探詩(じぶんさがし)& 山陰柴犬かれんとの日々
朝、散歩の途中で後ろを向いてい歩いてみる。
通り過ぎた風景が思い出のように広がる。
再び前を向いて歩く。
たくさんの風景に囲まれながら
見つめているのはほんの一部であることに
今更ながら気づく。
夕方、お墓にお参りし麻ガラで迎え火を焚く。
懐かしい人々が薄明かりの中に蘇る。
しばし去りし人々と過ごす。
たくさんの人々に支えながら
見つめているのはほんの一部であることに
今更ながらに気づく。
「そのことを忘れるな。」
朝、散歩の途中で出会い
夕べにはお墓で出会った女郎花が囁いた。
女郎花〈オミナエシ科〉
copyright Maoko Nakamura
そうですよね、都会では送り火・迎え火もままなりませんよね。
確かキュウリが馬で、なすが牛で、
キュウリに乗って早く帰ってきてもらって
牛に乗ってゆっくり帰ってもらうのですよね。
でも、特にそのようなものを作ったりはしません。
なすをさいの目に刻んだものとお米を合わせたものを
お墓にお供えします。
あとはあんこの団子や精進料理、そうめんなどを
仏前にお供えします。
なぜなら火事になるからだそうです。
スーパーにはお盆セットというのがあり、果物セットときゅうりとかなすの入ったセットを売っています。
でも高いのでやめて、父の好きだったものだけを並べました。
やはり、そちらの地方でもキュウリに割り箸をさし早く帰ってきてとか、なすにはゆっくりお帰りくださいという風習がありますか?