犬言葉 2014-05-18 18:03:49 | 「かれん」 犬は 車に乗ってしばらくすると 服の上から 私の腕を舐めはじめた。 それから 素手になっている 手の甲を舐めはじめた。 ペロペロと優しく。 河川敷で ボールで楽しく遊んだり 散歩をしたあとで。 舐めるという 言葉を持たない 私は 連れてきてくれた人に 「ありがとう」と言った。 タニウツギ〈スイカズラ科〉 リラックス中の「かれん」 copyright Maoko Nakamura « 朝 | トップ | 詩人とは1 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ほんとにわんちゃんと自由に話せたらどんなにいい... (kyabetu) 2014-05-19 15:46:39 ほんとにわんちゃんと自由に話せたらどんなにいいでしょうね。かれんちゃんは、それでも顔を見たら何を考えているのかわかっているのかもしれませんね。maokoさんが大好きなのですね。 返信する ★kyabetuさん (maoko) 2014-05-19 21:08:15 ★kyabetuさん話せたらどんな会話になるんでしょうね(笑)。かれんはよく私の方をちら見します。犬の特性でもあるようですが飼い主はよ~く観察されているみたいです(笑)。私のことが好きなのは感じますよ~。駄々をこねることもありますが一生懸命良い子になろうとしているようです。私がもう少しメリハリをつけて接しないといけないことを今日、ブリーダーさんから教わりました。 返信する 我が家では、メリハリどころかベタベタです(汗) (奥日野さん歩) 2014-05-20 17:08:22 我が家では、メリハリどころかベタベタです(汗)ところで、言葉についての「仮説」ですが・・・「知っていること」と「説明する(できる)こと」は、きっと違う。赤ん坊は、生き物として生きること、そして宇宙のことをすべて知っている。でも齢を重ね、言葉を身につけ、要領よく説明することに追われるようになるにつれ、常識の袋小路に追い込まれ、知っていたはずのことをどんどん忘れていく。生まれて何十年もすると、実は自分がアタマに中に蓄えている知識、すなわち説明できることなんて、全宇宙から見ればほんの微々たるもののはずなのに、「自分は何でも知っている」なんて顔をして偉そうにしたりする。別に説明できなくても、確かに知っていることの方がもっと大事なのにね。(「知っていること」から言葉を紡ぎ出すという意味で、詩人はインタープリターなんですね)犬たちも、きっと全てを知っているんでしょう。上手く説明できなくても。それでもいろんな調子で鳴いたり、舐めたりとコミュニケートしてくる、それをどう受け止めてやれるか、ヒトの方が試されているのかも知れません。・・・なんてこと、上手く説明するのはムズカシイですが。シツレイシマシタ・・・ 返信する ★奥日野さん歩さん (maoko) 2014-05-20 20:39:31 ★奥日野さん歩さん興味深いお話をありがとうございます。赤ちゃんは生まれてそのままにしておくと自分で這っておっぱいのところまで行っておっぱいを吸うそうですね。本当に何でも知っているのですね。人間は言葉を使って生きるということを複雑にし過ぎてしまったのかもしれませんね。私も犬の方から教わっている気がします。飼い主として育ててもらっているというか。いちばんいいのは互いがベストな関係を互いで作っていくということでしょうか?人類が長い時間をかけて祖先はオオカミだった動物からともに暮らす関係を作っていったように。それが犬を飼う楽しみのような気がします。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
かれんちゃんは、それでも顔を見たら何を考えているのかわかっているのかもしれませんね。
maokoさんが大好きなのですね。
話せたらどんな会話になるんでしょうね(笑)。
かれんはよく私の方をちら見します。
犬の特性でもあるようですが
飼い主はよ~く観察されているみたいです(笑)。
私のことが好きなのは感じますよ~。
駄々をこねることもありますが
一生懸命良い子になろうとしているようです。
私がもう少しメリハリをつけて接しないといけないことを
今日、ブリーダーさんから教わりました。
ところで、言葉についての「仮説」ですが・・・
「知っていること」と「説明する(できる)こと」は、きっと違う。
赤ん坊は、生き物として生きること、そして宇宙のことをすべて知っている。
でも齢を重ね、言葉を身につけ、要領よく説明することに追われるようになるにつれ、
常識の袋小路に追い込まれ、知っていたはずのことをどんどん忘れていく。
生まれて何十年もすると、実は自分がアタマに中に蓄えている知識、すなわち
説明できることなんて、全宇宙から見ればほんの微々たるもののはずなのに、
「自分は何でも知っている」なんて顔をして偉そうにしたりする。
別に説明できなくても、確かに知っていることの方がもっと大事なのにね。
(「知っていること」から言葉を紡ぎ出すという意味で、詩人はインタープリターなんですね)
犬たちも、きっと全てを知っているんでしょう。上手く説明できなくても。
それでもいろんな調子で鳴いたり、舐めたりとコミュニケートしてくる、
それをどう受け止めてやれるか、ヒトの方が試されているのかも知れません。
・・・なんてこと、上手く説明するのはムズカシイですが。シツレイシマシタ・・・
興味深いお話をありがとうございます。
赤ちゃんは生まれてそのままにしておくと
自分で這っておっぱいのところまで行って
おっぱいを吸うそうですね。
本当に何でも知っているのですね。
人間は言葉を使って生きるということを
複雑にし過ぎてしまったのかもしれませんね。
私も犬の方から教わっている気がします。
飼い主として育ててもらっているというか。
いちばんいいのは互いがベストな関係を
互いで作っていくということでしょうか?
人類が長い時間をかけて
祖先はオオカミだった動物から
ともに暮らす関係を作っていったように。
それが犬を飼う楽しみのような気がします。