最近,「楽しくわかる授業をしましょう」というような
お話をよく聞くようになった。
今日は,この言葉のうち,
「楽しい授業」について考察する。
思うに,
授業が楽しくては実はいけないのである。
まず,「楽しい」ということであるが,
世の中には,楽しいことと楽しくないことがある。
授業内容にも,興味深く楽しく学べることと,
どうしても楽しくは学べないことがある。
すなわち,苦しい修練を必要とする内容があるのである。
教師がことさらに「楽しい」授業をめざすと,
「楽しくない」授業の「楽しくなさ」が強調される。
生徒は,授業に「楽しさ」を求めるようになり,
楽しくないことは学ぼうとしなくなる。
生徒が授業を「楽しさ」で選ぶようになるのである。
「楽しさ」は,授業内容の価値の本質ではないため,
生徒は,世の中の価値の本質をさえ見誤るようになる。
このことが,知性の崩壊の危機をもたらすのである。
教師は,授業に「楽しさ」を求めることをやめるべきである。
生徒は,授業は本来楽しくないものであることを銘記すべきである。
そのあきらめがあってこそ,はじめて教師と生徒の
相互の人間性の織り成す
そこはかとない授業の面白さが成立することもあるのである。
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「楽しい授業」について考察する。
思うに,
授業が楽しくては実はいけないのである。
まず,「楽しい」ということであるが,
世の中には,楽しいことと楽しくないことがある。
授業内容にも,興味深く楽しく学べることと,
どうしても楽しくは学べないことがある。
すなわち,苦しい修練を必要とする内容があるのである。
教師がことさらに「楽しい」授業をめざすと,
「楽しくない」授業の「楽しくなさ」が強調される。
生徒は,授業に「楽しさ」を求めるようになり,
楽しくないことは学ぼうとしなくなる。
生徒が授業を「楽しさ」で選ぶようになるのである。
「楽しさ」は,授業内容の価値の本質ではないため,
生徒は,世の中の価値の本質をさえ見誤るようになる。
このことが,知性の崩壊の危機をもたらすのである。
教師は,授業に「楽しさ」を求めることをやめるべきである。
生徒は,授業は本来楽しくないものであることを銘記すべきである。
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