Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

「傘」に、4人も入れない

2014-08-16 00:30:00 | コラム
家に傘がない。

お洒落なやつがひとつあったはずだが・・・酔っぱらって、どこかに置いてきちゃったかな。

よほどの雨じゃないかぎり、傘は差さない。
よほどの雨だったとしても、ほれ、ゲリラ豪雨とかね、風が強かったりすると、かえって歩行の障害になるので、そのときも差さない。

基本、濡れて移動しますよと。

差すのは、たぶんスーツ着用の際とか、そんなときぐらいかね。
実際、お洒落なやつをどこかに置き忘れたであろう日も、珍しくスーツを着用していたんだっけか。

チャリ運転時は?

これは逆に、差してはいけない。
あまりにも差しているひとが多い+雨が降っていることから警官も呼び止めることはしないけれど、条例で罰則を定めている市はひじょうに多い。

自分は、もちろん差さない。
ロードレーサータイプのチャリであり、これ乗って傘なんか差していたら笑われるだろう。
泥除けもつけないので背中は砂だらけになるが「それでもいい」格好で走っている。

ユッキーナ木下優樹菜がテレビ番組で、傘を差さない理由を「雨に負けている感じがするから」と答えてみんなに笑われていたけれど、その感覚、自分はよーーーく分かるんだよね。

そういうひと、自分だけじゃないんじゃないかな。


映画と傘―まず想起するのは、やはり『シェルブールの雨傘』(64)だろうか。

28日より、本作のほかに『ロシュフォールの恋人たち』(67)などで知られる監督、ジャック・ドゥミの展覧会『ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑』が国立近代美術館フィルムセンター(東京・京橋)で開催される。

それを記念し、今宵は「映画で登場した印象的な傘」の10傑を展開してみよう。


※『シェルブールの雨傘』は除外する
※※本日のタイトルは・・・バカリズム升野ちゃんの発言「傘という漢字には人が4人も入っているが、現実的に無理だと思う」を引用した


(1)『夜がまた来る』(94)

屋上から落下するビニール傘。

鮮烈な映像、さすが石井隆。

(2)『それから』(85)

この物語を支えるのは、百合や雨といった小道具である。

(3)『雨に唄えば』(52)

ポジティブな物語が多いミュージカルにおいて、雨を降らせ、傘を用いた。

なんてことない発想のように思うが、当時は勇気が要ったと思う。

(4)『海外特派員』(40…トップ画像)

雨、傘、階段、カメラ、そして暗殺。

(5)『となりのトトロ』(88)

トトロが降らせた? 雨で、傘にでっかい雨粒が衝突する。

目に楽しい傘の演出。

(6)『メリー・ポピンズ』(64)

魔法のような傘。

誰もがあんな風に出来るわけでもないだろうけれど、ちょっとほしい。

(7)『ハワーズ・エンド』(92)

隣りのひとの傘を間違えて持ち帰るヘレン。
持ち主は、ずぶ濡れになりながら彼女を追う。

映像美が際立ち、とても印象に残っている。

(8)『鴛鴦歌合戦』(39)

この10作品のなかで、ひょっとしたら最も洒落た使われかたをしているのかも。

(9)『フレンチ・コネクション』(71)

刑事ハックマンの尾行をまくために、犯人フェルナンド・レイは傘をステッキのように使う。

(10)『ブレードランナー』(82)

未来の傘は、柄が光るのだろうか・・・。





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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(85)』

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初体験 リッジモント・ハイ(89)

2014-08-15 07:19:11 | コラム
初めて買ったカセットテープ/レコード/CDを語る、「初体験シリーズ」盆の特別篇。
最終日のきょうは、CD。

初めて買ったCDは、中森明菜のベストアルバム(第二弾)だった。





高校合格のお祝いにとミニコンポを買ってもらったのだが、音の良い悪いが分かるほど耳が優れているわけでもないのに、最初から「これを買ってもらう」と決めていた。

発売したばかりの、パイオニアPrivate。
なぜこれかって、明菜がCMでダンスしていたから。




そのくらい、明菜が好きだった。
歌も、容姿もね。

容姿に関しては「ふっくら系」だったデビュー当時ではなく、「ややギスギス系」となった「事故以後」でもなく、このCMが放送されていたころの「ほどよく、むっちり系」がベストだったが。

うん、だから事故には驚いたし、マッチの部屋で事故が起こってマッチ関係ないといわれてもな・・・と、遅い思春期? を迎えた自分は思ったわけですよ。

「まもなく完全復帰か」なんていう報道があったけれど、どうなんでしょう。


同じ日に、CDをもう1枚買っている。
映画『ラスト・エンペラー』(87)のサウンドトラック。

坂本龍一、デイヴィッド・バーン、コン・スーによる共同作業だが、日本では(当然のように)坂本教授ばかりが話題となっていた。
けれども自分は(ジョナサン・デミのドキュメンタリー映画を観たこともあって)デイヴィッド・バーンに興味を抱き、彼が率いるバンド「トーキング・ヘッズ」の音楽を聴いてみたいと思った。

そんなわけで3枚目のCDは・・・
それから約2ヵ月後に買ったトーキング・ヘッズの『トゥルー・ストーリーズ』。
4枚目がザ・ローリング・ストーンズの『ダーティ・ワーク』、
5枚目がザ・ドアーズの『ハートに火をつけて』、
6枚目がマドンナの『ライク・ア・プレイヤー』、

・・・と、ここまでしか記憶していないが、急に洋楽オンリーになってしまった。

アイドルから洋楽ロックへ。

なんで?

もちろん、映画の影響が大きい。


そんなわけで。
きのう書いたとおり「90年代がアイドル冬の時代になったから」という理由もあったのだろうが、映画から得た知識と情報で音楽を聴くというスタイルが出来上がった。
それは現在でも、基本的には変わりがない。


もうアイドルは興味ない?

そんなこともないけれどね。

AKBに関してはオカズネタにしかならないが、
ももクロは好きだし(でも、ヒャダインと組まなくなってから興味は薄れてきた)、
BABYMETALは新しいし格好いいと思うし、
そもそも気に入りのperfumeはアイドルとアーティストの中間を目指しているわけだし、
きゃりーPPはフツーに可愛いと思うし、
CDそのものまでほしくなる歌い手さんは少ないが、ウィンドウズメディアプレーヤーのプレイリストを確認してみれば・・・

映画のサントラのほかに、
マイケル・ナイマンや坂本龍一があったり、
レディオヘッドやナイン・インチ・ネイルズがあったり、
一青窈やシシド・カフカがあったり、
クリープハイプや赤い公園や椎名林檎があったり、
perfumeは当然だが、なぜか好きでもないのに剛力彩芽まで入っているのだ。


ごった煮感が満載だが、映画の嗜好が偏り過ぎているからね。
バランス取って、このくらいがいいのかもしれない。

おわり。


※で、世界で最も好きな曲はこれだ




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初体験 リッジモント・ハイ(88)

2014-08-14 00:30:00 | コラム
初めて買ったカセットテープ/レコード/CDを語る、「初体験シリーズ」盆の特別篇。
第二夜のきょうは、レコードの話。

レコードに関しては、5番目くらいまで「はっきりと」覚えている。

最初に買ったのが、斉藤由貴のシングル『卒業』、




次に、おニャン子クラブのシングル『およしになってねTEACHER』、




さらに・・・

杉山清貴&オメガトライブのシングル『ふたりの夏物語』、
おニャン子クラブのアルバム『KICK OFF』、
新田恵利の『冬のオペラグラス』

・・・とつづく。

これら5枚を5週間くらいのあいだに買っている。

シングル700円、アルバム2800円の時代。
小学校高学年としては大きな買い物だが、たぶんお年玉を使ったのだろう。

杉山清貴&オメガトライブ以外、3つ上のねぃちゃんに散々なことをいわれた笑

斉藤由貴は足首が太い。
おニャン子は誰も可愛くない。
新田恵利は究極の音痴。

まぁどれも当たっているが苦笑、真正面から本気で反論していたように思う。


80年代はアイドルの時代。
90年代はそれが幻であったかのように「アイドル不在の時代」が訪れるが、メディアミックス的な煽り商法に完全に踊らされた自分は、アイドルに夢中になった。

だから現在のAKBに夢中になる連中を笑えないし、また当時、おニャン子を笑っていた大人たちに対しては「天地真理だって音痴じゃねぇか!」と、本気で怒っていたっけな。

こんなことまで歴史は繰り返すってわけか。
ただ歌の上手下手は「どっこいどっこい」でも、時代とともに洗練度は磨かれてきたように思う。
いま見ると、おニャン子ってダセェ! もの。


もう少しいえば・・・。
「歌い手」としてきっちり作品を聴いていたのは、斉藤由貴と杉山清貴&オメガトライブだけ。
おニャン子は、はっきりいえばトシゴロの男子にとって性の対象でしかなく、パンチラ雑誌に載る彼女らの脚やブラ線に欲情しアンナコトコンナコトしていたってわけである。

クラスの女子を片っ端からオカズにしていくことには(多少の)罪悪感は覚えても、アイドルだったらぜんぜん平気。
あれだけの数が居るのだもの、ほっかほか弁当よりもオカズは豊富だぜ! って。

たぶん、そういうことを秋元康は最初から計算していた。
だからメンバーが飽きられないよう、ときどき新規加入者を投入していたのだ。

そういう意味で、このジジイはすごいな、助平だな、、、などと小学生の自分は感心したものである。
おまけに高井麻巳子を嫁にしてしまうのだからね、恨んでも恨み切れない? よねぇ。


CDが流通し始めるのは、自分が中学生になってから。
しかし我が家にミニコンポがやってくるのは、自分が高校1年生のときである。
だから中学の3年間は、「音楽を買う」といえばレコードだった。

この期間になにを買ったのかははっきりと覚えていないが、おニャン子への興味は中学入学と同時に薄れていったと記憶しているので、たぶん斉藤由貴と中森明菜、成龍映画のサウンドトラックとかを買っていたのだと思う。

コンポを手に入れた途端にそれらを処分してしまったが、残しておいてもよかったのにねぇ・・・。


つづく。

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Oh captain、 my captain ~追悼、ロビン・ウィリアムズ~

2014-08-13 00:10:00 | コラム
巨匠や、期待の俊英が躓くことだってある。

たとえばロバート・アルトマンの『ポパイ』(80)は、本人的に「なかったこと」にしたかったにちがいない。
スピルバーグの『フック』(91)は、「なぜ、こんな風になったのか」本人でさえ首を傾げていることだろう。
『ジュマンジ』(95)は一部では好評だが、監督ジョー・ジョンストンは出来に納得していなかったというし、自分も「ぜんっぜん」楽しめなかった。あんなに楽しい物語のはず、、、なのに。

こういう場合、基本的に俳優に非はない。
それが分かっているから、映画ファンたちは俳優陣に対して「気の毒に・・・」などと思う。

こういう不運は「一」俳優のキャリアに「一度きり」のケースがほとんど―のはずなのだが、ロビン・ウィリアムズという俳優にかぎっては、上に挙げた3つの作品すべての主演を務めちゃっているのだった。

それでも映画ファンはいう、運が悪いだけだ、ロビンは悪くない、あぁ気の毒に気の毒に・・・と。

そのくらい、映画ファンに好かれる俳優なのである。


キャリアのスタートは、スタンダップコメディだった。
モノマネが得意な早口野郎は『ガチンコしゃべくりトーナメント』が開催されたら、間違いなく4強まで残る実力だったと思う。
エディ・マーフィーと競ったろうし、エミネムとラップ対決をやっても勝っていたかもしれない。


ある年のオスカー授賞式で、司会を務めるビリー・クリスタルが『ウエストサイド物語』(61)のことを、

「名作だが、いつの時代だって、あんな風に踊る不良は居ない」

と発したとき、スターの誰よりもうれしそうな顔をしたのはロビンだった。

権威に毒づき、茶化す―ロビンの芸の根幹にあるのはそれだと思った。
だから自分にとっての最高傑作は、ロビンが俳優としての評価を確実なものとした『グッドモーニング、ベトナム』(87)である。

いっぽうでは厄介者、しかしいっぽうでは英雄。

映画俳優ロビン・ウィリアムズのデビュー作は、英雄譚『ポパイ』だが、これは前述したように「おおすべり」した。
だが82年、『ガープの世界』で奇妙な人生を歩む主人公を熱演し、デビュー作を「なかったこと」とした。

87年、『グッドモーニング、ベトナム』でラジオDJを軽快に演じる。
米国版『金八先生』のような『いまを生きる』(89)は、マーロン・ブランドのモノマネをするシーンと、「先生!」と呼んでも振り向かず、「Oh captain、 my captain!」と呼ぶと振り向くシーンに笑った。

90年の『レナードの朝』は、デ・ニーロ狂にとって踏み絵のような作品である。
きっちりとリサーチして難病患者を演じても、こころに響かなかった。
誤解を恐れずにいえば、ちょっと不愉快にもなった。
映画そのものの出来ではなく、デ・ニーロの演技に感心しなかっただけ。
いや、そういう役なのだからしょうがないのだけれども・・・。

ともかく、この映画を支えているのはロビンのほうだ。
彼の抑えた演技がなかったら、単なる不愉快な映画体験で終わっていたかもしれない。

91年、『フィッシャー・キング』に出演。

騒動を起こしたラジオDJと浮浪者の物語―信じられない奇跡的なシーンがいくつか生まれたが、その最たるものはこれだろう。





同年、『フック』でスピルバーグ「とともに」躓く。
しかし起き上がるとすぐに『アラジン』(92)でフラストレーションを発散し、
つづく『ミセス・ダウト』(93)では、ある識者から「巧過ぎてイヤミでしょ」などといわれるほどの芸を披露する。

97年、『グッド・ウィル・ハンティング』でオスカー演技賞を受賞する。

マット・デイモンとベン・アフレックを有名にした青春映画。
監督のガス・ヴァン・サントは、ふたりの若者を世に出そうと「いつもの内省的演出」を極力排除し、ロビンもまた「いつものマシンガントーク」を封印、静謐な演技でデイモンを支えた。


以降も実在の医師を描いた『パッチ・アダムス』(98)や、イメージにない犯罪者を演じた『ストーカー』(2002)などで印象的な演技を披露していたが、
最近のフィルムグラフィにかぎっていえば、『ナイト ミュージアム』(2007)ではルーズベルト、『大統領の執事の涙』(2013)ではアイゼンハワーと、なぜか「大統領づいているよね」などと映画小僧の友人たちと笑ったりしていた。


アル中であったとか「うつ」を患っていたとか自死だったとか、ここでは深く掘り下げない。
ここまで楽しませてもらった俳優には感謝の気持ちしか抱かないが、
これが映画小僧の手のひら返し? というか、憎めないところ? というか、こういう最期に触れると、冒頭に挙げた「明らかな失敗作」でさえも愛でたい気持ちになってくる。

だから敢えて今宵は、勇気を振り絞って? 『ポパイ』を観てみることにしようか。

出来はクソでも、ロビンの芸は輝いているのだから。


2014年8月11日、ロビン・ウィリアムズ死去。
享年63歳、合掌。


※『初体験 リッジモント・ハイ(88)』は、あす掲載します

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初体験 リッジモント・ハイ(87)

2014-08-12 06:00:40 | コラム
ここのところ、CDコレクションが増えていかない。
いや訂正、少しずつ減り始めている。

そう、滅多に買わなくなった。
買うのは「ジャケットもほしいから」という理由でperfumeのCDくらい、あとは現代らしくダウンロードで済ませてしまうのであった。

「焼く」ことはあるから、自作CDが増えることはあるけれど。
市販のCDは「ほんとうに大切」と思われるもの以外、ぜ~~んぶ売ってしまったよ。


というわけで今回の初体験シリーズは、お盆の特別企画として三夜連続で「初めて購入した音楽ソフト」を展開してみたい。

第一夜はカセットテープ、第二夜はレコード、第三夜はCD。


これを思いついたのは、先日の『タモリ倶楽部』(テレビ朝日、8.08)で「自作カセットテープ発掘祭」という企画が放送されていたから。

みうらじゅんや泉麻人が少年~青年のころに創ったオリジナルテープを再生してみる、、、というもの。

ラジカセそのものが希少となってしまったから、気軽に再生することも出来ないものねぇ、現代ならではの好企画だと思った。(そして、みうらじゅんのデビュー前の歌声が聴けて得をした!!)


自分が生まれて初めて買った音楽ソフトは、レコードではなくカセットテープだった。
家にレコードプレーヤーはあったが、ねいちゃんの部屋に設置されており「気軽さ」はなかった。
だから、敢えてカセットテープを選んだのだと思う。

その記念すべき1本目は、さあ、なんだった―?

アイドル?

否。

アニメ主題歌?

否。

当時はまっていたプロレス、その選手入場曲を集めたものだった。


※ミル・マスカラス…『スカイハイ』は、プロレスとは無関係に誰もが知っている曲だろう




※スタン・ハンセン…あのころ、世界でいちばん強いと信じていた





たぶん、2500円くらいしたと思う。
小学2~3年生のころだから大金である、しっかり元を取ろうと思ったか、それともほんとうに気に入ったのかは覚えていないが、朝から晩まで聴いていた。

斉藤由貴や明菜に魅かれたり、成龍のたどたどしい日本語の歌声に微笑んだり、ちんちんいじりながら「おニャン子」
を聴くようになるのは、もう少しだけ先の話なのだった。

「昔っから格闘技が好きだったんだねぇ」といわれることも多いが、このあと、プロレスのことが「一時的に」大っっっっっっっっっっっっっっっっ嫌いになる。

100%ガチンコの真剣勝負、そう信じていたからねぇ。
本気でやったら60分1本勝負なんて身体が持たないとか、ロープに飛ばされ戻ってくるのは不自然だとか、信じていると気づかないものである。
ショウだと知ったときは、サンタが居ないことをねいちゃんから知らされたときの3倍は驚いたし、悲しかった。

そうして自分はプロレスへの興味を失い、ふと気づけば、プロレスブームそのものも平成のころには終焉を迎えていた。

90年代に入り、ガチンコを売りにしたK-1やPRIDEが誕生する。
あのときの反動もあったのだろう、自分はすぐに飛びついた。

「プロレスとはちがうから」―そう思って夢中になったが、ガチンコブームを支えるファイターたちの半数ほどが「プロレス出身者」だった。

どっちもプロなんだ、地続きなんだと気づいたとき、プロレスのことが再び好きになった。


勝手に好きになったり、嫌いになったり。

これまた青春、ではある。


つづく。

※成龍の、たどたどしい日本語の歌




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