Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

TV Killed The Cinema Star?

2014-08-21 00:30:00 | コラム
ここ最近、テレビ局への取材が異様に多い。

大物俳優やアイドルより、たとえば夏目三久嬢やTBSの枡田絵理奈アナを目撃して喜んでいる自分もアレなんだが、
ひとつ、面白いなぁと思うことがある。

映画のスタッフと、テレビのスタッフ。
映像畑という点では同じ住人のはずなのに、ずいぶんと雰囲気がちがうんだ。

誤解を恐れずにいえば、テレビ畑のほうが軽やかっていうか明るいっていうかね。
話しかたも動きかたもそう。

良いとか悪いとかではなく。

時間がないのはテレビも映画も同じだろうが「より」時間がない、足りないのは前者のほうだろう。
だから立ち止まっていられない、そのありかたが話しかたにも表れているということ、、、なのかもしれない。

かつては敵対する存在であったはずのテレビと映画は、いつのまにか境界線がなくなり、それはたぶん80年代くらいからだと思うが、共存共栄の関係になっていた。
もっといえば、なんとなくテレビが主導権を持っているようにも見える・・・というのは、日本だけの現象じゃないのではないかな。

そんなわけで今宵は、「映画のなかで描かれるテレビ」を特集してみよう。


(1)『ネットワーク』(76)

この映画が誕生して、まもなく40年。
テレビを背景にした作品で、これを超えるものは未だ誕生していない。

視聴率戦争を描いた社会派だが、群像劇としても優れており、多くの職人監督たちに愛され、そして参考にされ続けている。

(2)『狼たちの午後』(75)

ワンツーフィニッシュを決めた映画は、偶然にも、どちらもシドニー・ルメットの監督作!!

テレビを味方につければ、犯罪者だってヒーローになれるのだ。

(3)『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(94)

そんなテレビの狂気性を、極端な形で物語にしたのが本作。

(事件を起こす直前の)オウム真理教とテレビとの関係性を思い起こすと、想像の物語と片付けることは出来なくなる。

(4)『身代金』(96)

求められるものは、映像的なインパクト。
ハダカや血が映されなくとも、積み上げられた札束だけで視聴者のテンションは上がったにちがいない。

「この金は、お前の首の賞金だ」

さあどうする、誘拐犯よ。

面白い、じつに面白い。

(5)『ダイハード』(88)

暴走したテレビリポーターは、最後の最後に当然の報いを受ける。

主人公の妻に殴られた彼はしかし、その殴られたシーンも「撮ったか?」とカメラマンに聞く。

笑えるほどに呆れるし、ある意味では超のつくプロフェッショナルである。

(6)『ブロードキャスト・ニュース』(87)

局内の三角関係を描いた大人のドラマだが、おそらくいちばん有名なのは、ジョーン・キューザックがスタジオを走り回り、ビデオテープを再生するまでのコミカルなアクションだろう。
(動画を検索したが、見つからなかった…)

(7)『アンカーウーマン』(96)

アンカーウーマン(キャスター)に憧れるミシェル・ファイファーと、その上司レッドフォードの恋愛物語。

とは書いてみたものの、セリーヌ・ディオンの主題歌しか覚えていないのだった。

(8)『クイズ・ショウ』(94)

実際に起こったヤラセ騒動をもとにしているが、知性派の監督レッドフォードはそれをスキャンダラスに描くことはなく、50年代の米国の雰囲気そのものを再現することに力を注いでいる。

そしてこの映画に関しては、その演出意図は「うまくいっている」ように思う。

(9)『トゥルーマン・ショー』(98)

全米の視聴者に見守られながら生きてきた男による、「父親」への決別の物語。

重箱の隅をつつこうと思えばいくらでも出来そうな映画だが、それをやるのは野暮というものでしょう。

(10)『白痴』(99)

日本映画からひとつ。
坂口安吾の名作を手塚眞が大胆に映像化、それがうまくいっているかどうかは「??」だが、テレビ局で働く主人公を描いた前半だけは面白かった。


※本日のタイトルは、もちろんこの曲から




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パンツはパンツだ!!

2014-08-20 00:30:00 | コラム
自宅では、上はTシャツ、下はパンツで過ごすことが多い。

独り暮らしだからね、誰に気を使うということもないし。
突然の来訪者といったら、佐川急便くらいなものであるし。

ただ気をつけねばならぬのは、モノによっては佐川男子ではなく佐川女子がドアを叩く場合があるっていうこと。
向こうだって、キャピキャピ系じゃないかぎり男子のパンツ姿で驚くことはないだろうが、マナーというものがあるからね~。


もう少し若いころは、勝負パンツへのこだわりを持っていた。
しかも、かわいい感じのやつ。

それ穿いて風俗なんかに行くと、風俗嬢から「かわいいー! カエルさんが居る!!」なんて喜ばれ、そういう反応がうれしかったし。

いまは勝負する? のはTシャツくらいでパンツへのこだわりは、あまりない。
ただ相手に対しては、そこそこのこだわりを要求している。

サーモンピンクを穿いてくれだとか。
Tバックは好きじゃないとか。
パンツだけじゃなく・・・
ブラジャーに関しては、外せそうで外せない、あのもどかしい感じが好きだからフロントホックにしてくれだとか、
ストッキングに関しては、ちょっと透けた感じがいいのでデニール数は低めでお願いします! とか。

ずいぶんと勝手なヤツだねぇ。


映画のなかでのパンツといえば、実際のパンツ姿は一瞬しか出てこないが、『レインマン』(88)のやりとりをいちばんに想起する。

「Kマートのパンツじゃなきゃイヤだ」とごねる兄に対し、トム・クルーズは大きな空に向かって、

「パンツはパンツだ! どこで買っても同じじゃないか!!」

と絶叫する。




名・迷シーンだと思う笑


ある意味では、繰り返す、ある意味では、ハダカ以上に興奮をもたらす下着という小道具。(だからAKBの『ヘビロテ』は、あんな再生回数なんだろう)

そんな、魅惑の「映画のなかの下着」10傑をお届けしよう。


(1)『殺しのドレス』(80…トップ画像)

はっきりいえば、ナンシー・アレンは(いまの感覚でいうと)野暮ったい。
だが、その野暮ったさが身近なエロス性を感じさせてくれる。

本人はうれしくないだろうが、手が届くエロスなのだ。

(2)『ヘルタースケルター』(2012)

逆に沢尻エリカの下着姿は、手が届かない「エロスの憧憬」みたいなものを感じさせる。

(3)『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(88)

ジェイミー・リー・カーティスの黒いパンツと、ジョン・クリーズの白いパンツ。
なんか対照的で、ひじょうに面白かった。

(4)『愛のむきだし』(2008)

たとえ「見せパン」だったとしても、男子にとってはありがたいことである。

(5)『氷の微笑』(92)

シャロン・ストーンは、わざわざ穿いていたパンツを脱ぎ、ノーパンにした状態で出かけたのだ。

(6)『寝ずの番』(2006)

死ぬ間際の老人のために、木村佳乃、脱ぎまーーす!!

(7)『鮫肌男と桃尻女』(99)

小日向しえ、大変身。
あまり感心しない映画だけど、このクライマックスで星が2つくらい増える。

(8)『ピアノ・レッスン』(93)

あの脱ぎづらさが、ヒメゴト感を倍増させていて効果絶大。

(9)『誘う女』(95)

ちらちらパンツ見せて踊られたら、そりゃ、ひとのひとりくらい殺しちゃう・・・かもしれない。




(10)『エイリアン』(79)

第二作では男勝りキャラが際立つが、第一作目の下着姿は(宇宙空間という特殊性も手伝って)なんかドキドキする。

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おもひでのcemetery

2014-08-19 06:50:37 | コラム
黒澤や小津、オオシマには「年に2度3度と」会いにいっているのに。
今夏は帰省せず、かーちゃんに会いにいかなかった。

墓参りの話ね。

とりあえず自家製の仏壇にスイカを供え「ごめんなさい、ごめんなさい」と手をあわせる。


墓前に立つという行為は故人を偲ぶというより、自己と対峙する側面のほうが(個人的には)強い。
(法事のように)その空間にひとが複数存在する場合は、そういう時間は訪れ難いけれど。

それは映画での描写においても同様で、だから登場人物たちは、応えてくれるはずもない相手に向かってことばを発する。
あれは故人にではなく、内なる自分に話しかけているのだ。


子どものDNA鑑定のために墓を掘り起こされたり、
前妻と後妻のあいだでトラブルが発生して遺体の「上半身は前妻」、「下半身は後妻」が引き取る―なんていう海外ニュースを聞いたことがあったが、
生前がどうあれ、どんな死者に対しても敬意を払いたいものだね。
殺したあとに「誰も彼に触れるな!」と、リーアム・ニーソンの遺体を「大事に扱った」ダニエル・デイ=ルイス様のように。(=2002、『ギャング・オブ・ニューヨーク』)


というわけできょうは、映画のなかで印象的な「墓地」および「墓参り」の10傑を展開してみよう。


かーちゃん、今年中に墓参りするからね。
堪忍してちょうだい。


(1)『七人の侍』(54)

またしても負け戦だったな。

立派ではないが侍らしい墓で、久蔵も菊千代も喜んでいるにちがいない。

(2)『キャリー』(76)

あんな最期を遂げたんだ、安らかに眠れるはずがない。

(3)『第三の男』(49)

ウィーンの国立墓地で始まり、同じ場所で幕を閉じる名作。


※長い、あまりにも長いワンショット…これは脚本の段階で「こう撮ろう!」と決めていたはずで、これさえキチンと撮ることが出来れば、この映画は成功する、、、なんていう風にキャロル・リードは確信していたんじゃないかな。




(4)『ザ・ロック』(96)

反逆罪を決意したハメルが、その決行前夜に亡き妻の墓を訪れる。

「許してくれ。でも、君が亡くなったいまだから…」

(5)『ゆきゆきて、神軍』(87)

炊き立てのお米と、大きな梅干を供えて―。

やかましい映画だが、奥崎が戦友の墓参りをするシーンだけは静謐に包まれている。

(6)『ルビー・スパークス』(2012)

墓地で映画が上映されるエピソードが登場。
流れたのが『ブレインデッド』(93)というのがまた、パンチが効いている笑

(7)『ペット・セメタリー』(89)

ホラーと墓は(当然)相性が抜群だが、これは技あり! だろう。

「生き返り」伝説のある墓を舞台にした、スティーブン・キング原作の快作。

(8)『インファナル・アフェア』(2002)

トニー・レオンの死の真相は、仰々しい葬式によって封印される。

ほんとうのことを知っているのは、ケリー・チャンと、そして「あの男のみ」なのだ。

(9)『幕末太陽傳』(57)

地獄も極楽もあるもんけぇ。俺はまだまだ生きるんでぇ!!

(10)『ツインピークス』(90~91)

「あなたは死んだのに、まだあたしたちを悩ませている! まるであなたが生きているみたいよ!!」

映画ではないが、とても印象的なので。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(86)

2014-08-18 00:30:00 | コラム
みげるふぇ「らー」→「らー」めん(ラーメン)

まずは、米タイム誌が選出した「印象に残る映画のなかの食事シーンベストテン」を。

(1)『黄金狂時代』(25)

チャップリンが靴を煮て食べる、あの有名なシーン

(2)『暴力脱獄』(67)

ポール・ニューマンが50個のゆで卵を食べるシーン

(3)『トム・ジョーンズの華麗な冒険』(63)

トム・ジョーンズ(アルバート・フィニー)とウォーターズ夫人(ジョイス・レッドマン)がエロティックに食事をするシーン

(4)『ナイン・ハーフ』(86)

ミッキー・ロークが目を閉じたキム・ベイシンガーの口に、さまざまな食べ物を入れていくシーン

(5)『レミーのおいしいレストラン』(2007)

レミーがラタトゥイユを作り、評論家に食べさせるシーン

(6)『バベットの晩餐会』(87)

晩餐会のシーン

(7)『シェフとギャルソン、リストランテの夜』(96)

スタンリー・トゥッチが卵を焼く、ラスト5分間の長回し

(8)『タンポポ』(85)

大友柳太朗がラーメンの食べかたを説くシーン

(9)『グッドフェローズ』(90)

刑務所に収監されたマフィアの面々が調理をするシーン

(10)『大混乱』(88)

ジョン・キャンディがビーフステーキを完食し、食事代をタダにするシーン


このリストのなかでいえば、個人的には断然『グッドフェローズ』だ。

※トマトソースを作るジイサンは、スコセッシの実父なのさ!





いやいや、きょうのメインテーマはラーメンである。

日本映画で唯一ランクインした伊丹十三の『タンポポ』は、ラーメン及びラーメン屋を扱ったコメディ。
日本においても人気作だが、外国での評価が異様に高いのが面白い。

『シェーン』(53)をパロディにした構成が受けたのだろうし、本筋とは関係のないエピソードも非日本的だからかな。


オメーはラーメン好きかって?

まぁ嫌いではない。
ではないが、こよなく愛するってほどではない。

店には月に1度行けばいいくらいである。

好みは長浜・・・とは書いてみたものの、すべてを試しているわけではないので、エラソーにはいえないかな。

ただカップラーメン、袋のラーメンであれば週に2~3度は口にしているので、そこそこエラソーなことはいえるかもしれない。

『チキンラーメン』はいつ食べても美味いし、『出前一丁』も捨て難い。
『ラ王』が発売されたときは感動したものだし、「その先」を目指して成功した『マルちゃん製麺』もすごい。

だが即席麺「全体」で王者を決めるとなれば、それはやっぱり『カップヌードル』になるんじゃないだろうか。

日清はほとんど「これだけ」で成り立っているといってもいい。
すごいことである。

小腹がすくっていうのは「軽い空腹」を覚えることで、そんなときに最適な食べ物といえば『カップヌードル』になるだろう。
お菓子じゃ物足りないし、ハンバーガーじゃクド過ぎる。

数年前から「ビッグ」が発売されているが、大食漢の自分でも敢えて「普通サイズ」を選ぶ。
あれが、ちょうどいいんだもの。

『カップヌードル』のCMは世界的にも評価が高いが、そうなる前に出演していたことのある俳優がシュワ氏だった。
トップ画像は「やかん体操」をするシュワ氏の下敷きで、現在でも自分が大切に持っているものだ。(ちょっと反射しちゃっているね)


シュワ氏はいまでも健在だが、このころの筋肉の動きは若々しく、しなやかで、素晴らしいねぇ!!

このひとが、(スタローン夫人だった)ブリジッド・ニールセンと不倫をしていたことを告白したときは驚いたが、
と同時に、マッチョはマッチョ女子を好きになるのか、面白いな・・・と、ちょっと感心したものである。

・・・なんの話だ??






次回のしりとりは・・・
らー「めん」→「めん」ずでー。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(85)

2014-08-17 06:35:51 | コラム
むらきとな「み」→「み」げるふぇらー(ミゲル・フェラー)

自分の高校時代を支えたと表現しても、決して大袈裟にはならない米製のドラマ『ツイン・ピークス』(90~91)のブルーレイ10枚組ボックスを購入した。

ビデオテープが擦り切れるほど観た。
(実際、擦り切れた!)

DVDのボックスも買った。

んで、今回のブルーレイも迷うことなく予約していた。

すべてのエピソードを30回以上観たドラマなんて、これ以外にない。
さらにいえば、あと20回は観たいと思わせるドラマなんて、これ以外にない。

そのくらい『ツイン・ピークス』が好きだ。

多くの識者が言及しているとおり、このシリーズが米製のドラマをネクストレベルへと引き上げた。
『24』シリーズ(2001~)も『Lの世界』(2004~2009)も、『ツイン・ピークス』の影響を「かなり」受けているといっていい。

そんなわけで、いまブルーレイを流しながらこれを書いている。

女子高生ローラ・パーマーが殺されたことから起こる、架空の町ツイン・ピークスのアレヤコレヤを描いた物語。

平和でのどかなはずの町にも、暗い一面はあった。
暴力、不倫、クスリ、売春―登場人物のひとりはいう、「どうやら現代に捕まったようだな」。

際限なく登場人物が増えていき、彼ら彼女らを演じる俳優たちは「ほぼ全員」が好演している。

このドラマから脚光を浴びてスターになった俳優も多く、とくにリンチ好みの美女たち―シェリリン・フェン、シェリル・リー、ララ・フリン・ボイル、メッチェン・アミック、ヘザー・グラハム―は一時的に売れっ子となったが、そう、それはあくまでも一時的であり、彼女ら全員がいま現在「ほとんど名前を聞かなくなった」のが寂しい。


このドラマの一大特徴は、登場人物のほとんどが変人であるということ。
小人や片腕の男といった見た目だけの話ではない、

丸太を抱えるおばさん、
音のしないカーテンレールにこだわる眼帯のおばさん、
ヒロインの父親は一夜にして白髪となり、
警察官のなかには死体を見ただけで泣き出すものまで居る。

そもそも主人公が、夢のお告げを捜査に利用する人格破綻者? なのだった。

唯一マトモと思われるキャラクターが、主人公クーパーの同僚、アルバート・ローゼンフィールド。
演じるのが本日の主役、ミゲル・フェラーである。


※このシーンに感動したファンは多いだろう。

「なぁ保安官、たしかに俺はシニカルだ。しかし暴力には断固として戦う。俺はガンジーとキング牧師を尊敬している。俺の思考思想の、根幹にあるものはなんだと思う? 愛だよ。 保安官、愛してるぜ」





父親は、俳優のホセ・フェラー。
『シラノ・ド・ベルジュラック』(50)でオスカー主演賞を受賞した名優。

母親は、歌手のローズマリー・クルーニー。
クルーニーの名でピンとくるひとも居るだろう、彼女の弟ニック・クルーニーの子どもがジョージ・クルーニーであり、
つまりジョージはミゲルの従兄である。

ミゲル本人はクセのあるキャラクターを演じることが多く、『ロボコップ』(87)でも『ザ・デプス』(89)でも悪役だった。
たとえれば危険だと思われる地球外生命体を金目的のために「どうにかしよう」とするキャラクターを演じることが得意で、ドラマで起こるトラブルの引き金を「引く」ようなヤツ。

現実世界であれば、けっして仲良くなってはならない。
しかし、そういうキャラクターがドラマを面白くするのも事実。

『ツイン・ピークス』でも「前半は」そういう厄介者のような扱いを受けている。
いつ、どのタイミングで「引き金を引くのか」と思って観ていると、ドラマが進んでいくにつれ「いちばんマトモで、いちばんいいヤツ」であることが分かってくる。


第一印象は最悪、でも次第に・・・。
自分が「その真逆」だからであろうか、こういうキャラクターを羨ましく思う。

ニコニコしているから、(ひとによっては)ヘラヘラしているから―というのもあって、自分でいうのもアレだが、自分、第一印象は「すこぶる」いいんですわ。

そこから化けの皮が剥がれていくっていうね。

自分は皮を被っているつもりはないんだけど。
・・・って、包茎の話かい!?

ちがうよ!!


・・・・・。

まぁともかく、ミゲルは素敵な俳優だ。
映画には「ちょこちょこ」としか出ないけれど、たとえば『トラフィック』(2000)なんかでも、弁が立つ証人としてインパクトのある演技を披露している。

こういう俳優が「異常に多い」ところが、ハリウッド映画の強みなのだろう。


あすのしりとりは・・・
みげるふぇ「らー」→「らー」めん。

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