Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(279)

2019-02-11 00:10:00 | コラム
きんぱ「つ」→「つ」ま(妻)

きょうは、映画のなかの妻をテーマに。

母親ではなく、妻。
映画にかぎらず、母親でもあり妻でもある・・・というキャラクターのほうが多いだろうけれど。

だって現実世界が、そうなのだもの。


「うちのかみさんが…」が口癖なのはコロンボ、しかし日常で「かみさんが…」という妻帯者には「最近」あまり出会わない。

「嫁さん」「奥さん」「ウチの」くらいかな、イマドキ「愚妻が…」というひとも居ないだろうし。


以下、個人的に印象に残る「映画のなかの妻」6人+α。

理想の妻はわずかで、ほとんどが「怖い妻」になってしまった。


『フィールド・オブ・ドリームス』(89)

理想の妻、エイミー・マディガン。

彼女が妻だったからこそ、夫は野球場を作れたのだもの。


「―テレンス・マンは狂気の時代に、愛と平和を説いた。60年代を生きているものなら、マンの精神が分かるはずでしょう」
「わたしも60年代を生きてきた」
「いいえ、あなたは50年代を2回生きて、70年代にきたの」




『デーヴ』(93)

ケビン・クラインが演じる大統領、そのファーストレディを演じたのはシガーニー・ウィーバー。

替え玉を見抜いた理由が素晴らしい、「夫は私の脚なんか見ないから」。

実際にも、そういう細かいところで嘘かほんとうかを見分けるもの、、、なのではないかな。


『ロッキー2』(79)

エイドリアンが地味で暗いのは、自分に自信がなかったから。

ロッキーの愛で徐々に自信がついていく過程が楽しめるのは、パート1ではなく2のほう。




『セブン』(95…トップ画像)

ブラッド・ピットの妻を好演。

もともと引っ越してきた街が嫌いで、それであんな結末を迎えるのだもの、そりゃあ印象に残るでしょう。


『ミスティック・リバー』(2003)

主演級のスター3人の共演―ショーン・ペン、ケビン・ベーコン、ティム・ロビンス―で話題だが、裏テーマは「彼らを支える妻たち」だったのではないか・・・と思えるほど、それぞれの妻が「バツグンに」いい。




『蜘蛛巣城』(57)

三船敏郎の濃い演技でさえ霞んでしまう、山田五十鈴のおそろしい妻。

手についた血を洗おうとする姿は、狂気そのものだった。




あすのしりとりは・・・
つ「ま」→「ま」くどなるど。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(280)』
コメント (1)
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