Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

『拝啓、〇〇様』(11)

2019-02-16 00:10:00 | コラム
~シルベスター・スタローンの巻~

第一夜:シルベスター・スタローンのキャリアを我流紹介
第二夜:シルベスター・スタローンへの手紙

きょうは、その第一夜。


ロッキー「―オヤジにいわれたんだ、お前は頭が悪いから身体を使う仕事に就けって」
エイドリアン「(微笑)」
ロッキー「なぜ笑う?」
エイドリアン「わたしは逆のことをいわれた。身体が弱いから頭を使えって」
ロッキー「(微笑)」

肉体派俳優、スタローン(以下、通名的あだ名のスライと表記)も72歳。

ライバルのシュワ氏が71歳、成龍は「やや」若く64歳。

どちらにせよ、中年ではなく初老だ。

冒頭に掲げたことばのとおり、スライは身体だけを武器にして映画キャリアを築いてきた・・・ように見えるが、じつはひじょうに頭がいい。

IQ的には不明だが、素晴らしい脚本を書く能力があるということ。

そのことにいち早く気づいたのはスライ自身であり、しかし周囲はそれをなかなか認めなかった。

『ロッキー』が映画化されるまでの極貧時代が、それを証明している。


十数校から放校処分を受けた札付きのワルだったが、荒んだのにはそれなりの理由があった。

出産時の医療ミスにより顎周辺の神経が傷つけられてしまい、言語障害と下唇の下垂という症状が残ってしまう。

ガキの性悪さとはそんなものだろう、これをクラスメイトがからかって人間嫌いになった。

あの独特な台詞回しは演技ではなく「素」だったということだが、これがロッキーのキャラクター設定で活きることになる。


周囲に溶け込めず、常に悪さばかりしている彼に名づけられたあだ名が、スライ(=ずるがしこい)。

それを隠すことなく公表したところに彼の人間性が表れていて好感が持てるが、内にこもりがちだったスライを夢中にさせたのが映画だった、、、というわけ。


スライのスクリーンデビューは、ポルノ映画『子猫と種馬のパーティ』(70)。



『ロッキー』が公開される6年前のことで、マドンナ同様に極貧生活から抜け出すため「仕方なく」出演したと告白している。


29歳になったスライは、モハメド・アリVSチャック・ウェプナーのボクシング・タイトルマッチを観戦。

アリの復帰戦のため「いけにえ」的に用意されたウェブナーの奮闘に感動し、『ロッキー』の脚本を3日で書き上げる。

気に入ったスタジオ重役は脚本を買おうとするも「自分が主演じゃなきゃ売らない」と強気なスライに難色を示す。

結局、大作として企画されていたこの映画はB級俳優が主演する低予算作品として制作されることが決まった。

しかし評判が評判を呼び上映館数は急激に増え大ヒットを記録、翌年のオスカー作品賞をかっさらったのだった―。


※オスカー授賞式で、アリと共演…アリ「アポロは俺だな? キミは盗作したんだな!?」





『ロッキー』はシリーズ化され6作目まで制作、さらにスピンオフ作品『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)も好評を受け、その続編も制作された。


※ハムのCMといえば




82年―もうひとつの代表作となる『ランボー』のシリーズがスタートし、シュワ氏と人気を二分するスターへとのぼりつめる。

いま観ると微妙なセンスだが、当時はモノスゴ格好よく見えた刑事モノ『コブラ』(86)、
アームレスリングで親子愛を語る「ザッツ80年代!」的な快作『オーバー・ザ・トップ』(87)、
脱獄モノの佳作『ロック・アップ』(89)などなど、スマッシュヒット作を連発する。

しかし。
シュワ氏につづけ! と思ったのかどうか、『刑事ジョー ママにお手上げ』(92)でコメディに初挑戦し惨敗。

シュワ氏ほど愛嬌がなかったことが敗因だろう、スライがえらいのは「2度の失敗」を犯さないことで、大作『クリフハンガー』(93)に主演し「俺の居場所はここだ!」と高らかに宣言する。

97年にはデ・ニーロ、ハーベイ・カイテル、レイ・リオッタらと共演した『コップランド』で地味な警官を好演。


21世紀に入って以降も身体を強調・酷使し現在に至る―。


ではあすの第二夜で、スライへの手紙を展開してみよう。


※最後の最後、歌っているサミー・ヘイガーと対戦するという、じつに洒落た創りのPV



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明日のコラムは・・・

『『拝啓、〇〇様』(12)』
コメント (1)
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