Cape Fear、in JAPAN

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シネマしりとり「薀蓄篇」(84)

2014-07-30 00:30:00 | コラム
ぐっどむーにんぐべとな「む」→「む」らきとなみ(村木と名美)

それぞれ別個の作品でありながら、同一のキャラクターが登場する映画。

これはシリーズ物によく見られ、その代表は、外国であればジェームズ・ボンドが活躍する『007』シリーズ(62~)、日本であれば寅さんが失恋を続ける『男はつらいよ』シリーズ(69~95)となるだろう。

同一のキャラクターとはいえない、でも名前が同じというケース。

これはチャップリンの映画だ。
彼が演じる浮浪者(あるいは貧乏人)の名前は、「大抵が」チャーリーという。
しかし工員チャーリーと床屋のチャーリーが同一人物でないことは、誰もが知っている。

また、成龍ジャッキーも自作の映画で「ドラゴン」と名乗ることが多く、これもまた同一人物でないことは一目瞭然。

つまり、あのくらい(どのくらい?)の俳優になると、受け手に対して「分かるっしょ、同じ名前だけど、ちがうって分かるっしょ?」という態度を取ることが出来るのである。


もう少し分かり難いことをやっている映画監督も居る。

演じる俳優はちがう。
でも、男の名前はいつだって「村木」、そして、女の名前もいつだって「名美」。

もっといえば。
作品Aに登場した「村木」と「名美」は、作品Bに登場した「村木」と「名美」と同一人物なのかというと、それはちがう。

まったくべつの、「村木」と「名美」の物語。

でも、ふたりのイキザマは「そっくり」であったりする。

石井隆は、そんな「村木」と「名美」の物語を描き続けた。


映画「屋」に憧れたひとである。
しかし70年代の撮影所は衛生面でCランク、石井青年は自分の虚弱を恨んで撮影所を去ったという。

「たまたま」だったのか、それが運命だったのか、石井隆は天才的な絵心を持っていた。
映画監督としての夢は絶たれたが、「劇画」漫画家としてデビューを飾ったのである。
エロスとタナトス渦巻く物語を描き続け、そのなかで生まれたのが「村木」と「名美」というキャラクターだった。

70年代後半―サブカルチャーとしての劇画ブームが起こり、映画界ではロマンポルノが隆盛期を迎える。
多くの野心的な映画監督たちが石井の劇画に目をつけ、映画化を狙った。
こうして石井はいちど断ち切ったはずの映画と再び手を結び、88年、自らも映画監督デビューすることになった。

80年代の撮影所は、衛生面でBランクくらいには改善されたということだろう。(A、じゃないんだよね!!)


石井隆がメガホンを持った映画で、「村木」と「名美」を演じた俳優たちの一覧。


『天使のはらわた 赤い眩暈』(88)…竹中直人、桂木麻也子
『月下の蘭』(91)…根津甚八、余貴美子
『死んでもいい』(92)…永瀬正敏、大竹しのぶ
『ヌードの夜』(93)…竹中直人、余貴美子
『夜がまた来る』(94)…根津甚八、夏川結衣
『天使のはらわた 赤い閃光』(94)…根津甚八、川上麻衣子




また、アクション映画『GONIN』(95)では、フィリピンパブ嬢として「ナミィ」(横山めぐみ)を登場させ、石井隆の「名美」に対する「並々ならぬ」偏愛を感じさせる。


「名美」は基本的に、堕ちて輝く女として登場する。
堕ちて堕ちて堕ちまくり、やがて輝く。
「村木」は、そんな「名美」を全力で守り抜くキャラクター。

石井隆は「雨」と「夜」、そして「血」の描写に定評があり、これらの小道具が効果的に働いて「名美」はより一層輝く。


「60~70年代症候群」を自称する自分は、そのクセしてこの時代を体感しておらず、映画監督としての石井隆しか知らなかった。
映画から劇画の存在を知り、震えたものである。


21世紀になり、石井隆は「村木」と「名美」の物語を描かなくなった。
しかし杉本彩や壇蜜を起用して「堕ちる女」を描き続けている。


そうなんだ。
ファンは知っている、あれはやっぱり「名美」の物語なんだ、、、と。


次回のしりとりは・・・
むらきとな「み」→「み」げるふぇらー。

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明日のコラムは・・・

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

コメント (1)
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