masumiノート

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簡単に諦めてはいけない。

2017年04月26日 | ガソリンスタンド3

4月25日燃料油脂新聞より(※青系文字がmasumi)


「簡単に諦めてはいけない」「SS業界は恵まれている」
20年前の試練乗り越え 店長から経営者に “ピンチはチャンス”

「学校を卒業して最初にダイハツ系ディーラーに就職して2級整備士として約7年間勤めた。
朝一番にシャッターを開けるのが僕の仕事だった(笑)。夜は先輩よりも早く帰ることはできなかった。
若かった社員時代に、いまの生き方の基礎を築くことが出来たと思う。いまでも感謝している」

大石社長は20代半ばにワラシナ石油静岡大原SSに転職。実家から近かったからかもしれない。
2級整備士として磨いた腕をSSでも発揮したことに加えて、大原社長の柔らかい、人懐っこい性格が顧客から厚い信頼を得た。
やがて店長として活躍するようになった。

「僕は社員、スタッフにはあまり注意することはないが“とにかく人に好かれなさい、人を褒めなさい”と言っている。とくに地場フルサービスSS業者は最後のところは人対人、お客さまとの人間関係で成り立っているのではないだろうか。褒められて嫌な気持ちになる人はあまりいないから」。

認定工場資格も当時のオーナー社長に提案して所得。
ところが大石社長は大きな壁と向き合うことになる。オーナー社長が突然亡くなったのだ。

オーナー社長の奥さんから「会社を買ってほしい」と打ち明けられた。
大石社長が40代後半の時だ。
大石社長が店長としてたくさんの顧客に長年、信頼、信用されていたからだ。
ただし会社の借金3000万円込み

まずは3000万円の会社の負債をいったんゼロにしなければならない。

大石社長は金策に走った。
「僕は経営者としてやっていく自信があった。さらにまだ若かった。ところがすべての金融機関から3000万円の借り入れを断られてしまった。困っている時の金融機関は冷たい。雨が降っている時に傘を貸してくれないとはよくいったものだ。当時の僕は社員だったので債務保証できる資産内容でもないうえに、会社の収支は赤字の状態だった。金融機関が断るのも当然かもしれない」。

大石社長の経営者としての船出は万策尽きたかにみえた。まさに八方塞がりだった。
諦めようという気持ちもあった。しかしSSの仕事を何が何でも続けたい。
最後に大石社長が自分の想いを伝えた相手は燃料の仕入先の大手特約店社長だった。

「事業計画を何度も突き返された。このような事業計画は甘い、甘すぎる、と。もう何度も。土下座もした。ただ僕はまだ経営者として考えが未熟だったと思う。いまでも感謝の気持ちでいっぱい。手を差し伸べてくれなかったらいまの自分はないのだから」。

大石社長の熱意が受け入れられて3000万円の借り入れが認められた。3000万円の生命保険にも入った。
「絶対にうまくいく。会社を軌道に乗せることができる。でもうまくいかなかった時は。命がけだった」。

1月1日以外は朝から晩まで休みなしで働こう、と決意。
ワラシナ石油静岡大原SSはいわゆる月間100キロリットル未満SS。
ガソリン以外のカーケア販売に積極的に取り組んでいった。
車検顧客が口コミで広がっていった。
山のなかの小さな地場フルSSがいまでは月間30台、年間360台の車検獲得を狙うまでに成長。

「次は車販にも意欲的に取り組んでいきたい。現時点でも月1,2台車が売れている」。

3000万円の借金は10年以内に完済。

「自動車ディーラー関係の友人と話をするとSS業界は恵まれていると思う。ピンチはチャンス。簡単に諦めてはいけない。積極的に試練に立ち向かうべきではないだろうか」。

※そうです。
やれるとこまでやらなくちゃね。

SS業界が恵まれているかどうかは、そのマーケットや立ち位置、経営者によって意見は分かれると思いますが、
「簡単に諦めてはいけない」
 同感です。




4月24日燃料油脂新聞より


第二創業実現へ向け歩み始める
SS規模半分にする勇気 静岡県中規模特約店 若手社長
過去の「悔しさ」乗り越えーみえてきたものは

約10年前まで会計事務所で地場企業を担当、経営者として最も重要な仕事の資金繰りの実践的な知識を深めた。
家業に戻った際には本社に引き籠るというようなことは一切なく、SS現場で積極的に自らカーケア販売を行った。
本業としてSS事業をさらに大きくしようと意気込んでいた。

ところが同若手経営者はこれまでとは商環境がこれまでとは違う方向に流れていることに気付き始める。
SS施設の再投資が必要になることに加えて、自社の中小規模SS施設では新規出店した大型セルフSSにはどうあがいても太刀打ちできないことを悟る。
「自分の代でSS事業を規模縮小することは悔しかった」。

赤字店舗といえども閉鎖にはどうしても迷いが生じる。
「あともう少し続ければ黒字になるかも知れない。なんとかなるかも知れない」。

しかし現実は思うようにはいかず残酷だ。

商圏範囲内で競合する大型セルフSSの新規出店が一段と進む。
自店のガソリンボリュームは減り続けるばかりだ。

苦境を乗り越えるためには、なにをしなければならないのか。
誰にも頼ることは出来ない。自ら答えを出さなければならない。

同若手社長はSS規模を半分以下にする決断を下した。(11店を5店に)

幸いにも資金的にはまだ余裕があった。すっきりしましたね。最初の一カ所目を閉鎖した時の正直な感想です。ただ社内的には新しい事業を立ち上げないと社員の士気が下がってしまう。なにがなんでも新たな収益源が必要だった」。

同若手社長はこれまで感じていた矛盾を解消すべく、まずはSSを併設しないカーコーティング専門店を立ち上げた。
「給油客にカーケア商品を売り込むことに違和感があった。我が社にSSでのカーケア販売に力がないといわれればそれまでだが。お客さまが求めていないのにカーケア商品を売り込むという販売スタイルがなじまなかった」。

「新しいことを始めると会社の雰囲気が明るくなることが分かった」

※確かに。







ポリ缶厳禁呼びかける 軽油販売で法令順守強調

新潟市内の販売店SSは「軽油をポリ缶で販売する業者がいまだに存在する」と指摘。
「危険極まりないばかりか、法を順守する真面目な業者が迷惑するからやめてほしい」と強く訴えている。

「例年だが春になると農家の常連さんが訪れ、ポリ缶に軽油を入れてくれと頼まれる。ポリ缶への給油はできないと断ると“ほかのSSは入れてくれたのに”と怪訝な顔をされる。法を守っている私たちが不利益を被るのは納得できない」、と述べ、違法業者に法令を順守するように呼び掛けている。



※ガソリンも軽油も灯油も引火性液体です。危険物の分類では第四類になります。

軽油用のポリ容器が、用品カタログに掲載されたのって今から2年くらい前のことですよね。

ガソリンに関しては恐らく全国でもいち早く「消防法適合缶以外はNO!」を始めた当店ですが、
軽油はいまでもポリ缶への販売を行っています。

理由は、
ガソリンは第四類のなかの第一石油類で引火点もマイナス約40℃と低く、常温では引火の危険性が非常に高いのに対して、
軽油は灯油と同じ第二石油類になります。
ただし軽油でも液温が引火点以上になると引火の危険性はガソリンとほぼ同じになるようですが、それでも軽油の引火点は40℃以上で、ガソリンと比べて危険性は高くないと思うからです。


とはいえ、
>ポリ缶への給油はできないと断ると“ほかのSSは入れてくれたのに”と怪訝な顔をされる。

この時の気持ちは物凄く分かります。
ガソリン携行缶
http://blog.goo.ne.jp/m128-i/e/d2a91431c9ddee97cc145c002af69511

だからもし市内でいち早くポリ缶への軽油販売を止める店が現れたら、

そのお店が不利益を被るようなことが起きないように、当店も即追随します。
(ただ、ガソリンですらいまだに消防法適合缶以外への給油を行っている店があるような商圏ですから可能性は低いと思います)

あと消防などから文書で指導があればー
その時にはまた“猫に鈴”のお役目を担わさせて頂こうとは考えております。







PS
申請していた住民拠点SS補助事業の結果が届きました。




>『中核SS等の自家発電機を既に有しているSSが多く設置されている市等より、中核SS等の少ない中小規模市区町村を優先順位付けして選定する』こととしております。

***

ということで、
つまりニュータウン開発に伴い新規出店した(発電機を備えている)大型セルフが多い当市は、今回の選定には該当しないということで、残念ながら補助対象とはなりませんでした。





4月26日燃料油脂新聞より


供給側次第で変わる立ち位置 不安募るSS小売業者
石油販売業者が抱えるさまざまな問題点を「われわれ同業者の声」として進言してきた経緯がある。
しかし「納得できる回答は得られなかった」と周囲に漏らしたこともあり、失望感を抱いていたのかもしれない。
「われわれの立場が一段と厳しくなる施策ばかりが目立ってきた」とも付け加えたという。

***

※地場店はサービスも愛想も悪くなってでも店を続けなきゃいけない。