愛犬マックでお世話になった永井さんからの情報です。
被災地の飼い主さんへの支援活動として
「kusuriyasui.biz」というところから今シーズンのフィラリア予防薬の無償提供をして頂けるようです。
http://archive.mag2.com/0000189953/index.html
被災地で犬を飼っているお知り合いの方がいらっしゃれば教えてあげてください。
愛犬マックでお世話になった永井さんからの情報です。
被災地の飼い主さんへの支援活動として
「kusuriyasui.biz」というところから今シーズンのフィラリア予防薬の無償提供をして頂けるようです。
http://archive.mag2.com/0000189953/index.html
被災地で犬を飼っているお知り合いの方がいらっしゃれば教えてあげてください。
前回の記事に追加するつもりでしたが、やっぱり別記事にします。
地震と津波と原発事故
3月11日の大震災。被災地となった東北関東の太平洋岸のSSでなにが起きたのか。
地元組合の現在までの調査で、全壊SSが210ヵ所以上、浸水が100ヵ所以上、一部損壊・計量機不良などのSSは430ヵ所前後となった。
業界史上最悪の被害である。
そうした中、多くの組合員SSが必死にお客さんへの燃料供給に務めた。
復旧に向けて行政や緊急車両へも全面協力している。
すべてではないがその一部をルポした。
■消えた町、消えた港 瓦礫に埋まるスタンド■
福島県相馬市の松川浦。
漁港の北、松林に囲まれた原釜の住宅地で高橋商店(高橋マサノブ社長)は営業を続けてきた。
そのSSが一瞬のうちに津波にのみ込まれた。
波が引いた後の捜索で、SSにいた高橋さんの奥さんとお父さんの一男さんの遺体が見つかった。
ちょうどその時に荷卸をしていたタンクローリーの運転手さんは、今も行方不明のままだ。
サービスルームの屋根に付けられた「ENEOS」の看板だけが残り、その脇のタンクローリーは土砂と瓦礫に埋め尽くされている。
店の前の4車線あるはずの道路とその周りの住宅は影も形もない。
日本でも有数の漁港である宮城県気仙沼市。
地震と津波、その直後に発生した火災が内陸部まで燃え広がった。
宮城石商の調べでは37ヵ所のSSのうち現在、稼動しているのは4ヵ所しかない。
港の油槽所はなぎ倒され、湾内には焼け焦げた漁船が浮かび、海底にも船が沈没している。
■お客様と緊急車両 仲間たちとの共闘■
大震災に見舞われた各県の石油組合は、それぞれの県市町村と災害時協定を結んでいる。
地震などの災害時に消防車や警察などの緊急車両に燃料を優先供給するという協定である。
今回、この協定に基づいて多くのSSが、実際に緊急車両への供給を実施した。
太平洋岸沿いの多くのスタンドが壊滅したが、その一方で被害を逃れたSSの中で、まず最初に稼動したのが自家発電機を備えた災害対応型SSである。
停電でほとんどのSSが開店休業の状態であるため、わずかに開店している災害対応SSに一気に顧客が集中し、何キロにもわたる車の列ができた。
当初、そうした給油待ちの列を越えて緊急車両がSSに入っていく。
最初は「緊急事態だから」と黙っていた消費者も、何台も緊急車が続くと、SSスタッフに対し次第に不満をぶつけるようになった。
震災発生後72時間は人命優先ということで被災者の病院への搬送や行方不明者の捜索のための緊急車両が多数出動した。
その後は、交通網の復活や生活物資の輸送などに関わる重機やトラックなどが増えていった。
福島県相馬市でも最初、営業可能なSSは一般者と緊急車両双方に給油をしていた。
しかし、次第に給油待ちのお客さんからの苦情やスタッフとのトラブルが増えてきたことから、市内の組合員が集まり、対応を協議した。
その結果、立谷(たちや)商会・相馬中村SSが緊急車両専用にし、一般客はほかの組合員SSで受け入れることにした。
立谷惣一社長は「トラブル防止のためにはやむを得ないと判断した。
しかし、一般客を締め出したことで、いつも来てくれていたお客さんからはきつい目で見られるようになった」と話す。
組合員仲間で相馬市議会議員も務める只野石油の只野敬三専務は「今回は組合員同士の連携で苦肉の対策をせざるを得なかった。
緊急車両への供給について、あらためて今後のあり方を検討しなければならない」と話す。
■油槽所再開への期待 初の5社共同利用へ■
東北の太平洋岸の製油所、油槽所はほとんどが壊滅的な状況に陥った。
その中で仙台市に近い塩釜油槽所は軽微な被害はあったものの、港に沈没した漁船などの浚渫作業が行われ、3月21日には震災後初のタンカー入港が実現した。
同油槽所は元売各社やカメイのタンクが並ぶ。
その中で、出光と東燃ゼネラルが共同利用する桟橋が生きていたことから、石油連盟が主導して、この出光と東燃ゼネのタンクを各社で共同利用するという初の試みを行った。
当初は2000㌔㍑タンカーだったが今では5000㌔㍑タンカーも入港できるようになった。
カメイをはじめ他社の油槽所も着岸可能になり、タンクローリーが走りはじめている。
■「油がない」殺到する電話 組合事務局、昼夜の対応■
「あの日から休みなくやっています」 岩手、宮城、福島3県の石油組合事務局は、11日以来、ひっきりなしに架かってくる役所、公共機関、そして消費者からの電話対応に追われた。
同時に、組合員の安否確認とSSの状況把握が組合の毎日の仕事になった。
架かってくる電話のほとんどが
「重油を病院に持っていってほしい」
「ガソリンスタンドが開いていない。どこに行けば買えるのか」
など緊急施設への燃料補給や一般消費者の問い合わせ。
震災から1週間ほどしてガソリンや灯油不足がより深刻になると消費者が組合事務所に怒鳴り込むケースもあったという。
岩手の野中範夫専務、宮城の菊地耕一専務、福島の小林勝専務らはそれぞれ地元の知事や放送局に対し、県民、消費者向けに冷静な対応をするような呼びかけを要請し、自らも新聞、テレビでコメントした。
原発事故で一層複雑な対応を迫られているのが福島だ。
退避指示や屋内退避などが指示されているため、その周辺の稼動しているSSに対してタンクローリーが行かないなどの風評被害がおきた。
必死にSSを開けているSSからは「営業したくても油が来ない。なんとかならないか」という要請が、元売ではなく組合事務局に寄せられた。
事務局はその店を開けている組合員の熱意に応えるため、必死に調達先を探した。
この状態がこの20日間続いている。最近は、被災を逃れた組合員が事務所を訪れ、「業界のために頑張ってくれてありがとう」と差し入れをしてくれる。
小林専務は「組合員のみなさんからの励ましが我々を支えてくれた」という。
各県事務局とも今週くらいから交代で休みを取るようになったという。
■供給するのは同じ被災者 スタッフ総出でフル対応■
大きな地震の際に常に再認識されるのが燃料の必要性だが、
今回の巨大地震と津波は、ガソリン、灯油などの燃料の必要性、重要性がいままで以上に浮き彫りになった。
開店しているSSにはガソリンを求める車が延々と並んでいる。
SSがタンクが空になったと閉めても、翌朝まで待つ車の列。
震災発生後、被災地からは食料や水などの物資が消え、店もほとんどが閉まった状態。
食料を調達するため、被災地から離れるために、車しか移動手段がないからガソリンを求める消費者。
電気やガスというライフラインが復旧するまでは、灯油が暖房の主役となり、灯油缶を持った顧客がずらりと並んだ。
しかし、SS経営者や給油作業をするスタッフもみな被災者である。
自宅が流れたり崩壊したため避難所から通ってくるスタッフも。
市内で複数のSSを経営するところでは、新たな補給がなかったり、車の列の整理などに要員を充てなければならないため、
稼動するSSを1ヵ所に絞り、スタッフを総動員して安全確保に当たった。
・・・・・・・・・
※今朝の朝日新聞の「この町で生きる」から
『経営するガソリンスタンドを震災2日目から開けている三浦文一さん。
両親とも津波にさらわれ自宅も流失した方が、手回しポンプ1台で営業を続けている。
まだ見つかっていない父も“捜さなくていいから、まず地元の人たちを助けろ”と思っているはず』
やっぱりガソリンスタンドは必要です。
ガソリンや灯、軽油は、
水道やガス、電気と同じようにライフラインでした。
だけど、ガソリンスタンドは元売や政府の施策でかなりの数が減ってしまいました。
地下タンクの法規制で、来年にはもっと少なくなっているかも知れません・・・