masumiノート

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3.11 被災最前線のSS(その1)

2011年04月01日 | ガソリンスタンド


頑張っているスタンドマンの姿を知ってください。
※「ぜんせき」より転載


1、始まった闘い~亘理町
 3/30ぜんせきより

7人の被災スタッフ「手回し」3日間

 東北の仲間が震災と戦っている。
正確な数はいまだ不明だが地震で壊れたSS、津波にのみ込まれたSSが多数ある。
被害を逃れたSSは、遺体捜索や道路の瓦礫撤去などに向かう緊急車両に在庫が突きるまで給油し、次の補給を待っている。

燃料不足が大きくクローズアップされるが「給油しないのではない。
したくてもできないのだ」と歯噛みをする。

それでも被災者である多くのSSマンが、同じ被災者のためライフラインとしての役割を果たそうと必死だ。
未曾有の危機の中、被災各地で多くの石油業界関係者が頑張っている。

そのわずか一部を紹介する。

 ■200m手前で止まった津波
 経験したことのない大きな揺れが続いた。
2分間ほどといわれるが「永遠に続くのではないか」と思うほどの長さだったという。
セールスルームにいたスタッフはみな外に飛び出し、少しでも広い場所に避難した。
同時に停電し固定電話も通じなくなった。携帯電話も混雑し通じない。

しばらくすると津波警報が。
 仙台空港の南に位置する宮城県亘理(わたり)町。
海岸線からおよそ2㌔入ったところに丸山・亘理中央SSがある。
マネジャーの山家(やんべ)政志さんたちはその警報を聞いて山側に避難した。
そして津波が…。
 幸いなことに津波はSSの200メートル手前で止まっていた。
スタッフの安全確認のあと、みんなで家族の安否確認に向かった。
10人のスタッフのうち山家さんを含めて3人の家が全壊し、ほかのスタッフもほぼ全壊や床上浸水などの被害にあった。
親族が行方不明のスタッフもいる。

 ■ローリーで避難所へ灯油
 翌12日、停電で計量機は動かない。
山家さんはスタンドを開けず、たまたま満タンだったタンクローリーに乗って小中学校に設置されている近くの避難所を回りを始めた。
電話が通じないから依頼があったわけではない。
「灯油は足りてますか」と聞いて回った。
「どこの避難所でも心から喜んでいただいた」という。

 13日、停電が続く中で、山家さんは出られるスタッフに声をかけSSを開け、手まわし給油を始めた。
すぐに灯油缶を持つ人が500人、車は700台が列をなした。
1㍑の油を汲み上げるためには重いハンドルをほぼ2回まわさなければならない。
車で寝泊りする人の一晩分の燃料ということで1台10㍑のみに限定したから20回ハンドルを回す。

 ■回し続けた勲章の「血豆」
 集まった7人のスタッフが交代で回し、初日は3㌔㍑、およそ300台に給油するのがやっとだった。
これを同地区の電力が回復する15日の夜まで続けた。
スタッフ全員の手には血豆ができた。

 山家さんは11日以降、スタンドで寝泊りしている。
いま一番ほしいものはとの問いに「風呂に入りたい」と即答。

人力でライフラインを支えてくれた人の声だ。



2、最後のライフライン 4/1ぜんせきより

■無休営業を継続する決断
 地震と津波で300人が死亡し、1180人が行方不明になっている福島県南相馬市。
海岸付近は壊滅状態で、津波が去った後も水が引かず広大な湖になっているという。

 これに追い討ちをかけたのが福島第1原発の事故と風評被害だ。
原発から30㌔㍍の屋内退避圏内になったため約6千人が散り散りバラバラに圏外に避難した。

 この地区で3月11日の震災発生から、いままで無休で営業を続けているSSがある。

常磐線鹿島駅前の商店街にある若盛商店だ。
周辺SSが次々と休業する中、社長の若盛孝之さんと息子で専務の寛さんも一時、避難を考えた。

しかし、未だ自宅に退避している住民がいる。

「この店を閉めたら、その人たちにはだれも給油できなくなる」と営業を続けることを決めた。

 ■人命支えるライフライン
 原発から半径20㌔までは圏外への退避指示で、この鹿島地区を含めた20kmから30km圏内は屋内退避となっている。
この地区がいつ退避指示に切り替わるかわからない。

 屋内に退避している住民は、商店街がほぼ全て閉まっているため車で遠くまで買い物に行くしかない。

役所の職員が若盛商店に並んでいる給油待ちの人たちに聞いたところ、ほとんどが「いつでも逃げられるように満タンにしている」と答えたそうだ。

 若盛さんたちがいま注いでいるガソリンは、地元の人たちの命をつなぐためのものだ。

 40年、50年経ったタンクは補強しろといわれ、4千万円の資金をどうしようと考えていたが、消防からは「なんとか営業してくれ」と頼まれた。
役所からも「南相馬の最後のライフライン」と感謝され、逃げられなくなった。

自衛隊を退官し家業を継いだ寛さん。
いま、お父さんとともにこの町を守っている。
(続く)
※来週、記事追加します。



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こうちゃん曰く・・・

これがスタンドマンやねん。
普段、高いのなんのって文句言われてても、こんな時、動くねん。
店を開けるねん。
アホやねん。
何か使命感みたいなものがあるねん。

しかし、屋内退避と言われている地域で、役所や消防が店を開けろって・・・
どないやねん・・・