「国母は命を救ってくれた」 スノボ仲間が語る素顔
以下asahi.comの記事より抜粋
千葉県我孫子市のプロスノーボード選手、荒井善正さん(30)は訴える。
初めて出会ったのは2000年。プロを目指して練習していたニュージーランドの雪山で、同じ宿に泊まっていたのが小学生の国母選手だった。
この頃からプロで活動。どんな大技もこなして「天才」と呼ばれ、海外遠征を繰り返していた。なのに、荒井さんを兄と慕った。荒井さんも国母選手を「カズ」と呼んで一緒に滑るようになった。
06年1月、荒井さんに異変が起きた。何度も入院を繰り返した末、「慢性活動性EBウイルス感染症」と判明した。骨髄移植をしなければ余命は2、3年だと言われた。
それまでの通院や入院で貯金は尽きていた。骨髄の型が一致するドナーは、骨髄バンクにも見つからなかった。
支えてくれたのはスノーボード仲間。なかでも国母選手は取材を受けるたびに募金を呼びかけ、大会の会場でもファンにドナー登録を頼んだ。
「海外遠征で忙しい中、移動の合間を縫い、入院先の病院に何度もお見舞いに来てくれた」と荒井さんは振り返る。08年夏に骨髄移植の手術を受け、元気になった。「自分を助けてくれる活動が、瞬く間に広まった。極端なことを言えば、カズがいなければ生きていなかった」
・・・・・
国母選手、競技の結果は残念だったみたいだけど、
カッコイイやんか(^^)
以下asahi.comの記事より抜粋
千葉県我孫子市のプロスノーボード選手、荒井善正さん(30)は訴える。
初めて出会ったのは2000年。プロを目指して練習していたニュージーランドの雪山で、同じ宿に泊まっていたのが小学生の国母選手だった。
この頃からプロで活動。どんな大技もこなして「天才」と呼ばれ、海外遠征を繰り返していた。なのに、荒井さんを兄と慕った。荒井さんも国母選手を「カズ」と呼んで一緒に滑るようになった。
06年1月、荒井さんに異変が起きた。何度も入院を繰り返した末、「慢性活動性EBウイルス感染症」と判明した。骨髄移植をしなければ余命は2、3年だと言われた。
それまでの通院や入院で貯金は尽きていた。骨髄の型が一致するドナーは、骨髄バンクにも見つからなかった。
支えてくれたのはスノーボード仲間。なかでも国母選手は取材を受けるたびに募金を呼びかけ、大会の会場でもファンにドナー登録を頼んだ。
「海外遠征で忙しい中、移動の合間を縫い、入院先の病院に何度もお見舞いに来てくれた」と荒井さんは振り返る。08年夏に骨髄移植の手術を受け、元気になった。「自分を助けてくれる活動が、瞬く間に広まった。極端なことを言えば、カズがいなければ生きていなかった」
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国母選手、競技の結果は残念だったみたいだけど、
カッコイイやんか(^^)