masumiノート

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追悼

2010年01月17日 | 日記
阪神淡路大震災から15年が経ちました。

私の住んでいる地域では、それほどの被害はありませんでした。
マンションの壁にヒビが入ったり、ブロック壁が倒れたりはしましたが、死者は出ませんでした。
周りが全て倒壊した被災地の中でもGSだけは無事であったことでお解りだと思いますが、店は、(見た目はボロいですが)消防法のお陰で堅牢な造りになっているので大丈夫でした。

あの日は、激しい揺れで目を覚ましましたが、寒いしお布団から出ずに揺られながらウトウトしていました。
まだ小さかった子供達が「お母さ~ん、怖いよ~」と起き出して来ましたが
「大丈夫やから、ここで一緒に寝とき」と言って自分の布団に入れました。
外では近所の方が出てきてガヤガヤしているのが聞こえましたが、そのまま寝てしまいました。

店に行って始めて、とんでもない災害が起こっていたことを知りました。
砂嵐状態のテレビを目を凝らして見ると高速道路がひしゃげている映像が見えました。

その日は、その話題で持ちきりでした。夕方のニュースでは火災の惨状が映し出されていました。

GSでは、道路の閉鎖でタンクローリーが動けず、油の調達が出来ないという事態が起こりました。
(後から知ったのですが、近隣のGSは皆、臨時休業にしていたようです。)

うちの店は、こうちゃんの人脈で配送ルートの違う他市の同業他社の販売店から油を分けてもらえる事になり、当時の社員さんやフリーターの子たちにも協力してもらい、3台の配達用ローリーで夜中に往復し、灯油を準備することが出来ました。
ひとり10リッターという制限を設けさせて頂きましたが、何とかお客様にご不便をお掛けせずに済むことが出来ました。
幸い、数日で配送が可能になりましたので、夜中に車を走らせるのは2回で済みましたが、当時の従業員には無理を聞いてもらい本当に助かりました。

2,3日すると、ポリ容器や一斗缶が飛ぶように売れました。
被災地にいる親戚などに水を運ぶ人達でした。
うちの店が被災地のために出来た事はその人達に水を分けてあげたことだけで、他には何もしていなくて・・・今から考えると少し胸が苦しいです。

昨夜、震災当時の神戸新聞のドラマをみて、それぞれが自分の持ち場(働き)を守ることの大切さを考えました。
「もうアカンってなるまで、俺も、やりたいんや」という登場人物の言葉に、
私も、「これからは、その時に出来うる限りのことをしていこう」と思いました。