因みに“大魔道師の弟子”に登場した新宿西口高速バスターミナルだが、実際に私が利用したのは2回である。
いずれも、京王電鉄バスと宮城交通が共同で運行している“広瀬ライナー”号に乗った時だ。
それぞれのバス会社に1回ずつ乗った。
今は利用していない。
宮城交通が北陸自動車道で死亡事故を起こしてから、私は抗議の意味で宮城交通の夜行便は無期限利用停止にしている。
哀しいかな、共同運行便に対しては乗客に選ぶ権利が無い為に、京王電鉄バスにまで私の抗議が期せずして波及している形になる。
この“広瀬ライナー”なのだが、車内のサービスについても2つの会社で格差があった。
大きいのは飲み物のサービス。
京王電鉄バスでは、乗車時にペットボトルの飲み物が1人1本サービスされていたのに対し、宮城交通では何も無かった。
また、空席への移動に対しても、京王電鉄バスは運転手の判断でOKしていたのに対し、宮城交通便では窓口で座席の変更手続きをして欲しいと言われたことがある。
恐らく後者の方が正規なのであろうが、2つの会社で大きな違いがあるのに驚いた路線であった。
来月のGW明け、実家の祖母の四十九日法要があるので、また帰省することにした。
たまたまその日がGWの振替連休と重なっていただけで、特に職場に希望休申請したわけではない。
が、もちろんその旨は隊長に伝えておいた。
隊長もまた私の祖母が亡くなった数日後に親父さんを亡くされており、長男として、どうしても四十九日になったらまた帰省しなければならないということもあり、その辺は私に対して嫌な顔ができないのであろう。
私の場合は祖母であるため、実家も私に対して法要参加を促してはいなかったが、まあ、振替連休どこに行く予定も無かったので、ちょうど良かったかもしれない。
御開扉のある日と重なってはいたが、数日後に支部総登山してからまたGW直後に行くのもどうかと思ったので(顕正会から見れば悪い事だが、御宗門的には悪い事でも何でもなく、むしろ登山するべきなのだろうが)。
交通費圧縮の為、往路は夜行バスを予約した。
バス会社は東北急行バス。
東京〜仙台間に初めて長距離バスを走らせた会社である。
その開業年は1962年というから、実に50年以上もの歴史を持つ老舗のバス会社なのである。
新規参入会社は、まずこの会社に挨拶に行かなければならないという業界の掟がある(かどうかは【お察しください】)。
詳しいことは“バスターミナルなブログ”様にお任せするとして、少なくともバス・フリークスが進んで乗るバスであることは事実だ。
実家にメールしたが、特段反対されることは無かった。
これがウィラーエクスプレスとか、桜観光とかの元ツアーバスだったら反対されていたかもしれない。
尚、大石寺登山の時はJRバス関東にホイホイ乗っていたのだが、それが撤退してしまったため、今では富士急静岡バスに乗っている。
実は富士急行の社長は学会員であり(現在もそうなのかは不明)、静岡県側を本体から切り離したのは大石寺に対する嫌がらせという見方を私はしている。
大富士観光を大石寺は潰したが、富士急までは潰せなかったようである……というのは暴論かな。
因みに法華講員が経営している清観光バスは行き残っているが、やはり東北急行バスと同様、堅実な経営をしていた結果であろう。
いずれも、京王電鉄バスと宮城交通が共同で運行している“広瀬ライナー”号に乗った時だ。
それぞれのバス会社に1回ずつ乗った。
今は利用していない。
宮城交通が北陸自動車道で死亡事故を起こしてから、私は抗議の意味で宮城交通の夜行便は無期限利用停止にしている。
哀しいかな、共同運行便に対しては乗客に選ぶ権利が無い為に、京王電鉄バスにまで私の抗議が期せずして波及している形になる。
この“広瀬ライナー”なのだが、車内のサービスについても2つの会社で格差があった。
大きいのは飲み物のサービス。
京王電鉄バスでは、乗車時にペットボトルの飲み物が1人1本サービスされていたのに対し、宮城交通では何も無かった。
また、空席への移動に対しても、京王電鉄バスは運転手の判断でOKしていたのに対し、宮城交通便では窓口で座席の変更手続きをして欲しいと言われたことがある。
恐らく後者の方が正規なのであろうが、2つの会社で大きな違いがあるのに驚いた路線であった。
来月のGW明け、実家の祖母の四十九日法要があるので、また帰省することにした。
たまたまその日がGWの振替連休と重なっていただけで、特に職場に希望休申請したわけではない。
が、もちろんその旨は隊長に伝えておいた。
隊長もまた私の祖母が亡くなった数日後に親父さんを亡くされており、長男として、どうしても四十九日になったらまた帰省しなければならないということもあり、その辺は私に対して嫌な顔ができないのであろう。
私の場合は祖母であるため、実家も私に対して法要参加を促してはいなかったが、まあ、振替連休どこに行く予定も無かったので、ちょうど良かったかもしれない。
御開扉のある日と重なってはいたが、数日後に支部総登山してからまたGW直後に行くのもどうかと思ったので(顕正会から見れば悪い事だが、御宗門的には悪い事でも何でもなく、むしろ登山するべきなのだろうが)。
交通費圧縮の為、往路は夜行バスを予約した。
バス会社は東北急行バス。
東京〜仙台間に初めて長距離バスを走らせた会社である。
その開業年は1962年というから、実に50年以上もの歴史を持つ老舗のバス会社なのである。
新規参入会社は、まずこの会社に挨拶に行かなければならないという業界の掟がある(かどうかは【お察しください】)。
詳しいことは“バスターミナルなブログ”様にお任せするとして、少なくともバス・フリークスが進んで乗るバスであることは事実だ。
実家にメールしたが、特段反対されることは無かった。
これがウィラーエクスプレスとか、桜観光とかの元ツアーバスだったら反対されていたかもしれない。
尚、大石寺登山の時はJRバス関東にホイホイ乗っていたのだが、それが撤退してしまったため、今では富士急静岡バスに乗っている。
実は富士急行の社長は学会員であり(現在もそうなのかは不明)、静岡県側を本体から切り離したのは大石寺に対する嫌がらせという見方を私はしている。
大富士観光を大石寺は潰したが、富士急までは潰せなかったようである……というのは暴論かな。
因みに法華講員が経営している清観光バスは行き残っているが、やはり東北急行バスと同様、堅実な経営をしていた結果であろう。
今使っているハンネは、“ユタと愉快な仲間たち”シリーズの主人公のニックネームから取ったものだ。
ペンネームの方にしようか、それともまた新たに作るか考え中である。
私は最終日組だ。
そちらの支部は大講堂の1/4を埋める程の人数で圧倒的でした。玄関前で寺院名の標識立看板を立て独自の整理スタッフも配置したり、一階ロビーの受付カウンターでは動画撮影みたいな仕掛けが見えまして本格的なんです。
それと帰りの新富士行き路線バスの最終便が4月から20分伸びたんです。
これは我々東海道線、新幹線利用組にとっても一律団体行動する支部登山会にとっても大事な改善点でした。
なぜなら、路線バス最終便15:00頃に全支部員が坊の御本尊様に御挨拶申上げたり、初登山者の感想発表をする、締めくくりの大事な行事が始まるのです。
路線バス組は最終便に乗り込む為やむ無く何時もこの行事を欠席せざるを得ませんでした。
20分伸びたお蔭でこれからはこれに参加できるようになったからです。今回は切符売場で初めて知ったので参加できませんでしたが。
往きは人員が少なかったので新富士組のワゴンタクシー一台、富士駅組のワゴンタクシー一台で大石寺に向かいました。
御登山おめでとうございます。そして、お疲れさまでした。
何しろうちは人数が多いので、ほぼ人海戦術的な所がありますね。
私も最終日は、そんな任務者の皆さんのお世話になると思います。
>帰りの新富士行き路線バスの最終便が4月から20分伸びたんです。
らしいですな。
それまでは富士宮駅行きが最終みたいなものでしたが、それはちょっと使い勝手があまりよろしくない感がありました。
バス会社も色々と考えているようですね。
これで売り上げが伸びたら、それはそれで功徳でありましょう。
私は……正直、まだ往路の交通手段が決まっていません。
復路だけ確保した状態です。
紹介者さん次第ってところですね。
ただいまは、にしきさん宛てのレスです。
バスタ行ってきました。私は今は辞めたけど顕正時代から平成11年位までは日雇ガードマン20年位やってました。警備会社8社転々として生き永らえてきた落ちこぼれです。交通誘導警備で建築土木道路工事の現場を転々としてました。
丁度21年前に新宿バスタを含む南口再開発の小田急側工区に配属されました。解体工事の終盤でしたか。そこからバスタが立ち上がるJR側工区を眺めてました。まだ夜間の基礎杭をやってる段階でしたね。
誘導では帝国警備の隊員に助けて貰いました。甲州街道へ大型車両を搬出しなければならない時は青信号の段階から一般車両を止めなければならなかったから一人では危ないんです。
やっぱり他人に協力してもらわないと成り立たない日々の業務だったと痛感しました。
取り敢えず生業が同じだったと言う感慨を記しました。
にしきさんは2号の勤務でしたか。
私は1号ですが、駐車場業務のある施設にいるので、交通誘導の大変さはよく分かります。
テイケイさんはその辺、業界一のプロ集団ですから、任せて安心ですね。
交通誘導検定2級を取りに行った時、テイケイさんが大勢来られていたのを覚えています。
“バスターミナルなブログ”の管理人さんやその住人の皆様、そして多くのバスタ新宿利用者の皆さんには、にしきさんのような方の陰からの支えがあったことを知って頂きたいと思います。
にしきさんは色々な業務をしていたんですね。
列車見張りは興味がありましたが、行っている会社が限られてるんですよね。
弊社では残念ながら行っておりませんでした。
JR東日本と西日本とでは合図が違うと?
これは初耳ですね。
いや、なかなか知る機会が無いもんだから、良いトリビアでした。