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俳人杉田久女(考) ~『杉田久女句集』序文の問題点~ (84)

2016年11月28日 | 俳人杉田久女(考)

前回の(83)で書いた様に、『杉田久女句集』に添えられた高浜虚子の序文を読むと、この文章は不自然で、序文にそぐわないものに思えて仕方ありません。久女生前に序文懇願を無視したのと同じ気持ちが、まだ虚子の中にある様に感じます。

虚子は久女を「女流俳人として輝かしい存在」「群を抜いていた」と書いていて、彼女の才能を認め、その俳句作品に清艶香華という言葉を贈っています。久女俳句を見抜いた虚子ならではの言葉だとは思います。

がしかし、「久女さんの行動にやゝ不可解なものがあり」や「精神分裂の度を早めた」などとも書いていて、弟子の遺句集を世に送り出すはなむけの序文であるとはとても思えません。

虚子は久女の代表句として十句あげていますが、人にはそれぞれ好みがあるといえばそれまでですが、もっとピッタリくるものが何句でもある様な気がするのです。

例えば、楊貴妃桜の句が三句あげられていますが、久女の句を出来るだけ多く紹介するという立場で考えると、十句のうち三句までが楊貴妃桜の句というのは首をかしげたくなります。

同じ場所で詠まれた、この楊貴妃桜の三句をどうしてもあげたいならば、三句をまとめて配列してこそ、作品効果が出るのだと思います。句の順序も1番目が〈風におつ 楊貴妃桜 房のまま〉、2番目が〈むれ落ちて 楊貴妃桜 房のまま>、3番目が〈むれ落ちて楊貴妃桜 尚あせず〉に当然すべきで、なぜ、この三句の間に別の句をはさむという、こんな配列になっているのか、理解に苦しみます。

それに、2番目にあげている句の〈灌浴〉は、正確には〈灌沐〉です(これは誤植かもしれませんが)。

さらにこの序文の重大な問題点は、高浜虚子はここでもまた事実と違うこと、嘘を書いていることです。

久女の句稿の原本について、虚子は「全く句集の体を為さない、ただ乱暴に書き散らしたものであった」と序文で書いています。しかし、久女の長女昌子さんは、これは事実と違っていると述べています。

昌子さんは著書『杉田久女』に、<私は母の句稿の原本がもし紛失することでもあったらという不安と、又、その原本が墨書であり、句を巻紙に抽出したものであった、ということから、母の亡くなった直後に、原稿用紙に清記しておいたものであった。したがって虚子先生は母の句稿に目を触れられてはいないのだった。>と書いておられます。
<石昌子著『杉田久女』>

昌子さんは虚子に見せたのは久女の句稿の原本そのものではない、昌子さんが原稿用紙に清記したものと断言されています。当時は今日の様に簡単にコピーが出来る時代ではないので、万一久女の句稿の原本が紛失したら取り返しがつきません。なので貴重な原本そのものを、虚子に郵送したりしないのは当然でしょう。

なお、この句稿の原本は(71)の記事の写真にあるとおりで、ずっと久女の長女石昌子さんが大切に手元で保管されていましたが、現在は久女ゆかりの小倉北区の圓通寺に寄贈されています。写真を見てもわかる通り、虚子の言うように<全く句集の体を為さない、ただ乱暴に書き散らしたもの>ではないのは明らかです。

高浜虚子は「墓に詣り度いと思ってをる」という一文と同じように、この序文の中でも久女の狂気を強調したいために、この様な嘘を書いたのだと思われます。

しかし、久女の長女昌子さんは<事実と違うといっても、お願いして書いて頂いた序文を事実通り書き直して欲しいと、私には言えなかった>とその著書の中で書いておられます。それはそうでしょうね。

ですから、昭和27年10月出版の『杉田久女句集』には高浜虚子が書いた序文がそのまま載せてありますが、昭和44年7月に同じ角川書店より出版された増補版の『杉田久女句集』にはこの虚子の序文と悼句は、省かれています。この序文は久女に対する偏見を助長すると、昌子さんは考えたのだと思います。

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