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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~晩年~(72)

2016年09月24日 | 俳人杉田久女(考)

久女が句稿の整理をした翌年の昭和15(1940)年に、彼女は自身を俳句に導いてくれた実兄の赤堀廉行を亡くしました。

そしてその翌年の昭和16年10月には久女の次女光子が結婚し、結婚式に上京、この時鎌倉在住の長女昌子さん方に泊まったようです。『杉田久女句集』の最後には昭和17年光子結婚式に上京 三句 の前書きがあり、次の3句が置かれています。

      「 歌舞伎座は 雨に灯流し 春ゆく夜 」

      「 蒸し寿司の たのしきまどい 始まれり 」

      「 鳥雲に われは明日たつ 筑紫かな 」

この3句は研究者を悩ませているようです。というのは、実際は次女光子の結婚は昭和16年10月なのに句には昭和17年の前書きがあること、句には「春ゆく夜」となっているのに結婚式は10月だったなどです。なので、この3句は次女光子の結婚の折に詠まれた句ではないとしている研究書も多々あるようです。

二人の娘が片付いた昭和16年の秋には久女は母としての務めも終わり、同人除名という痛手を負い、生きる希望もないと言いながらの日々であったとしても、気持ちにホッとしたものもあったでしょう。

除名後の苦しい胸のうちを誰に話すすべもなく、泣き言を言うことも嫌いな久女は、自身の句や身辺の整理をする一方、考え出すと苦しいので、思ったことを吐き捨てる様に書くと、少し気が鎮まると昌子さんに話したそうです。

翌年の昭和17年には夫、杉田宇内の父杉田和夫が亡くなり、その後しばらく夫の郷里松名で過ごしました。

昭和18(1943)年頃から大東亜戦争がますます苛烈になり、空襲警報が鳴ると夫は学校に警備に出かけて行き、久女は大切な句稿を風呂敷に包んで抱え、一人で防空壕でうずくまっていたようです。

配給だけの生活ながら、時折卒業生が野菜などを届けてくれると、この頃の年譜にあります。


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