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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

小池真理子著:『望みは何と訊かれたら』

2019年03月08日 | 読書

時々読ませて頂いているブログに、パリ、9区にあるギュスターヴ・モロー美術館には美しい螺旋階段があり、小池真理子さんの『望みは何と訊かれたら』という小説の中で、50代になった主人公二人が30数年ぶりに、この螺旋階段で偶然再会する設定になっているという記事がありました。

パリで偶然再会という筋書によわい上に、加えて、その場所がパリの美術館の美しい螺旋階段というロマンチックさに心惹かれ、早速この本を図書館から借りて来ました。小池真理子さんの小説を読んだのは今回が初めてで、読む前は何だかワクワク気分でしたが...。



読んでみての感想ですが、何ともあと味の悪い小説でした。私が学校を卒業した直後によど号事件が起き、2年後に浅間山荘事件が起きました。確かにこの小説の様な時代はありましたが、この本は学生運動に於ける男女の恋愛を描いたものではなく、そこから逃げ出した沙織と彼女をかくまった秋津吾郎との数ヶ月間がテーマとして描かれています。

この二人はその数ケ月間、恋人だったのでしょうか、それとも同志、あるいはただの男女だったのでしょうか、何とも不可解な関係で、奇妙な生活です。本の後表紙には、身体も魂も貫く究極の悦楽を描きつくした著者最高の恋愛小説と書かれていますが、ここに描かれたのは恋愛と呼ばれるもとは違う気がします。

この二人は別れてその後、別々の普通の人生を歩いて行くのですが、約30年後にパリの美術館の螺旋階段で偶然再会します。帰国後また会う様になり、30年前同様の奇妙な関係が始まってまもなく、秋津吾郎は沙織に訊きます、「望みは何?」と。

ここでこの小説は終わるんですよ。不可解で不思議です。
私はこの秋津吾郎の問いへの沙織の答えを聞きたい思いにかられます。

(本の表紙は、赤いバラと秋津吾郎の部屋にあった彼の父の形見の標本の青い蝶で、赤いバラは沙織を、青い蝶は秋津吾郎を、それぞれ表しているのでしょうね。)