九州北部の当地は今、一年中で一番すばらしい季節を迎えています。暖房が必要なほどではなく、空気は適度に乾燥し、朝晩は冷っとして、昼からは少し気温が上がる、そんな気持のいい日々が続いています。
空は高く、時には鰯雲、向かいのマンションの端からのぞく美しい夕日、空気の澄んだ夜の神々しい程のお月さまなど、日本の秋の風情を心ゆくまで楽しみたいと思うのはいつものことですが、ついつい日常の忙しさに取り紛れて、いつの間にか時間が過ぎてしまいます。
そんな時、俳句のひとつもひねり出せれば、季節に対する感受性もまた違ってくるのですけれどね。70歳を過ぎた身となった今では、あと何回こんな素晴らしい秋の日々が過ごせるのかな~なんて、ついつい考えてしまう自分に焦りさえ感じます。
昨日はひどい状態になっている、狭庭の花壇の整理をしました。千日紅や百日草もまだ残っているので、すっかり秋の花壇にというわけにはいきませんが、夏と秋が混在した混沌とした庭の感じになりました。
家の近くの公園の萩を見ると、黄色くすっかり紅葉したのもあれば、まだ小さな萩の花を付けている木もありで様々です。秋から、次第に冬に移って行く、自然の大きな流れの中で、自然と共に私達も生きているのですね。
秋風や 眼中のもの 皆俳句
高浜 虚子