いつも通っている福岡市早良区藤崎の明治通り沿いを通りかかった時、ビルとビルの谷間に見物のひとだかりが出来、埋蔵文化財の発掘作業をしているのが目に入りました。
見ると甕棺などが一部出土し、発掘作業が行われている最中でした。今まで発掘現場を再現したものは遺跡公園などで見たことがありますが、実際に発掘中の現場を見るのは初めてです。珍しい光景にワクワクし、家に帰りカメラを持参して再び駆けつけました。
現場責任者の方の説明によると、明治から大正時代にかけて、この辺りからは弥生式土器や石棺墓が発見されたりなど、遺跡が多いことはよく知られていたそうですが、昭和52年の地下鉄工事にともない発掘調査が行われ、100基を越す甕棺墓などの埋蔵がわかりました。今回私が遭遇した発掘作業もその発掘調査の一環の様です。
この辺りは今でも海に近いですが、弥生時代はもっと海に近かったはずです。甕棺などが出土した場所は砂地で、発掘作業は比較的やりやすそうに見えました。出土場所の深さは、現在の地面から1m位下に掘った所からだそうで、かなり浅い所に埋まっているんですね~。
甕棺は死者の埋葬に使われるものなので、人骨も一緒に出土すると思われがちですが、2000年以上の時が流れているので、甕棺が埋まっている場所の環境によって違いはあるそうですが、ほとんどの場合、中に人骨は発見されないという事です。
当時の人々が食べた後の貝殻や魚の骨なども、途方もない長い時間の経過で跡形も無い事が多いそうですが、その場の条件がよければ時々埋蔵品として出てくることもあるそうです。
発掘作業をされている方々は、刷毛で埋蔵物の周りの砂を取り除きながら、丁寧に仕事を進めておられ、立ったり座ったり重労働だなと感じる仕事振りでした。
同じ発掘現場で、江戸時代の井戸の発掘も行われていました。下の写真の少し砂地がこげ茶になっている部分がそれです。江戸時代の人々は、多分何も知らずに、弥生時代の遺跡の上に家を建て暮していた事になりますね。そして現代の私達も、下に遺跡があると判っている場合があるかもしれませんが、その上で日々の暮らしをいとなんでいるんですね~。何千年前から営々と続いてきた命の流れを思うと不思議な気持になります。
自分の身近で、2000年以上前の物が目の前に現れるなんて、壮大なロマンを感じますね~。
ps このブログの埋蔵文化財の発掘現場は福岡市早良区藤崎1丁目1番です。
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