日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

法然院

2011年05月14日 |    京都(2011)

今回の京都旅行中には法然院にも行きました。哲学の道から一歩山手に入った鹿ケ谷にありますが、今までの旅行の折、何回も前を通りながら、行かずじまいに終わっていました。

趣のある藁葺きの山門をくぐると、両側に「白砂壇」と呼ばれる長方形の白い盛り砂があります。これは心身を清めて浄域に入る事を意味するのだそうです。参道を進むと本尊が安置されている本堂で、ここは非公開でした。

Photo_10 <法然院 山門>

法然院は谷崎潤一郎のお墓がある事でも知られています。作家、文化人が時々エッセーなどで取り上げている、そのお墓に私も行ってみたいと常々思っていました。

法然院の墓地はそんなに広くはなく、比較的奥まった所に、そのお墓はありました。写真でわかる様に敷地内に二つの自然石の墓石があり、左の寂と彫ってある方が谷崎夫妻のお墓だそうです。この寂という字は生前本人がそれ用に揮毫していたものだそうで墓石の左下に潤一郎書と彫ってありました。二つの自然石の墓石の間には、葉桜になっていましたが一本の紅枝垂桜が植えてありました。右は谷崎夫人の妹夫妻のお墓だそうです。

Photo_9 <谷崎潤一郎お墓(左)>

エッセーではお墓の素朴なたたずまいと、その人となり、作品のイメージが合わないなどと書かれたものが多いですが、紅枝垂桜が咲いた時はイメージ通りの華やかなお墓になるのではと思いました。

 

 

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西本願寺飛雲閣 書院

2011年05月14日 |    京都(2011)

5月9日からの京都西本願寺の飛雲閣、書院の特別公開にあわせて、夫と京都に行ってきました。

西本願寺は京都市を南北に走っている堀川通りに面して総門が立っていますが、その広い境内には国宝級の建物が沢山あるんですね~、驚きました!

今年の4月から親鸞聖人750回大遠忌法要が行われており、境内は多くの門徒の方々で溢れていました。

国宝飛雲閣は境内の南東に建っていて、金閣、銀閣とともに京都の三名閣の一つで、聚楽第を移築したとも言われているそうです。何故か外からの撮影も禁止で、下の写真はネット上からお借りしたものですが、写真で見るとおり三階建ての左右非対称の造りで、二階外部の板戸に歌仙が描かれたりなど珍しい建物ですね~。屋根が桧皮葺なのも、柔らかい印象を見る人々に与えていると思います。

中には入れませんでしたが、滄浪池(そうろうち)と呼ばれる池に面して建てられていて、お庭も又素晴らしいものでした。

Photo_3 <飛雲閣>

国宝の書院は伏見城から移築したといわれ、桃山建築の粋が集まったものだそうです。内部は上段、下段あわせて203畳の対面所と、白書院、控えの間などに分かれています。対面所は雲と鴻を透彫りにした欄間があることから「鴻の間」とも呼ばれ、小柄な秀吉を大きく見せるために、逆遠近法を使って描かれたと考えられている障壁画や、狩野探幽筆と伝えられる天井の貼付絵などで装飾されていました。上段には一段高くなった上々段があり秀吉(移築後は西本願寺門主)がここに座り、下段のお客様を謁見したのでしょう、きっと。

この対面所の造りは熊本城の「招君の間」に何となく似ている様な感じがします(こちらは出来て間もないですが)。

この書院は、その昔の豪華絢爛さは今でも充分に想像出来ますが、あまり当時から手を加えられていないようで、絵の色も落剥気味でした。傷まないような配慮だと思いますが、照明もかなり暗く抑えられています。

ここも写真撮影禁止で、ネット上にも適当なものが無かったので写真がありません。ぜひ特別公開の時に見学なさってみてください。桃山時代の特権階級の栄華が偲べる建物だと思います。

飛雲閣、書院は通常は非公開なのですが、今回は期日を限っての特別公開でした。

 

 

 

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