”赤羽岩淵とか新宿とか馴染みある場所だらけで、敢えて聖地巡礼するまでもない。”(天気の子)と言ってみた。
たとえば、六本木ヒルズ52階の東京シティビューは、
阿闍梨(高校時代からの友人、現住職。)が来京した時に案内した場所だ。
(龍の昇る頂にて)
【聖地巡礼】天気の子 で舞台となった東京都内を訪れてみた。~Weathering With You
しかし、山手線の田端駅にはこれまで降りたことがなかったので、
この機会に田端駅で降りてみることにした。
田端の駅は予想通り地味な駅舎なのだが、
映画祭りのようだった。
穂高、いや帆高(僕)が晴れ女である陽菜(ひな)の住む田端駅の傍の坂道で出会うシーン。
どんなに雨に打たれても、僕たちは生きている。
どんなに世界が変わっても僕たちは生きていく。
「この世界がこうなのは、だから、誰のせいでもないんだ。」
世界は、ただ最初からあるがままに狂っていたんだ。
違った、そうじゃなかった。
世界は最初から狂っていたわけじゃない。
僕たちが変えたんだ。あの夏、あの空の上で、僕たちは選んだんだ。
そして、僕たちは願ったんだ。
世界がどんな形だろうと、そんなことは関係なく、
ただ共に生きていくことを。
髄液検査の結果は陰性(癌細胞は髄液からは検出されなかった)だった。
3W前に検査を受けて結果が分かる1W後に急を要する事態であれば連絡がある筈なのに、
何も連絡がないので、おおよそ察しがついていた。
そんな近頃は、ただひたすらに生きている。
”世界がどんな形だろうと、そんなことは関係なく、ただひたすらに生きていく。”
そういえば、新海監督の前作の時も聖地巡礼したのは通院帰りだった。(君の名は。~ 聖地巡礼つき)
ビルの天辺の看板に、”あみ印”の文字が確認できる。
夕立あがりの空に晴れ間が戻ってきた。
天気の子。私も晴れを望む。
「老若男女が足を運ぶ夏休み映画にふさわしい品位を」的なことはもう一切考えなかった。
遠慮も忖度(そんたく)も慎重さもなく、バッテリーが空になるまで躊躇なく力を使い果たしてしまう主人公たちを、
彼らに背中を叩かれているような心持ちで脚本にした。
自分なりに心を決めたことがある。
それは、「映画は学校の教科書ではない」ということだ。
むしろ、教科書では語られないことを、
例えば人に知られたら眉をひそめられてしまうような密やかな願いを、
語るべきだ。
それこそが僕の仕事だし、もしもそれで誰かに叱られるのだとしたら、
それはもう仕方がないじゃないか。
僕は僕の生の実感を物語にしていくしかないのだ。
抜き書きしながら、新海監督のサインが本のカバー裏にあるのに気づく。
これは貴重だ。平積みにしてある本だったのに
「天気の子」クライマックスシーンを公開 ZIP!
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