私は以前に余計なお節介のメタボ特定検診でこの制度がいかに無意味なものであるかを次のように論じた。
《「高齢化が進み、膨らむ国の医療費を抑えるため」というのがまず気に入らない。高齢化が進むと医療費が嵩んでくるのは当たり前のことではないか。医療費の適正化は大いに結構、でも要るものはいるのである。あとは医療の現場で過剰診療にならないよう心がければ済むことある。》
さらに健診を始めることにより生じる新たな費用負担の不合理なことを指摘した。
5月8日の朝日朝刊に長野県泰阜(やすおか)村村長松島貞治氏の「メタボ健診 医療費抑制は期待できない」との意見が寄せられていた。《わが泰阜村の経験から言って、この特定健診で医療費の抑制はできない考えている》と断言されているのである。その考え方の根底にあるのは次のようなきわめて常識的な見方である。
《特定健診の基本的な考え方とは、数値の悪い人に保健指導をしてメタボを減らせば、生活習慣病も減り、医療費が減少するということである。ここで欠落しているのは、人間はだれでも老い、死を迎えるということだ。保健指導を徹底すれば人間は老いないのだろうか。病気にならないのだろうか。メタボに該当しなければ、医療費をかけずに死を迎えられるのか。》(強調は引用者)そして《高齢化率38%の山村で高齢者の介護や医療を見続けてきた者として、特定健診になぜ期待をかけるのか理解できない》とまで仰る。
《健診費用は一人8千円程度になりそうだ。三分の一程度の本人負担があるとしても、国や自治体の負担は大変な額だ》と新たな費用発生を具体的に指摘された上で、この費用を健診でなく在宅支援にまわし、単に延命ではなく幸せな最後を迎えられる終末期態勢をつくる方が、高齢者にとっても幸せであり、本当の老人医療費抑制対策になると提言される。
特定健診の効果が期待できないからと泰阜村では実施見送りを考えているそうであるが、そうなると国の定めたルールで村が後期高齢者医療制度に対して負担する額が200万~300万円増加する可能性があり、どうすべきか苦慮しているとのことである。
メタボ特定健診は費用対効果を無視している点では、補助金を餌に自治体に無益な大型施設などの建設を強いて、結果的に住民に莫大な赤字を負担させるに至ったこれまでの箱物行政の医療版であると言ってよい。松島氏のように現場を識る自治体首長が多く現れて国に立ち向かい、いやがる人間(とくに女性?)の腰の周りを測りまわるような愚行を骨抜きにしていただきたいものである。