日々是好日

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朝青龍問題 日本相撲協会は『皇民化教育』を廃すべし

2007-09-02 17:38:02 | 在朝日本人
朝青龍がモンゴルに帰った。昨日(9月1日)のテレビでは3週間たったら日本に帰ってくるようなことをいっていたが、母国で第二の人生を歩む方が彼にとっても、日本相撲協会にとってもよいのではと思う。私の思うところ、外国人力士に『国技』とされている相撲とらせること、それも最高位の横綱をそつなく勤めさせるのはどう考えても無理がある。それは日本相撲協会のやっていることが、かって日本が朝鮮人(台湾人にも)に植民地政策の一環として押しつけ、いまだにその恨みをかっている『皇民化教育』と共通しているからである

今や『皇民化教育』のことなどご存じのない方のほうが多いと思うので、すこし説明をしたい。

私は昭和15(1940)年の夏朝鮮に渡り、翌昭和16年4月に国民学校に入学し、敗戦後の昭和20年11月に日本に引き揚げてきた。国民学校5年生であった。今のソウル、その頃の京城で私は国民学校に通っていたが、朝鮮人の生活は垣間見ることはあっても直接的な接触は皆無に近かった。日本人社会の中だけで十分生活できたからである。同じ学級に朝鮮人がいたかも知れないが、姓名では分からなかったと思う。というのも日本式の名前を名乗らない朝鮮人が、いわゆる日本人学校に入学を許されるはずがなかったからである。

朝鮮人には朝鮮人固有の姓名がある。現在はハングル文字が使われてわれわれもキム・ジョンイルのようにカタカナで表すが、その頃は金正日と漢字が使われていた。ところが昭和15年2月11日に施行された改正朝鮮民事令により、朝鮮人は朝鮮人固有の姓名をやめて日本式の名前を名乗らないといけないようになった。これが創氏改名と云われるものである。

創氏改名は法律的には強制ではなかった。しかし創氏改名をしない朝鮮人の子弟は各級学校に入学させない、各級公的機関にも採用しない、各級行政機関はそのような者の事務を取り扱わない、食糧をはじめすべての配給対象から除外する、労務徴用を最優先にするなどの圧力がかかったものだから、新しい日本式氏名の届け出期限の8月10日までに全戸数の80%(約322万戸)が届け出たという。

儒教の教えが浸透していた朝鮮では、祖先伝来の姓を変えることは「換父易祖」といって不孝の最たるものと考えられていたから、抵抗も多かった。最近復刊された梶山季之著「族譜・李朝残影」(岩波現代文庫)に収められている「族譜」は、創氏改名に最後まで抵抗して遂に自死を選んだ地方の大地主、両班(ヤンバン)を扱った小説である。当時日本人が朝鮮でどのようなことをしていたのか、その一端を知るためにもこの本をぜひ読んでいただきたいと思う。たとえ知らなかったとはいえ、圧制者であった日本人と歴史を共有している私は、学生時代にこの小説を読んだ時に脳裏に刻まれた『負い目』から一生逃れられない宿命にある。



戦後、昭和天皇が皇太子(今上天皇)の家庭教師にアメリカからクエーカー教徒のElizabeth Gray Vining女史を招いた。その意図とか経緯とかは覚えていないが、どこからか伝わってきた話で記憶に残っていることがある。Vining女史が英語のクラスで生徒をアメリカ風の名前で呼ぶことにしたそうである。ところが皇太子が確かJimmyと呼ばれたときに「私はJimmyではありません。明仁です」と仰ったとのことだった。これが本当の話なら、たとえ便法であれ一国の皇太子に対しその様な非礼(と私は受け取っている)を働いたたVining女史は即刻馘首にされるべきであったと思うが、それ以上の非礼・非道をかっての日本は朝鮮人に対し働いてきたのである。

創氏改名はその頃の朝鮮総督南次郎陸軍大将が推し進めた「内鮮一体」政策の一つであった。「内鮮一体」の「内」とは内地、すなわち日本のことで、「鮮」は朝鮮のことである。日本の植民地政策としては最初から「同化政策」がとられた。英国が印度を植民地としたように、従来は白色人種が有色人種を支配するのが常態であった。この場合は「同化政策」という発想がおこるよしもなかったが、日本人と朝鮮人と人種的にもまた歴史的にも近縁にあったことが、「同化政策」との発想を呼び起こしたのであろうか。

「同化政策」を一口に云うと朝鮮人の日本人化である。当時の日本人は天皇の知ろし召す国、皇国の臣民であったから、日本人化は皇国臣民化、約めて『皇民化』であった。この『皇民化政策』の具体的な方策が創氏改名に止まらず、朝鮮語を廃して日本語を強制し、日本の神社への参拝強要に及んだのである。結局朝鮮人を日本の戦時動員頽勢に組み込むためだったこともあって、朝鮮人の心に消えることのない『恨み』を刻みつけてしまったのである。

前置きが長くなったが、これからが本題である。

私の目から見ると日本相撲協会が外国人力士にやっていることは、まさにこの『皇民化教育』なのである。国技がどれほど実質的な意味を持つのか私は知らないが、「新明解」に国技とは《その国の伝統的な武術・技芸・スポーツなど。日本では、すもう。》と書かれているくらいだから、相撲は伝統継承の側面が強いということはわかる。しかし伝統を引き継ぐということを素直に考えると、それが出来るのはその伝統を生み出した国の国民に限られるのではなかろうか。少なくとも私はそう思っている。

日本相撲協会も多分そう思っているからこそ、外国人の日本人化を考えたのであろう。外国人そのものとして扱うのではなく、蒙古名を持っているモンゴル人に朝青龍という名を与えた。創氏改名である。プロ野球やサッカーでは外国人選手・監督とは通訳を入れて意思の疎通を図るのが当たり前なのに、大相撲では日本語がわからないとどうにも身動きができない状況が当たり前とすることで、外国人力士に日本語の使用を強要している。さらに明治神宮での奉納土俵入りが代表するように、日本の神社への尊崇を押しつけている。まさに『皇民化教育』そのものである。日本相撲協会が『皇民化教育』と認識しているのかどうかはいざ知らず、外国人力士の日本人化でもって国技の継承者とすることは、国民に対する言い訳に過ぎない。

外国人力士がどのように日本に入ってきたのか、その経緯はさまざまであろう。しかし50年も経てば、甘言に騙されて日本に連れてこられたと愚痴っている元外国人力士の姿が目に映るようだ。

考えてみれば直ぐに分かる話ではないか。年端もいかない外国の若者が、異国である日本の伝統を受け継ぎそれを護り次代に伝えていくという殊勝な考えを、自分の国にいるときからどうして持てるのだ。そんなことをいう前にもっと自分の母国のことを考えよ、といい諭すのが常識のある大人のすることではないか。若いうちから母国を逃げだそうと考える外国人を、日本人化でなんとか誤魔化しているのが日本相撲協会なのである。

彼ら外国人の真意が金儲けであり相撲はあくまでも出稼ぎの手段である、と私は断言して憚らない。それを知りながら、もしくは金儲けを餌に日本相撲協会は過去に破綻した『皇民化教育』を外国人相手に性懲りもなく続けている。いいかげんその愚かさに目覚めて『皇民化教育』をそうそうに止めるべきであろう。

大相撲が日本人力士だけでやっていけるのか。日本相撲協会が乾坤一擲の勝負にでる気構えがあるのなら、その再生の秘策を伝授するに私はやぶさかではない。