研究者が論文を発表する際に著者は誰で順番がどのようになるのか、その判断基準を極めて率直に現場の研究者が
ブログに公表しておられる。東北大学大学院医学系大学院教授の大隅典子さんで、その一部を引用させていただく。
《さて、今回の論文について言えば、最終的に何人の著者になるのかは、まだ決定されている段階ではありません。
Main contributorsは二人います。
データの貢献度としては、その研究に関わった時間経過の違いもありますので、片方の人の方がより大きいと判断できますので、筆頭著者としてはequally contributedではありません。
データを出すということについていえば、直接は実験をした訳ではありませんが、私はさまざまなsuggestionsをしています。
また、研究の方向性を決めたり、研究費を獲得し、研究場所を提供しているのは私です。したがって、私はlast authorとしての資格が十分にあると思われます。他に、試料等を提供して頂いた方も共著者に加わることになります。》
紫色フォントで強調したのは私であるが、この部分は研究室を主宰する教授として自然な考えが出ていて、ほとんどの研究者は異論を抱かないだろうと思う。それほどまで『学会』に定着した考えなのである。しかし私はそれにあえて異論を唱えてみようと思う。それは3月31日のブログ
「捏造論文問題 疑わしきは罰せよ」で私が述べたように、《自分で実験をしない、その実、実験をもはや出来なくなった教授の存在が『捏造論文』の横行を許している》と考えているからである。
以下、大隅教授の文章を引用させていただくが、これは持論を進めるための取っかかりとするだけのことであって、教授を個人的にとやかく申し上げる意図はこれっぽちもないことを最初にお断りする。もう一つ、私は国立大学時代の人間であるので制度の理解が現行のシステムとはそぐわない面もあるかも知れない。しかし問題の本質を論じる妨げにはなるまいと思うので私の異論を述べていく。
①《研究場所提供》
教授になり諸々の制約から解放されて一つの研究室を主宰する。大きな喜びであり新しい研究への意欲が掻きたてられる。研究室の整備から始まり実験器具、薬品、高価な装置を揃えていく。国立大学であれば校費だけで大きな実験装置の購入は到底不可能であるので科学研究費などを申請して資金稼ぎに励む。そのようにして作り上げた研究室だから当然愛着も生まれてきてわが子のようにも思えてくる。『自分の城』なのである。だからこそ《研究場所を
提供》とする発想が出て来たとしても頷けないことはない。ところがこれが間違いなのである。
国立大学であれば土地建物は国有財産で個人のものではない。もちろん研究室も私物ではない。国有財産の管理システムの一環として研究室に管理責任者は置かれるが、これは元来火元責任者としてのものであり、その場所の使用を許可する権限のものではない。あくまでも国有財産が損なわれることのないように管理責任を負うのである。
大学院生がある教授の指導を受けるということは、授業料を払っている大学院生の権利であって、正当な理由がない限り教授はそれを拒否することは出来ない。また大学の組織上、教授の研究グループに助手などの教官が加わっている場合にも研究場所を提供しているのは教授ではない。たとえばある教授が定年退官を迎えると教授以外の教官が全員残っている研究室に新任教授が着任することがある。この新任教授から在来の教官が《研究場所を
提供》された、という発想は起こりえない。
神社などの縁日に屋台が出る。このごろはどうなのか知らないが一昔前はその場所割りなどを仕切っていたのはいわゆる『ヤーサン』であった。自分の持ち物でもないものを使わせてやると恩をきせて場所代をとるのである。これは《研究場所を
提供》する見返りに論文に名前を載せろの『ヤーサン』版とも云える。
②《研究費を獲得》
研究費の獲得は教授のみならず研究者全ての重要な仕事である。科学研究費をはじめとして少しでも可能性のあるところに研究費を申請する。この作業に費やす時間・労力は中途半端なものではない。場合によっては年中この作業で精一杯という教授も珍しくはない。私は贅沢の一つとして定年退官の2年前から研究費の新規申請を止めたがその時の解放感はえもいわれぬものだった。
科学研究費の申請でもいろいろと問題があった。私は幸いにもいい環境に恵まれて助手の時代から自分のやりたい研究テーマで研究費を単独名で申請し何回かに一度は成果があった。現在は若手研究者の育成が真剣に考えられて研究者本人が自分の名前で申請することが当たり前のようであるが、かっては申請書に教授の名前を載せることを当然とする風潮があった。
若手研究者が自分の名前で研究費を申請するというのは分かりやすい。自分でやりたいことを書き、それが認められたら自分で研究を推し進めればいいからである。若手と同じく自分で手を動かせて実験を行い、データを整理、解析し論文をまとめる、これが出来る教授は、多分希有の存在であろうが、何の問題もない。ところが手の動かせない教授が研究費を申請するとしたら問題が起こる。自分でやれない以上他人を当てにせざるを得ない。この教授にとって研究はもはや『自分でやりたい』ではなく『人にやって貰う』ことになっているのである。いわば工事現場の現場監督のようなもの、手を出さずに口を出す。それも口を出せるのならまだましで、研究室に出ても皆が何をやっているのやらさっぱり分からなくなり、認めたくないが邪魔者扱いされてそのうちに教授室に閉じこもってしまう。
《研究費を獲得》というといかにも最もらしいが、所詮他人を当てにしての作文で、申請資格に年間実働実験時間の制約を持ち込むと無資格教授が続出するであろう。高級セクレタリーの浄書のようなことは論文の著者うんぬんとは縁のない話である。
③《研究の方向性を決めた》
人間の考えて似たり寄ったりのものである。こんなことを考えついたのは世界で自分ただ一人、と思って自信満々になれることは研究者冥利ともいえるが、蓋を開けてみると世界のどこかで同じ時期に同じような内容の論文が発表されるということが稀にはある。私も現役時代に二度ほどそのような経験をした。
研究に駆り立てるモーティベーションは『アイディア』であると思う。世界で唯自分だけがと思いたい『アイディア』が湧いてきたとき、私は自分でそれを確かめてみたかった。それが研究者というものであろう。その確認が自分で出来ずに他人に依存すると云うことは研究者からの引退を公言しているようなものである。
《研究の方向性を決めた》というのは私には漠然としていてイメージが湧いてこないので、『アイディア』を出すというように言い換えたつもりであるが、多分内容的には大きくかけ離れているのではなかろうか。犬が立木におしっこをかけまわって自分のテリトリーを宣言するようなものなのだろうか、と想像する。
《研究の方向性を決めた》とは『教授』というポジションが云わせるだけのことであって、それがまかり通るのは黄門さんの印籠に皆がひれ伏すようなもの、旧来の陋習がなせる技である。
改めて念を押すまでもないが、
私が問題にしているのはあくまでも『自分で実験をしない、その実、実験をもはや出来なくなった教授』なのである。自分の研究室があっていいアイディアも浮かび研究費もそこそこある。このように恵まれた研究環境にある教授が自分で手を下さないなんて私には信じられないのである。自分の研究を聴き知った大学院生をはじめとする若い仲間がわが門を叩いてくれる。共に実験をしデータを解析して議論を重ね研究テーマの求める解答を見いだしていく。これこそ研究の、いや人生の醍醐味ではないか。もちろん『捏造』の入り込む余地なんぞはこれっぽちもない。なぜ未練もなく現役の研究者をはやばやと引退する教授がいるのだろう。それにもかかわらず論文に名前を載せることに執着する。ここにauthorshipの形骸化が生まれる。
手を出さずに口を出すだけの教授でも遇する道はある。貴族教授と敬称させていただくが私もそのような方と話をしていて研究上の有益な刺激を受けたことも多く感謝の気持ちから論文で謝辞を献じさせていただいたこともある。貴族教授は伯楽に徹すればいいのである。