日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

チャールズ・ジェンキンスさんと「The Green Green Grass of Home」

2005-06-18 16:48:34 | 音楽・美術
♪The old home town looks the same
As I step down from the train
And there to meet me is my mama and papa
Down the road I look, and there runs Mary
Hair of gold and lips like cherries
It's good to touch the green, green grass of home


ご存じカントリー「想い出のグリーン・グラス」の歌い出しである。

曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんが家族と共に米国に渡り、40年ぶりに、故郷ノースカロライナ州で暮らす母親と妹などと再会を果たしたニュースに、この歌を連想した人も多いのではなかろうか。夢に見た故郷、家族との再会である。

私はこの程度しか歌詞を憶えていないが、それでもこのメロディーを耳にすると、かって2年ほど暮らしたアメリカへの懐かしさが甦るってくる。ところが、この度、あらためてこの歌のことを調べると、単にノスタルジアに浸るだけではない、ある仕掛けのあることが分かった。

♪I awake and look around me
At the four gray walls that surround me
And I realise that I was only dreaming
For there's the guard and there's the sad old padre

「目が覚めて辺りを見まわす
 私を取り囲んでいる灰色の壁を
 そして夢を見ていたんだと気づく
 そこには看守と悲しげな年老いた神父が立っているのだから」

そう、この歌い出しは死刑囚が処刑前夜に見た故郷の夢だったのである。
となると望郷の思いがようやく実現したジェンキンスさんに、考えようによっては引っかかりのある歌を結びつけて悪かったかなとも思った。もっともその一方ではCurly Putmanがこの歌を発表したのは1965年、既に北朝鮮での生活が始まっているジェンキンスさんが何らかの機会にこの曲に接したとしたらどのような思いを抱いたであろうか、などと想像を広げてもみたのだが。

その故郷の人々の反応をテレビ報道で観て、アメリカ人が脱走の罪を犯したジェンキンスさんに厳しい目を向けている現実をあらためて知らされ、何事も風化させて『理』を『情』で置き換えるのが得意な日本人とのギャップを思い知った。

ジェンキンスさんには『故郷は遠きにありて想うもの』のほうがよかったのではないか、と思ったりもする。しかし、僅か6年間住んだだけで現地の人の必ずしも好意的ではない目を意識しつつも朝鮮の旧居跡を訪れざるを得なかった私には、ジェンキンスさんの心情が痛いほど理解できるのである。

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