日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

八百長相撲を興行に取り入れたらよいのでは

2011-02-05 14:26:39 | Weblog
今回の八百長相撲について影響力のありそうな人の発言で引っかかることがある。まずは次の発言である。

NHK会長「これまでとは次元が違う」 相撲八百長問題

 「土俵の中で起きた重大な問題だ。これまでとは次元が違う」。3日の記者会見で、NHKの松本正之新会長は、大相撲の八百長問題に厳しい姿勢を示し、11日のNHK福祉大相撲の中止を発表した。JR東海副会長から招かれ、就任10日目。初めての定例会見だった。
(asahi.com 2011年2月3日23時5分)
そして同じくasahi.comから。

土俵の外は、厳しい風が吹いている。

 協会を監督する文科省。高木義明大臣は4日の記者会見で「最優先すべきなのは全容解明。春場所の開催は調査状況をふまえたうえで判断すべきだ」と発言した。力士らへの調査が不十分なら、開催中止も検討するべきだとの考えを示唆した。

 「場所を開催するかしないかの権限は文科省にない」というのが、文科省の基本姿勢だ。公益法人である相撲協会の運営に問題があれば、監督官庁の文科省には、行政指導をする権限がある。ただ、スポーツの試合を中止させるといった指導は前例がない。

 それでも今回、文科省で厳しい見方が出ているのは、八百長が野球賭博と違い、「相撲自身にかかわる問題」(鈴木寛副大臣)だからだ。
(2011年2月5日5時33分)

これまでとは次元が違うとか「相撲自身にかかわる問題」とはかなりトーンが高いが、要は大相撲ではあってはならない八百長が行われた、と憤っているのであろう。でもこの認識は「相撲に八百長はつきもの」という日本人の常識とは大きくかけ離れていると言わざるを得ない。そういう発言をされる前に、せめて新田一郎著「相撲の歴史」(講談社学術文庫)に目を通して、大相撲の成り立ちについての理解を深められるべきであったと思う。

ここに名前の出た鈴木寛副大臣とは異なり、昔の政府高官にはなかなかさばけた人がいたようである。「相撲の歴史」に次のような記述がある。

 欧米流の近代国家建設を課題とした明治新政府の旗ふりのもとで、欧米文化の急速な流入がもたらした「脱亜入欧」の社会気運は、相撲界を激しくゆるがした。旧来のさまざまな風俗慣習が、文明開化の妨げとなる前近代的な旧弊として指弾され、社会から駆逐されてゆくという趨勢のなかで、相撲界は大きな危機を迎えたのである。
 たとえば断髪令・廃刀令に代表される旧俗の改廃は、そうした日本的な風俗に密着した様式性を重要な要素とする「故実」に支えられた相撲興行にとっては、存亡に拘わる危機であったといってもよかろう。幸いにも新政府部内に相撲に対する理解者が比較的多かったため、断髪令などは相撲界への適用をまぬかれたが、この時代、相撲への風当たりには相当に厳しいものがあった。
(277-278ページ)

正しくは「大相撲に八百長は文化であるから・・・」と鈴木副大臣は言うべきであったのである。現にどの国語辞書にも「八百長」の説明がちゃんと出ているのがその証拠である。しかも「八百長」の語自体が相撲界から起こっているのである。

「八百長」の語は、明治初年、相撲会所の実力者伊勢ノ海のもとへ出入りしていた八百屋の長兵衛(通称八百長)なる者が、囲碁の達者でありながら伊勢ノ海の機嫌をとるためにわざと負けていたことに由来するという。
(354ページ)

勝負そのものに対する見方が時代とともに変わってきたことも「相撲の歴史」に述べられている。

 相撲協会が公式の制度として個人優勝者を表彰するのは、大正15(1926)年にときの皇太子(後の昭和天皇)の台覧相撲の際の下賜金をもって東宮杯(現在の天皇杯)を作製し、これを幕内優勝者に授与することとして以来である。
 個人優勝と団体優勝との差異はあれ、こうした優勝制度が制定されたことは、力士たちの、またそれぞれの贔屓客の、勝敗に対する意識に、大きな変化をもたらした。優勝を争うという明確な目標が設定されたことによって、従来とは段違いの「勝敗へのこだわり」が生まれ、いきおい土俵上の取り組みも、勝敗を争う厳しさを増してゆく。(中略)

 取り直し・不戦勝といった制度も、個人優勝制度の制定とそれに伴う競技ルールの変更が、大相撲の性格を大きく変容させたのであった。そこにはあるいは、近代になって西洋から導入された「スポーツ」観念の影響も、あったかもしれない。
(289-290ページ)

近代になって西洋から導入された「スポーツ」観念の影響のおかげで、松本NHK会長や鈴木副大臣の発言を不思議と思わない国民が多いのかもしれないが、こういう人たちも大相撲の成り立ちを理解すると見方が変わってくるのではないかと思う。

軍人が幅をきかせていた戦前、相撲協会の会長・理事長に軍人を戴く習いがあり、戦時下のナショナリズムの高揚が追い風となって相撲人気が高まった。「国策」の一環として演出された面もあったようである。そういえば戦争中、私が通っていた朝鮮の京城公立三坂国民学校には立派な土俵があって、そこに大関名寄岩関一行を迎えたことがある。そしてその3、4年前になるが、双葉山が69連勝への記録を伸ばしているときの映像に、「国民精神総動員」の大きな垂れ幕を見ることが出来る。この双葉山を「相撲の歴史」は次のように的確に評している。

 双葉山が偉大な強豪力士であったことは疑いない。だた、双葉山の偉大さがその精神性のゆえをもって語られ、それを尺度として他の力士をも評価しようという傾向が、いまなお跡を絶たないことは、相撲にとって、また双葉山自身にとっても、むしろ不幸なことであると思う。
(298ページ)

八百長排除もその精神性重視の延長にあることは疑いない。しかし大相撲の本質はそんなものではない。

 相撲は、ときに「武道」という装飾をまといながらも、非常に早い時期から、実践的な闘技でも、信仰心を伴う孤独な修業の道でもなく、観客の存在を前提とした完勝に耐える技芸として成立し、洗練されてきたものである。中世には相撲節(すまいのせち)に由緒を求めた奉納技芸として、江戸幕府のもとでは故実に荘厳された勧進興行として、また近代には「日本的」なるもとを象徴する大衆娯楽として、相撲はそのときどきの社会情勢によって人々の支持を求めてさまざまに装飾を変えてきた。そうした、「興行としての相撲の歴史」を一貫するものは、「相撲道」などではない。あえて求めるならば、「相撲」の原義としての「格闘」であり、格闘を競技化し様式化した、娯楽としての相撲の姿であるに違いない。
(298-299ページ)

また財団法人としての相撲協会のある種の特質が次のように語られている。

 相撲協会は文部省(原文のまま)の管轄下にある財団法人である。相撲の指導普及を目的として認可された公益法人なのであって、本場所を興行し収益をあげることは、その目的達成のための手段として認められ、その目的の公益性を理由に、税制上その他さまざまな点で、営利私企業と異なる利便を与えられているのである。ところが一方で相撲興行は、そもそも相撲社会に生きる多くの人々の生活維持の手段なのであり、営利と無関係のものではありえない。財団法人の形が採られたのは、戦前戦中の「相撲道」が「武士道ノ精神」を体現した「国技」として、天皇の庇護、国家の保護のもとに維持されるべき、特殊な位置づけを与えられたことの証なのであった
(335-336ページ)

建前としての「相撲の指導普及」を国が必要としなくなった昨今、国が相撲協会を公益法人として認定するには国民的合意が得られるとは考えにくいし、また相撲協会も既得権利にしがみつくあまり、営利事業との非整合性という矛盾を何時までも抱え込むのは賢明とは言えない。

大麻とか野球賭博とか八百長など、最近の一連の不祥事の内容はそれぞれ異なるが、その結果として相撲協会の公益法人性が問われるようになった。ちょうど良い機会である。「国技」という呪縛から自らを解放し、政府の監督から離れ、ファンに親しまれる娯楽として大相撲を国民の間に定着させていけばよいではないか。そこで呼び物の一つとして八百長を興行の目玉とすることを提案したい。

毎日何組か八百長相撲をさせるのである。指示を受けた力士は芸の限り力の限りを尽くして芸術の域まで高めた八百長を行う。一方、観客はどれが八百長試合かを見破るのである。勝負の終わった瞬間に携帯メールで投票する。投票すれば課金されるし、的中すれば配当金を受け取る。一方、八百長を見破られなかった力士はその「芸術点」によるが報奨金を受け取る。どの程度の割合で八百長を組むのか、また横綱は別格で対象にならないとか、こまごましたゲーム作りや技術的なことは専門家が考えていけばよいのであって、要は八百長も興行の対象にしてしまうのである。参加者は「国技館」に行く必要はない。何時どこからでも携帯メールで投票するのである。これで大相撲の復活・隆盛は間違いなしと思うがいかがであろうか。もしこの案が日の目を見るようなことにでもなれば、この提案者へのご挨拶をどうかお忘れなきように。

おまけ 「双葉山の69連勝




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1 コメント

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Unknown (faber)
2011-02-08 20:56:35
ペニシリン特許を調査していて貴ブログにたどりつきました。たいへん目を見開かれました。八百長相撲についての貴見解を弊ブログにて引用させていただきました。勝手に引用させていただきましたことお許しください。
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