日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

島田紳助事件のもやもや

2011-08-28 19:57:22 | Weblog
売れっ子のタレント島田紳助さんが突如芸能界からの引退を宣言して、マスメディアは大騒ぎである。すでに報道されているが、あらためて紳助所属事務所が報道陣に配布した引退に関する文書のなかに、次の文章がある。

 弊社の調査によれば、島田紳助について、平成17年6月頃から平成19年6月頃までの間、暴力団関係者との間に一定の親密さを伺わせる携帯メールのやり取りを行っていたことが判明いたしました。このような行為は、社会的影響力の高いテレビ等のメディアに出演しているタレントとしては、その理由を問わず、許されないものであります。

この強調部分を紳助さんも指摘して自ら引退へと踏ん切ったのであるが、私には紳助さんがどれほどの「悪」なのか自分で判断出来る情報を持ち合わせていなので、ことの軽重がすんなりとは飲み込めなかった。それよりも「ヤーサン」があたかも不可触民のように扱われていることの方が気になった。不可触民とは、「ヒンドゥー社会の中でも最下層階級であり「触れると穢れる人間」として扱われてきた。不可触民は、触れてはいけないだけでなく、見ることも、近づくことも、その声を聞くことさえいけないとされた(ウイキペディア)」。

事の起こりは10年以上も前のことである。asahi.comによるとこういうことがあったらしい。

 関係者によると、十数年前、関西テレビ(大阪市)制作のバラエティー番組「紳助の人間マンダラ」での島田さんの発言をめぐり、同局に街宣車が来てトラブルになった。芸能界を辞めようとまで悩んだ島田さんは、渡辺被告に相談。渡辺被告が組長に話をつなぎ、トラブルは解決したという。

これは仕事の上のトラブルである。普通なら所属事務所(吉本興業?)に相談して何とか対策を練り、それでもうまくいかなかれば警察に相談して、と市井人の私は思うが、おそらく紳助さんは所属事務所も警察も頼りないならないと思ったのであろう。個人的に信頼する友人に相談した。私はそう推測する。

昔からの友人に相談したら、その友人がいつのまにか「ヤーサン」になっていたと受け取られる報道があったが、「ヤーサン」が身近にいたのが良かったのか悪かったのかである。私は山口組の本拠とされる神戸に住んでいるが、少々とろいせいか街を歩いていて「ヤーサン」とすれ違ったとかいう経験はない。その「ヤーサン」とバッチリ出合ったのが大阪・動物園前一番街の中であった。古着屋に袴を買いに出かけたときのことである。明らかに挙措の目立つ人たちが何人かずつかたまって歩いている。「ヤーサン」だと直感してしばらくその動きを追った。キビキビしていて男っぽくてなんだか引きつけられそうになる。やがて商店街の中にある建物、それがおそらく彼らの事務所なのであろう、その中に入って行った。たまたま何か集会の折りに出合ったようである。もうかれこれ10年ぐらい前のことであったが、あの事務所、今でも残っているだろうか。私は残っているような気がする。なぜなら事務所も含めて「ヤーサン」があの商店街の人々に溶け込んで生活をしているような印象を抱いたからである。もともと昔から日本ではそうであったように。

別の「ヤーサン」と出合ったのも大阪であった。心斎橋で大阪では老舗のコーヒ・チェーン店を見つけた。レトロっぽくって感じが良さそうなので扉を開いた瞬間、もうもうと押し寄せる煙草の煙にたじろいでしまった。禁煙が声高に叫ばれているこのご時世に、これは凄い喫茶店だと思い逃げだそうとしたが、ある好奇心に誘われて入ることにした。なんだか客筋がおかしいのであるが、謎は直ぐに解けた。一人の人物が入ってくると客がそれぞれ丁寧に挨拶を交わすのである。それを聞いて間違いなく「ヤーサン」と判明した。これは面白いと私も徹底的に観察することにしたが、おそらく私が座り込んでいる間に入ってきた客に「素人」は居なかったような気がする。この喫茶店、「ヤーサン」のオアシスなのであろう。そういえば女性もその筋に人らしいのである。いわゆる「あねさん」で、私の直ぐ横の席で煙草をぷかぷか吹かしているのも「あねさん」の風格がある。「煙草を遠慮してくれ」と言って反応を見たい気もあったが、もちろん大人しくしていた。

たったこれだけの経験に過ぎないが、神戸より歴史の古い大阪では、地元の人と「ヤーサン」が折り合いをつけながら共存していく術を自然と身につけてきているのではないかと思った。過去何十年にわたり法律まで次から次と作って警察は「ヤーサン」を反社会的勢力とまで呼んで撲滅する姿勢を示しているが、現実には「ヤーサン」は大きく減少することもなく、現在でもおよそ8万人足らずの「ヤーサン」が健在であるという。東日本大震災で現在の避難者が8万人前後と言われるが、それに相当する「ヤーサン」が生き残っていることは、日本の社会がどこかで彼らを受け入れているからこそ可能なんだと思う。共存が成り立っているのである。その「庶民社会」での生活感覚で「ヤーサン」が反社会的勢力にすんなりと繋がっては行かない。なぜなら反社会的勢力なんて「警察用語」に過ぎないからである。

もう何十年も前から兵庫県に新任の県警本部長が赴任してくると、必ず「山口組撲滅」を誓った。でも実績を残すこともなく去ると、また新しい県警本部長が同じ新任挨拶を繰り返すのがならいとなっていた。そして実績も残さずまた去っていく。さすが気恥ずかしくなったのだろう、最近では「山口組撲滅」を口にしなくなったようである。なぜ警察が反社会的勢力を撲滅出来ないかと言えば理由は簡単で、警察なんてサラリーマンの集まりで、仕事が出来なかったからと言って給料が召し上げられることはない。それに反して「ヤーサン」は仕事が取り上げられてしまうと食べていくことができない。生死がかかっている。要するに仕事に対する真剣度が「ヤーサン」の方が格段に上で、警察が新しい手を考え出しても衆知を集めて必ずそれを上回る対抗策を編み出すのである。これはアメリカのある経済学者の理論を私なりに敷衍したもので、ほとんどの方に納得いただけるのではないかと思う。

まともには勝てない警察がきわめて卑怯な手を編み出した。それが「ヤーサン」の差別化であると私は思う。今回の紳助事件で芸能事務所が出した声明に、私は「ヤーサン」があたかも不可触民のように扱われていることの方が気になった、と述べたが、これは一芸能事務所だけの判断で出来ることではない。いわゆる警察の指導を受けてこのような決まりを作りあげたのであろう。もちろん犯罪を犯せばそれなりの処罰を受けないといけない。しかし社会となんとか共存している「ヤーサン」を、警察が己の面子のために棄民として排除しようとしているのは不条理にように私には思える。「ヤーサン」でない生活の途を社会が与えられない限り、この問題が永遠に解決しないように思う。


最新の画像もっと見る