日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

一番古い友人ともう一度話したかった

2010-12-03 22:05:28 | 在朝日本人
元在朝日本人の『自分探し』に記したような経緯で、戦後ほぼ60年ぶりにかって朝鮮にあった京城三坂公立国民学校との繋がりが回復した。この時に、ブログでも触れた「会報 三坂会だより」(2003年)を見たからと、次のような書簡が届いたのである。


旧友のAK君とともに一番会いたいと思っていたNR君からなのである。まさかとわが目を疑った。本の貸し借りの相手でもあったが、放課後にもなにやかや一緒によく遊んだ遊び仲間でもあった。しかし最も印象に残っているのは彼の住んでいる立派なお屋敷であった。子どもの目から見たせいでもあるのか、とにかく広い敷地で使用人というのであろうか屋敷で働いている人の住家がその一郭に何軒か建っていた。本邸は洋館と和館に分かれていて、洋館から地下道になっている廊下を通り抜けると和館に出て、そこからは広大な和風庭園が見渡せた。かなり大きな池が私たちの格好の遊び場で、ゴム動力の模型ボートを浮かべては航続距離を競いあった。脇に昇降舵を備えた潜水艦も作ったが思うようには潜ってくれなかった記憶がある。

そのNR君とは三坂会全国大会で再会を果たし、その後、敗戦当時五年生であった「在五の会」を催すために湯河原の温泉旅館に移動した。嬉しいことに私とNR君が同室になった。とにかく積もる話がある。それにブランクの50年を語ることは人生を振り返ることにもなる。話があっちに飛びこちらに舞い戻り、思いつくままのことを話し合った。私と同様NR君もすでに現役を去り、ボランティアであろう、地元の市で環境審議会の委員を引き受けていた。現役中も大手会社の枢要な役職を占め、話を聞いてみると「公害」をキーワードに私ともあるかかわりがあるように感じたが、いずれまた話し合うこともあるだろうと思いその時はとくに立ち入った話はしなかった。

温泉旅館と言ってもこぢんまりとしたところで、食事前に家族風呂のような温泉に二人で入った。私が身体に湯を浴びせかけたりしているときに、どうした弾みか足が滑って頭から湯船に飛び込んでしまった。一瞬のこととて慌てたが、とにかく体勢をたてなおしてそのまま湯に浸かった。あまりにも格好が悪いので弁解の言葉が出てこないまま、何事もなかったように話を続けた。部屋に戻りようやく気分も落ち着いてきたので、「いや、先ほどは失礼、足がすべったものだから・・・」と言うと、「面白い入り方があるもんだと思って・・・」と返事が戻ってきた。彼は彼なりに度肝を抜かれたようであったが、その時、あっ、同じ、と私は思った。坊ちゃんらしくなにか超然としたところが昔からあったのである。

2年後の2005年には私が世話役となり「在五の会」を神戸で開くことになり、準備万端整えて二日目にはクルーズを予定した。ところがあいにく台風が直撃するということでクルーズはもちろん中止、新幹線も止まるかも知れないと朝食もそこそこ、皆さん東に西に慌てて帰ってしまった。NR君とも残念ながら落ち着いて話することが出来なかった。

今朝、彼の令夫人からの喪中葉書が届いた。今年の初め、亡くなっていたのである。ようやく再会した一番古い友人を失ってしまった。もう二度と話できないなんて・・・。