ブログに昔のことを書いていたら、いろいろと思い出してきた。以下は研究室風物詩の一つである。
信じる人は少ないと思うが、私は定年の間際まで実験器具などを自分で洗っていた。といっても使い捨てのピペットチップやその他諸々、便利なものは出来る限り利用したうえでのことである。試薬溶液や反応液などの調製に必要な試薬ビン、三角フラスコにビーカー、メスシリンダー、特別に注文して作らせた目盛り付き試験管などはすべて自分で洗浄した。これは学生時代からの習性で人任せには出来ないのである。
器具の洗浄にも自分なりに確立した方法がある。それをアルバイトのテクニシャン(実験補助)に教え込み、指示通りに洗っているかどうか、絶えず気を配っているよりは自分で洗う方が遙かに楽である。二階の部屋の窓越しに、かっては鞍馬天狗が活躍した東山連峰の緑に目をやり、ウオッシング・マシーンよろしく手を動かしていると、頭安めにもなる。人が居ないと鼻歌も飛び出していた。
私の入っていた建物はもう取り壊されて今はない。仕事をしていた頃、すでに老朽化がすすんでいて、窓などもピッタリと閉まらず、すきま風の恰好の遊び場だった。何年頃か、調べればわかるが、建物補修の予算が付いて、窓が全部サッシに取り替えられたのは有難かった。実験台などもすべて新しくなり、心地よい研究室に変貌した。半地下、一階、二階に別れていたので建物内部では三階建てになる。半地下の部屋は大雨などが降ると下水口から水が逆流して床が水浸しになることも珍しくなかったが、これも改修で状況がかなり改善された。
これは改修前の話である。
半地下室の同僚が、朝、室内靴に履き替えたところ、百足が入り込んでいて大騒ぎになったこともあった。ネズミの糞を見るのも珍しくないし、それを狙ってかゴキブリも暴虐無人に跳梁していた。だから洗浄した器具の保管にはことさら気を遣ったものである。
ある日たまたま私が急須のお茶をかえようと茶殻をとりだし、内側を水洗いした時のことである。注ぎ口からブラシの毛のようなものがすこし覗いている。私は注ぎ口にわざわざ洗い矢を入れて洗ったりしないが、誰かがそうしたのだろうと思い、引っ張ったところが簡単に取りだせない。おかしいなと思い覗き込むと、何かが詰まっている。根元は膨らんでいるものの出口が小さいから簡単に取り出せない。あれやこれや手を尽くしているうちに分かってきた。ゴキブリが入り込んでいたのである。
ようやく取り出せた。鮮度から見ると、昨日や今日入り込んだものではなさそうである。ゴキブリにも蛸壺のようなところを好む習性があるのだろうか。急須の出口はそれほど大きくないので、わざわざ身体をかがめて器用に入り込んだのだろうか。どう考えても簡単に入り込めそうもない。それにしてもどのような死に様だったのだろう。思いっきりスリッパでひっぱたかれての即死なら苦しむこともないだろうに、断続的な熱湯責めで、さぞかし苦しみながら果てたに違いない、と思えば可哀相でもあった。
そして、はたと思い当たった。身体が大きいと思ったのは水ぶくれ、すなわち、ふやけてそうなったのだと。壺に入り込んだところ、最初の熱湯の一撃で身体の自由を失い、お茶が通り抜けるたびに少しずつ膨らんでいったに違いない。
この発見の喜びも仲間と共有したいもの、同じ急須の茶を飲む院生に推論も交えてとくとくと説明したのに、「うぇ~」と呻いたきりだった。