日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

長谷川眞理子著「ダーウィンの足跡を訪ねて」を読んで

2006-09-03 16:47:49 | 読書

著者を羨ましく思いながらこの本を読んだ。著者の専門は「動物行動学・行動生態学」とのこと、ご本人もさぞかし行動的な方なのだろう。著書から伝わってくる。その長谷川氏が《ダーウィンの生まれたところから亡くなったところまで、その足跡をなるべく詳しくたどって》みたくなり、1987年9月、《ブリティッシュ・カウンシルの奨学金を得て、ケンブリッジ大学で研究生活を送ることになった》のをきっかけに探訪を始めたというのである。

『青春と読書』2004年1月号から2005年4月号に連載された記事がもとになっているようである。著者が自分の足で訪れ自分の目で眺め観察した見聞記で写真も豊富であり、大人の絵本的味わいがある。いろいろの挿話を楽しみながらあっというまに読み終えた。

ケンブリッジでは、ダーウィンの次男ジョージ・ダーウィンが住んでいた家、それがダーウィン・カレッジとなっているのであるが、その家に著者が滞在する幸運にも恵まれているのである。二度に及ぶ英国での研究生活の合間に、ダーウィンゆかりの場所を丹念に訪れているのであるから、研究者冥利と云えよう。ただそれだけに止まらず、「ビーグル号航海記」で有名になったガラパゴスの島々にまで足を伸ばしているのだから、著者の意気込みが中途半端でないことが伝わってくる。

私がなぜ著者を羨ましく思ったか。私も著者と同じくダーウィンにゆかりの場所を、特にダウン・ハウスを訪ねてみたいとかねがね思っていて、まだその思いを達していない。それなのに、著者がいとも軽々とダウン・ハウスのみか、ダーウィンの地上に於ける全足跡を追ってしまっているからである。

長谷川さんは《ケンブリッジに行く前、私がダーウィン自身について読んでいたものといえば、アラン・ムーアヘッドが書いた『ダーウィンとビーグル号』という、きれいな挿絵がふんだんにはいった伝記と、ギャヴィン・ド・ビアによる『ダーウィンの生涯』のみであった。》述べている。長谷川さんは『ダーウィンとビーグル号』を古本屋から買ったと記しているが、私は出版早々7000円なりで購入している。目にしたのは私の方が先であるのに、なんて益体もないことを思ってしまう。




             裏から見たダウン・ハウス(アラン・ムーアヘッド著『ダーウィンとビーグル号』より)

このなかにダウン・ハウスの挿画が2ページ見開きで収められているが、ここはダーウィンが生涯の殆どを過ごしたところである。ムーアヘッドによると、ダーウィンは毎日午前8時から9時半までと10時半から正午までを研究に当てていたそうである。長谷川本では《午前中の二時間ほどを研究と執筆にあて》となっている。残りの時間が散歩、乗馬、休息、思索、手紙の返事書き、長い読書に費やされていた。研究者にとって理想的な場所のようなところを私がまだ訪れていないのに、行動力のある著者がすでに訪れている、それが羨ましいのである。著書の表紙カバーに写真が何駒かあって、その一つがこのダウン・ハウスである。細かいところに変化はあるものの、明らかに当時の面影を残している。

ダウン・ハウスで書斎をもじっくりと拝見したいと思っていた。ムーアヘッドの本に、この図も出ているのである。なんとも心地よさそうな、どんな知的作業でも出来そうな雰囲気の場所である。


              ダウン・ハウスの新しい書斎(アラン・ムーアヘッド著『ダーウィンとビーグル号』より)

長谷川さんの著書にもダウン・ハウスの書斎の写真が書庫の写真と並べられているが、どうも同じ書斎とは思えない。ところが手元のあるダーウィンの伝記に記載されている書斎の写真とは似ているようである。こちらにはDarwin's old studyと説明されているので、多分長谷川さんは古い方の書斎の写真を撮られたのだろうか。そう言えば長谷川さんも《一階部分は、これらの部屋や新旧二つのダーウィンの書斎など、当時使われていたままの様子を再現してある。》と記している。


                From 「Darwin」 by Adrian Desmond & James Moore

この書庫で長谷川さんは素晴らしい経験をした。著者が書庫の本を眺めていると手に何冊かの古書を抱えた男性がやってきて、本を棚にもどそうとする。少し長いが引用させていただく。

《私があまりにも物欲しそうにみつめていたからだろう。30歳ぐらい、金髪でひげ面のその男性は、持っていた本の一冊を私のほうに差し出し、「嗅いでみる?」と言ったのだ。私は、上の空で「イエス」と言って、差し出された本のページの間を嗅いでみた。古い本に特有の「黄色い」匂いがした。かさかさと乾いて、ちょっと酸っぱいような、脆い匂いである。五秒ぐらいだったろうか?「いい匂いだよね」と言って、彼は本を書庫にもどし、鍵をかけて出て行ってしまった。ダーウィンの蔵書を差し出して、臭いを嗅いでみる?なんて言うのは、本が好きな人間でなければ絶対にしないことだ。そして、私も本が好きな人間であることが、彼にもわかったのだろう。それは、ちょっとないくらい意外で幸せな五秒間であった。》

《私の最初のダウン・ハウス訪問のハイライトは、ダーウィン自身が何度も手にとったにちがいない、あの本の「黄色い」匂いだった。》

ああ、羨ましい!