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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

一弦琴「後の月」再演 そして鼻濁音のこと

2008-01-27 17:57:31 | 一弦琴
「後の月」を琴譜を意識して唄うと、どうもプッツンプッツンになるところが多い。その大きな原因は私の唄い方にあると思う。私の唄い方は起伏や装飾を極力排しているので単純そのものである。声をまわして「間」を上手に埋めると唄が素直に流れるが、「雌鳥歌えば家滅ぶ」とは今は昔、「雄鳥歌えば家乱る」のご時世で私はひたすら静かに唄うので「間」がもたないのである。それならそれで身にあった流れを作り出すつもりで唄い方に試行錯誤を繰り返しているところである。

ついでにもう一つ、一弦琴を習い始めてからずっと悩まされていることがある。鼻濁音なのである。「後の月」でも

  初冬の たそがれ寒き・・・

の「たそがれ」に入ると途端にお師匠さんにストップをかけられる。「が」の発音よろしからず、なのである。「んが」「んが」「んが」・・・を繰り返しても自分でちゃんと発音できているのかどうか自信がない。唄いはじめからその「が」を意識すると俄然唄がぎこちなくなる。お師匠さんは私の「が」では詞が汚くなると言われるが、私に言わせると「んが」なんてクイーンズ・イングリッシュでもあるまいに、なのである。その善し悪しの違いが分からないからつい意識せずに唄い、そしてストップをかけられる。その繰り返しなのである。ところがWikipediaで「鼻濁音」を調べるとなんと私には嬉しい記述があった。

まず「鼻濁音」を《日本語にあって、濁音の子音(有声破裂音)を発音するとき鼻に音を抜くものを言う》と説明している。そしてNHKのアナウンサーが鼻濁音の発音訓練を受けるとの説明があって、このように続く。

《ただし話し手によっては鼻濁音を持たない。大別すれば、日常的に鼻濁音を使うのは共通語の基盤となった東京方言が話される地域を中心として東日本から以北に拡がっており、一方で四国や中国地方以西の地域ではほとんど使われない。ただし、もちろん両親、特に母親の出身地の違いや周囲の環境など様々な原因による個人差は存在する。昨今では東京周辺でも、中年より下の世代では多くが鼻濁音を使わなく(あるいは「使えなく」)なってきており、若者に於いてはそれが特に著しい。(中略)これは全国的な傾向で、鼻濁音は現在、日本語から失われてゆく方向にあるようである。》(強調は引用者)

「なーんだ」と思った。お師匠さんは東京生まれ、鼻濁音がお得意なのは当たり前なのだ。ところが私は播州生まれだからもともと鼻濁音とは縁がない。鼻濁音は私にとっては美容成形のようなものである。こだわることもあるまいと思うようになった。さて鼻濁音を意識せずに唄ったこの再演、出来はどうなんだろう。

追記(2月27日)
 清虚洞琴譜による演奏に差し替えた。


一弦琴「後の月」

2008-01-25 15:10:45 | 一弦琴
一月に入りいろいろなことが重なったので、下旬に入りようやく一弦琴のお稽古に出かけることが出来た。私の方からお願いをしてお浚いをみていただいたのが「後の海」である。なかなか流れに乗るところまで行けないが、出発点ということで記録してみたが、曲想を掴むのにまだまだ時間がかかりそうである。


               詞 中根香亭
               曲 真鍋豊平

  初冬の たそがれ寒き 人かげに
  うかれうかれて 思はずも 見あぐる望の 月のかげ
  友のさかなに 妻の酒 かさねて遊ぶ波の上
  やがて岡なる 山岸を あゆみつくして たちかへる
  舟の景色の かぎりなく 酔ひてぬるまの 夢のうちに
  まさしく見えし 仙人(やまびと)の 姿は鶴に かはりつつ
  雲ゐはるかに 飛びゆけど けうのあそびの つきぬ楽しさ


追記(1月26日) 演奏を差し替えた。
  (1月27日) ふたたび演奏を差し替えた。

  (2月27日) 清虚洞琴譜による演奏に差し替えた。


一弦琴「土佐の海」をもう一度

2007-12-19 11:51:34 | 一弦琴

「土佐の海」からまだまだ卒業できない。

          詞 真鍋豊平
          曲 真鍋豊平

  土佐の海 底の海石(いくり)に 生ひいづる
  珊瑚の玉の 玉なれや 赤き心の 貫之の
  大人(うし)の命(みこと)の 住みませし
  昔しのべば 今もなほ その名は高く 
  世にめづる 宇田の松原 うちよする
  波の音清く 見る目ゆたけし 土佐の海原

先生にお浚いをみていただいたあとの演奏を12月15日にアップロードしたが、17日には演奏をいったん差し替えた。唄い方に満足できないこともあるが、私なりに考えるところもあるだ。

私の用いている琴譜は徳弘太著「清虚洞一絃琴譜」に先生が手を加えたもので、原本とは必ずしもおなじではない。たとえば私は二行目は上の歌詞のように「珊瑚の玉の 玉なれや」と唄っているが、徳弘本では「さんごのたまの あかだまの」となっている。大西一叡著「一弦琴 一つ緒のみち」にある「土佐の海」でも、「さんごの玉の 赤玉の」となっているに、琴譜では「赤玉の → 玉なれや」になっているのである。なぜこのように変わったのか、まだ先生にお聞きしていない。私も「赤玉の」と唄ったりしたが、「さんごのたまの あかだまの」ではちょっと品がないように感じたので、あえて原本には従わなかった。

五行目の「(宇田の)松原」のところは

  まつゥばァらァァ (徳弘本、大西本)
  まつゥゥゥばァら (徳弘・松崎一水改訂本)

と本によって唄い方が違うので、12月17日は後者の唄い方をしたが、やっぱり前者の方が私の好みなので、唄い方を元に戻した。松崎一水さんは徳弘太の三女で清虚洞宗家三代目を名乗っておられる方であるが、何をもって新しい唄い方をよしとして改訂されたのか、私には分からない。

と言いながら、私も自分の演奏を何回も聴き直しては、新しい唄い方にしたり元に戻したりして、自分にしっくりくる演奏を探し求めている。人に教える立場にある人がお稽古のたびに唄い方を変えると、弟子は堪ったものではないが、幸い私は学ぶ身なので試行錯誤を大いに楽しめるのが嬉しい。


PhotoshopとIllustratorで「清虚洞一絃琴譜」のお手入れ

2007-12-18 17:38:55 | 一弦琴

国立国会図書館の所蔵する徳弘太著「清虚洞一絃琴譜」のコピーを入手したことはすでに述べた。国会図書館から送られてきたものは、下に示すように、B4サイズの用紙に見開き2頁分がコピーされているが、このままでは使い勝手が悪い。そこで全巻をPDFファイルとしてまとめることにした。



作業の第一歩は各頁を再びスキャナーで画像データとして読み込むことであるが、この画像をいろいろと加工することになるので、Photoshop7.0を使うことにした。10月に買ったばかりのCanon MP610のスキャナー機能が役に立つ。グレースケールを用いて必要部分のみをサイズを決めて取り込む(トリミング)。Photoshopで画像がもし傾いておればまっすぐに直す。次に文字と符号が読みやすいように、黒い部分はより黒くなるように色調補正>レベル補正を行う。図書館でコピーするときに、裏の文字を薄くするためにコントラストを落としているので文字などが薄くなっている。その補正である。一方、文字・符号を濃くすると汚れなども目立ってくるので、これは消しゴムで消すことになる。

琴譜はA4サイズの用紙に2頁分を印刷しても読むのに何の支障もない。そこでIllustrator10でA4用紙を横方向に開き、その上に琴譜2頁分を印刷可能な範囲一杯に配置することにした。必要とあれば各頁の画像サイズを微調整する。用紙の中心線を2画像の境とすることは言うまでもない。出来上がりは以下の通りである。



図書館コピーとの違いが一目瞭然であるが、その同じところを見比べると加工部分が分かると思う。IllustratorのファイルはPDFファイルとも互換性があるので、最終的にこの琴譜の全巻をPDFファイルとして保存できる。



このような作業を始めると時間が直ぐに経ってしまう。幸い今は隠居生活の身なので時間に追われることもなく、マイペースでこの仕事を片づけるつもりでいるが、始め出すとついカッカとなってしまうのが怖い。

一弦琴「土佐の海」

2007-12-15 12:07:08 | 一弦琴
清虚洞一絃琴の曲は一通り習い終えたと言うことで、先月からお浚いに入った。そこで自分で選んだ曲のお浚いをみてくださるよう先生にお願いをした。最初に選んだのが「土佐の海」である。

          詞 真鍋豊平
          曲 真鍋豊平

  土佐の海 底の海石(いくり)に 生ひいづる
  珊瑚の玉の 玉なれや 赤き心の 貫之の
  大人(うし)の命(みこと)の 住みませし
  昔しのべば 今もなほ その名は高く 
  世にめづる 宇田の松原 うちよする
  波の音清く 見る目ゆたけし 土佐の海原

驚いたことに最初に教えていただいたときの記憶がほとんど残っていないのである。でも譜本にはその時の書き込みが残っているから、習ったことは間違いない。だからこそお浚いが大切なのだ、と自分に納得させる。

この曲を暗譜で弾ける程まで時間をかけてお浚いを重ねた。いろいろと疑問点が出て来るので、その箇所にしるしをつけておく。先生と向かい合って坐り、視野の片隅に先生の動作が入ってくるような姿勢で弾き唄う。譜を絶えず見ながらではこのようなことは出来ない。そして先生の動きを数十ミリ秒の遅れでなぞるようにする。

今朝のNHK連続ドラマ「ちりとてちん」で、草若師匠が弟子の四草に訓戒を垂れていた。「テープを聴いて練習するだけではあかんのや。身体の動きに間の取り方、それを学び取らなあかん」というようなことを言っている。私は大きく頷いてしまった。その通り、それなのにこれまではせっかく先生と相対していても、そこまで気を配るゆとりがなかったのである。

先生の身体の動きは無駄がない。右手と左手が慎み深くしかい優雅に琴の上で舞うとひとりでに琴の音が流れ出す。玄妙である。さあ、私も頑張りまっせ!

追記(12月19日)

演奏を差し替えた。

国立国会図書館にて

2007-12-07 23:12:29 | 一弦琴

国立国会図書館で徳弘時聾(太)著「清虚洞一絃琴譜」を目にするのが、東京行きの目的の一つでった。そのために前もって国立国会図書館の登録利用者カードをインターネットで申込み入手していた。カードには英数字の利用者IDが印字されているが、パスワードは別紙に記されていた。

東京に着いた午後、大手町から半蔵門線に乗り永田町で下車し、少し歩くと国会図書館だった。入り口の器械に登録利用者カードを挿入し、パスワードを入力するとプラスチック製の入館カードが出て来る。館内IDが記されており、以後すべての作業に入館カードを使うことになる。まずこのカードでゲートを通り抜けて入館した。

パソコンの操作にも入館カードがキーになる。借り出したい書籍を検索して書誌情報を印刷し、窓口に提出する。しばらく待っていると書籍が受け渡しカウンターに届き、大型液晶スクリーンに館内IDが表示されるので、それを見て書籍を受け取る。2、30分待てばいいのでなかなか効率的だと思う。ただ私はまだ操作に不慣れだったので、2冊借りるのに1冊ずつ申込書を作ってしまい、同時に2枚提出したのに2冊目がなかなか出てこず、かなり時間を無駄にした。1枚の用紙で2冊分申し込んでいたら、時間はかなり節約できたかも知れない。

待望の「清虚洞一絃琴譜」を手にした。帙に和綴じ本が1冊納まっていた。表紙の裏には「寄贈 松崎一水 殿」と受入日であろうか「63.7.22」の二つのスタンプが捺されてあった。松崎一水とは著者徳弘時聾(太)の三女で清虚洞一絃琴家元三代目であり、私の師匠が師事された方でもある。この寄贈があってこそ私たち後進が貴重な文化財に接することができるのであるから、なんとも有難いことである。



私はこれまでも万が一にも「清虚洞一絃琴譜」が見つかればと思い、大阪、京都の古本屋を探し歩いたが、僥倖に巡り合うことはなかった。その本が目の前にある。これをなんとかして丸ごとコピーしたいのである。書籍の著作者が死後五十年経っておれば、著作権は消滅するので丸ごとコピーに支障はない。「清虚洞一絃琴譜」は出版が明治32年(1899)6月30日なので、すでに100年以上経っている。著作権は消えていることを私は知っていたが、まずは館員の指示に従い著作権の有無を調べて貰うことにした。専用のカウンターで係員に著作権のデータベースであろうか検索して貰ったが「清虚洞一絃琴譜」が出てこない。私が徳弘太の没年ならインターネットで調べられますよ、と口を挟み、係員が「徳弘太」を検索して没年が1921年(大正10年)であることを確認した。ここで私の書いたブログが大いに役だってくれたのである。これで「清虚洞一絃琴譜」の著作権が切れていることのお墨付きを貰ったことになった。

複写の申込もパソコンで行う。資料のどの部分を複写したいのか、申込用紙に書き込むのであるが、和綴じ本の場合はページが印字されていないからページでは指定できない。栞を挟んでその箇所を示すことになる。複写はインターネットでも申し込みできるが、このような作業は現物がないと出来ないので、どうしても国会図書館に出向かざるをえない。「清虚洞一絃琴譜」の丸ごとのコピーを私は申し込んだが、和綴じ本のコピーにはいくつかの問題があった。

和綴じ本とは印刷した和紙を二つ折れにして一冊にまとめ、右側を糸で綴じた本をいう。私が目にして一番問題だと思ったのは、和紙が薄いために反対側の文字が透けて見えることなのである。ひどいところでは裏表の区別がつかないぐらいなのである。これをコピーしてもほとんど判読が出来ないだろうと思うぐらいである。そこで二つ折れにした和紙の間にやや厚めの紙を挿入して、裏の文字写りのない状態でコピーしてほしいと申し出た。ところがそれでは手間がかかりすぎるし、また折り目を破るようなことがあってはいけないので、そういうことは出来ないという。自分でやるから、と申し出ても駄目だとのこと。複写の際のコントラストを調節して、文字写りを最小限に抑えるのがせいぜい出来ることだという。ではそのようにして複写した見本を見せて欲しいとお願いすると、館員も快く引き受けてくれてお試しコピーを作ってくれた。その出来上がりを下に示すが、これなら解読に苦労することはない鮮明な出来上がりである。そこで複写を申込み、出来上がりを自宅送りの手続きをしたところ、早くも5日後には宅急便で届いた。



こう書いてしまうと話はトントン拍子に進んだように見えるが、実は複写手続きなどについては、複数の館員とのやり取りにかなりの時間がかかったのである。ところがどの館員も、私の納得のいく説明を手際よくしてくれたし、利用者の立場に立っててきぱきと仕事を進める姿に、公僕という古ぼけた言葉が私の頭を横切ったのである。予定の用事を片付け、国会議事堂のまわりを半周してから地下鉄で銀座に出た。

一弦琴「愛宕の四季」再演  追記あり

2007-11-01 00:13:17 | 一弦琴

一弦琴演奏会が終わって、その時の演奏よりずっとましかなと思える演奏を10月29日のサイトに登録したが、聴きかえしているとどうもしっくりこない。

一つはテンポを速めたのだけれど、どうも私の感性にピタッと嵌らない。演奏会の時にお師匠さんが他の人の演奏をテンポが遅いと評していたのを聞いて、多分私のもそう思われたのではないかと勝手に受け取りテンポを速めたのである。

しかし、である。今年ほぼ一年をかけての稽古で、私の演奏時間は自分でも驚くほど一定していた。例えば10月25、26、27日と稽古して、一応よしとした演奏はそれぞれ11分54秒、11分57秒、11分53秒である。それが29日の演奏は9分30秒なのだから、自分で違和感を感じるのは当然である。そこで今回の演奏は弦だけの所を少し速めにしたが、唄は慣れた感覚で唄ったので11分11秒になった。世の中、せっかちな人も居ればのんびりとした人も居て、それぞれ自分のテンポで暮らしている。自分の唄は自分のテンポで唄うのがやはり自然のようである。

再演「愛宕の四季」

今回はテンポもそうだが唄い方もまったく自分流である。唄い方というよりは声の出し方と云ってよいだろう。お師匠さんは声は前に出すものではなくて後に当てるもの、と始終仰る。邦楽らしくなるそうである。せっかく教えていただくのだから私もなんとかその術を会得したいとは思うものの、なかなか進歩しない。そこで中途半端を承知の上で、今回は自分で声の出し方を意識せずに唄ってみた。当然洋楽風になっていても不思議ではない。お師匠さんのお嫌いな『唱歌』風になっているのだろうが、私にはこの方が性に合っている。そしていつものように余計な節回しを排除して素直に唄った。一弦琴にふさわしく思えるからである。

なんて偉そうなことを云ったが、今回の演奏の「爪弾き」にも実はまだ納得できていないので、また演奏を変えてみようと思う。

追記(11月2日)

今朝は気持ちよく唄えた。ところがその分、「爪弾き」が疎かになったところ、荒くなったところがところどころに目立つ。まだこの演奏が身に付いていないからだと思う。とにかく演奏をこれに差し替えた。前途遼遠。

追記(11月9日)

曲のイメージが一応はまとまってきたが、現在のレベルからどうも先に進まない。とりあえず今日の演奏を記録に留め、しばらく離れることにする。

一弦琴「愛宕の四季」

2007-10-29 17:55:56 | 一弦琴

一弦琴秋の演奏会が終わった。私の所属する会は徳弘太(とくひろたいむ、1849-1921)の開いた「清虚洞一絃琴」の流れを汲むもので、演奏する曲もこの琴譜にあるものが中心になる。毎年演奏する曲が変わり映えもしないのに、聴きに来てくださる方がいるなんて有難いことである。私は昭和の曲、「愛宕の四季」を唄ったが、出来はいつもの如く今ひとつ、もっとも一生かかっても満足する演奏なんて出来ないだろうが・・・。それでも終わってやれやれである。

私が一弦琴を始めたときに、まさか舞台で演奏することになろうとは夢にも思っていなかった。自分が好きで始めることと、人に聴かせることとは私の頭の中ではまったく別物であった。ところが他のお稽古ごとを始めて分かったことであるが、教える側のいわゆる先生方は、年に一度ぐらいは発表会というのか演奏会というのか、そのようなものをするのが決まりのように思っているようである。

私の場合、一弦琴を能舞台の上で演奏するのである。何事も経験で初舞台では緊張したものの、なんだか晴れがましい気分になって、それはそれでよかった。それが励みになって精進を重ねる人も当然いるだろう。ところが回を重ねても、自分で納得のいく演奏が出来ないので、だんだんと舞台に立つのが億劫になってきた。それでお師匠さんにはかなり以前から舞台に立つのは勘弁して欲しいとお願いしているのに、なかなか聞きいれていただけない。枯れ木も山のにぎわい、ということなのだろうか。

私が好きなのは自分一人で唄い琴を奏でることである。それを録音して聴き戻すと欠点がよく分かるので、直してはまた唄う。それをくり返している内に、少しはいいかな、と思える演奏が出来るようになる。私が重宝している録音機はRoland製EDIROL「WAVE/MP3 RECORDER R-1」(販売完了、後継機はR-09)で、高性能のバックエレクトレット・コンデンサー・マイクを内蔵しており、CDを超えた品質の録音が可能である。記録メディアはコンパクトフラッシュで、容量が1GBあるものを使うと、MP3フォーマットで約12時間分の録音が出来る。操作は「録音準備」、「録音開始」、「ストップ」のボタン操作でOKであるから、メモリー・カードの残量を気にすることなく歌い続けが可能である。録音/保存したサウンドは、USB接続により簡単にパソコンに取り込むことが出来る。



昨日の舞台よりずっとましかな、と思える「愛宕の四季」の演奏をサイトに登録した。

追記(11月9日)
11月9日の演奏に差し替えた。

中秋の名月に一弦琴「初秋の月」

2007-09-25 11:44:02 | 一弦琴
今年の暑さは飛びっきりで、残暑の頃なのに酷暑だった。ふうふう云っていたがいくら何でもお彼岸も過ぎたことゆえ秋の涼風を期待したいものの、今の今、どんよりしてむしむしする。でもエアコンをいれずに頑張れるだけましである。それに今夜は中秋の名月だとか、空も晴れて欲しい。その願をこめて一弦琴「初秋の月」を奏でた。


          詞 広瀬旭荘
          曲 真鍋豊平

   花は過ぎ 雪まだ遠き
   初秋の 空もさえゆく
   十六夜の 月にうかるる
   水の面に 残る暑さも いつしかに
   そよ吹く風の にくからで
   よそに聞こゆる 笛竹の
   いと しおらしき そのしらべ
   色に香さえに この曲の おもしろさにぞ
   もろともに 酌みかわしける さかずきの
   かたぶく月に 夜をあかし
   たのしみあかぬ 人ごころ
   唐も 大和も 昔も今も
   かはらでここに 遊ぶ山かげ


追記(25日夜)

願いが届いたのか、今も皓々たる中秋の名月が中天にかかっている。そして窓から入ってくる夜風のなんと心地よいこと。お団子はないけれど幸せ一杯である。