日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

一弦琴「土佐の海」をもう一度

2007-12-19 11:51:34 | 一弦琴

「土佐の海」からまだまだ卒業できない。

          詞 真鍋豊平
          曲 真鍋豊平

  土佐の海 底の海石(いくり)に 生ひいづる
  珊瑚の玉の 玉なれや 赤き心の 貫之の
  大人(うし)の命(みこと)の 住みませし
  昔しのべば 今もなほ その名は高く 
  世にめづる 宇田の松原 うちよする
  波の音清く 見る目ゆたけし 土佐の海原

先生にお浚いをみていただいたあとの演奏を12月15日にアップロードしたが、17日には演奏をいったん差し替えた。唄い方に満足できないこともあるが、私なりに考えるところもあるだ。

私の用いている琴譜は徳弘太著「清虚洞一絃琴譜」に先生が手を加えたもので、原本とは必ずしもおなじではない。たとえば私は二行目は上の歌詞のように「珊瑚の玉の 玉なれや」と唄っているが、徳弘本では「さんごのたまの あかだまの」となっている。大西一叡著「一弦琴 一つ緒のみち」にある「土佐の海」でも、「さんごの玉の 赤玉の」となっているに、琴譜では「赤玉の → 玉なれや」になっているのである。なぜこのように変わったのか、まだ先生にお聞きしていない。私も「赤玉の」と唄ったりしたが、「さんごのたまの あかだまの」ではちょっと品がないように感じたので、あえて原本には従わなかった。

五行目の「(宇田の)松原」のところは

  まつゥばァらァァ (徳弘本、大西本)
  まつゥゥゥばァら (徳弘・松崎一水改訂本)

と本によって唄い方が違うので、12月17日は後者の唄い方をしたが、やっぱり前者の方が私の好みなので、唄い方を元に戻した。松崎一水さんは徳弘太の三女で清虚洞宗家三代目を名乗っておられる方であるが、何をもって新しい唄い方をよしとして改訂されたのか、私には分からない。

と言いながら、私も自分の演奏を何回も聴き直しては、新しい唄い方にしたり元に戻したりして、自分にしっくりくる演奏を探し求めている。人に教える立場にある人がお稽古のたびに唄い方を変えると、弟子は堪ったものではないが、幸い私は学ぶ身なので試行錯誤を大いに楽しめるのが嬉しい。


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