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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

国立国会図書館にて

2007-12-07 23:12:29 | 一弦琴

国立国会図書館で徳弘時聾(太)著「清虚洞一絃琴譜」を目にするのが、東京行きの目的の一つでった。そのために前もって国立国会図書館の登録利用者カードをインターネットで申込み入手していた。カードには英数字の利用者IDが印字されているが、パスワードは別紙に記されていた。

東京に着いた午後、大手町から半蔵門線に乗り永田町で下車し、少し歩くと国会図書館だった。入り口の器械に登録利用者カードを挿入し、パスワードを入力するとプラスチック製の入館カードが出て来る。館内IDが記されており、以後すべての作業に入館カードを使うことになる。まずこのカードでゲートを通り抜けて入館した。

パソコンの操作にも入館カードがキーになる。借り出したい書籍を検索して書誌情報を印刷し、窓口に提出する。しばらく待っていると書籍が受け渡しカウンターに届き、大型液晶スクリーンに館内IDが表示されるので、それを見て書籍を受け取る。2、30分待てばいいのでなかなか効率的だと思う。ただ私はまだ操作に不慣れだったので、2冊借りるのに1冊ずつ申込書を作ってしまい、同時に2枚提出したのに2冊目がなかなか出てこず、かなり時間を無駄にした。1枚の用紙で2冊分申し込んでいたら、時間はかなり節約できたかも知れない。

待望の「清虚洞一絃琴譜」を手にした。帙に和綴じ本が1冊納まっていた。表紙の裏には「寄贈 松崎一水 殿」と受入日であろうか「63.7.22」の二つのスタンプが捺されてあった。松崎一水とは著者徳弘時聾(太)の三女で清虚洞一絃琴家元三代目であり、私の師匠が師事された方でもある。この寄贈があってこそ私たち後進が貴重な文化財に接することができるのであるから、なんとも有難いことである。



私はこれまでも万が一にも「清虚洞一絃琴譜」が見つかればと思い、大阪、京都の古本屋を探し歩いたが、僥倖に巡り合うことはなかった。その本が目の前にある。これをなんとかして丸ごとコピーしたいのである。書籍の著作者が死後五十年経っておれば、著作権は消滅するので丸ごとコピーに支障はない。「清虚洞一絃琴譜」は出版が明治32年(1899)6月30日なので、すでに100年以上経っている。著作権は消えていることを私は知っていたが、まずは館員の指示に従い著作権の有無を調べて貰うことにした。専用のカウンターで係員に著作権のデータベースであろうか検索して貰ったが「清虚洞一絃琴譜」が出てこない。私が徳弘太の没年ならインターネットで調べられますよ、と口を挟み、係員が「徳弘太」を検索して没年が1921年(大正10年)であることを確認した。ここで私の書いたブログが大いに役だってくれたのである。これで「清虚洞一絃琴譜」の著作権が切れていることのお墨付きを貰ったことになった。

複写の申込もパソコンで行う。資料のどの部分を複写したいのか、申込用紙に書き込むのであるが、和綴じ本の場合はページが印字されていないからページでは指定できない。栞を挟んでその箇所を示すことになる。複写はインターネットでも申し込みできるが、このような作業は現物がないと出来ないので、どうしても国会図書館に出向かざるをえない。「清虚洞一絃琴譜」の丸ごとのコピーを私は申し込んだが、和綴じ本のコピーにはいくつかの問題があった。

和綴じ本とは印刷した和紙を二つ折れにして一冊にまとめ、右側を糸で綴じた本をいう。私が目にして一番問題だと思ったのは、和紙が薄いために反対側の文字が透けて見えることなのである。ひどいところでは裏表の区別がつかないぐらいなのである。これをコピーしてもほとんど判読が出来ないだろうと思うぐらいである。そこで二つ折れにした和紙の間にやや厚めの紙を挿入して、裏の文字写りのない状態でコピーしてほしいと申し出た。ところがそれでは手間がかかりすぎるし、また折り目を破るようなことがあってはいけないので、そういうことは出来ないという。自分でやるから、と申し出ても駄目だとのこと。複写の際のコントラストを調節して、文字写りを最小限に抑えるのがせいぜい出来ることだという。ではそのようにして複写した見本を見せて欲しいとお願いすると、館員も快く引き受けてくれてお試しコピーを作ってくれた。その出来上がりを下に示すが、これなら解読に苦労することはない鮮明な出来上がりである。そこで複写を申込み、出来上がりを自宅送りの手続きをしたところ、早くも5日後には宅急便で届いた。



こう書いてしまうと話はトントン拍子に進んだように見えるが、実は複写手続きなどについては、複数の館員とのやり取りにかなりの時間がかかったのである。ところがどの館員も、私の納得のいく説明を手際よくしてくれたし、利用者の立場に立っててきぱきと仕事を進める姿に、公僕という古ぼけた言葉が私の頭を横切ったのである。予定の用事を片付け、国会議事堂のまわりを半周してから地下鉄で銀座に出た。