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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

東北地方太平洋沖地震 息子が徒歩で無事帰宅

2011-03-12 10:02:03 | Weblog
津波の猛威にただただ唖然とするばかり。懸河の勢いですべてを飲み込んでいく。これではいくら警報が早めに発せられたとしても逃げようがない。津波による犠牲者の方が一番多くなるのではなかろうか。なんとも痛ましいことである。いまだに救助を待っている方々のご無事と一刻も早い救出を祈るばかりである。まずは自衛隊は総動員で出動していただきたい。

そして今、自宅に辿り着いた千葉の息子から電話がかかってきた。地震発生時は外出で電車に乗っており、錦糸町の駅で降ろされたそうである。私にメールで届いたのが昨夜の9時で「一応無事ですがトボトボ歩いています」と連絡があったきり途絶えてしまった。電池が切れてしまったそうである。今朝も千葉に電話をしたが息子はまだ帰っていないという。結局途中「マクドナルド」で夜を明かしつつ、自宅まで30キロほど歩いてようやく帰ったとのことであった。まずは安堵する。14日より友人と伊豆方面に出かける予定にしていた妻にも旅行社から中止するとの連絡が入った。これでひとまず身の回りは落ち着いた。息を詰めて救出者が一人でも多いことを見守っている。


東北地方・太平洋沖地震による被害救済と復興支援のために

2011-03-11 20:13:44 | Weblog
今回の東北地方・太平洋沖地震はM8.8と国内最大規模の大きさで、被害全容が明らかになるのが恐ろしい。私が眼を剥いたのは太平洋沿岸を襲った大津波の暴威である。日本人の勤勉さそのものの手入れの行き届いた畑地に綺麗に配置されたビニールの覆いのなんと平和なたたずまいであることよ。そんなところまで津波が押し寄せて一挙に蹂躙し尽くした。目の前で横倒しになっていく数々の船舶に、マッチ箱のように軽々と津波にもて遊ばれている自動車や建造物。こういう情景が現実に起こるなんて今でもまだ信じられない思いである。

阪神・淡路大震災の被害総額が約10兆円規模といわれたが今回もそれに匹敵する被害規模ではなかろうか。政府が全力を挙げて被害救済と復興支援にいち早く取り組むべきであるが、それこそお金が要る。この機会にこそ「ばらまき」と悪評の高い子ども手当に高速道路無料化などを断念し、その財源を東北地方・太平洋沖地震からの回復に回すべきである。そのためには与野党が力を合わせて必要な予算措置を講じることが欠かせない。党利党略を棚上げにして国民のために全力を傾注する政治家の姿を今こそ国民に示して欲しい。政治に対する国民の信頼を取り戻す貴重な機会でもある。

未曾有の大地震に心が痛む

2011-03-11 18:33:55 | Weblog
4時前だっただろうか、パソコン画面のニュースで東北・関東で大地震の発生したことを知った。急いで千葉の息子の家に電話をしたが混雑しているということで通じない。携帯電話もウンともスンともいわない。何度繰り返しても同じである。4時過ぎにふとIP電話のあることを思い出してその番号を呼び出すと「話し中」のシグナル音が聞こえる。もう一度かけると有難いことに通じて長男の嫁が出た。小学生の次男を迎えに行きその帰り道で地震に遭ったらしい。家に帰りつくと棚の上のものなどが床に散らばっていたが、家具の転倒などはなく、手早く点検した限りでは家にも異常がなく、電気・ガスの供給もOKとのことなので少し安堵する。市原市のコスモ石油の火事の煙が流れてきて臭いが強いという。震度は5強とパソコン画面に出ていた。霞が関に勤務している息子の携帯を呼び出したが無音のままである。嫁が家の状況を知らせてメールを送ったが返信は届いていないとのことだった。首都圏の交通機関は全部止まっているので、今夜は勤務先で待機ということになるのではなかろうか。

最新の情報では地震規模はM8.8で福島・相馬で津波7.3メートルとのこと。さらにテレビがこれまでに眼にしたこともない大津波の惨状を伝えている。自然の猛威に唖然とするばかり。この大地震に巻き込まれた方々のご無事を祈るのみである。一刻も早く援助の手が差し伸べられんことを!

JR舞子駅での人身事故報道のその後

2011-02-13 20:45:27 | Weblog
JR山陽本線舞子駅には数えるほどしか乗降したことがないので印象が薄いが、昨年の暮れに快速電車から降りた主婦がホームから転落し、動き出した電車に挟まれて死亡したとのニュースに接した時には、あり得るはずがないという思いから、いったいどのような状況で事故が発生したのか知りたいと思った。ところが私が調べた限りでは、事故発生の経緯すら納得出来るような報道がないのである。そういうことをJR舞子駅での人身事故 新聞もつぶやくだけ?で述べたのが、昨年の12月23日である。

今日の朝日朝刊の社会面に、広告を除いた紙面のほぼ半分をつかって、次のような見出しで始まる記事が載っていた。


JR西は1月末、舞子駅で先頭車両同士の連結部が止まる場所3カ所のうち、車掌から最も遠い1カ所にのみ固定柵(幅約2.5メートル、高さ約1.2メートいる)を新設した。

との対策がなされたことをうけての記事であろう。そして今まで曖昧模糊であった事故の状況が少し分かってきた。朝日新聞記者が亡くなった主婦の夫に取材したからである。

 兵庫県警によると、同市西区の主婦が電車からホームに降りた後、4、5両目の連結部付近でふらついて、頭から線路に転落した。先頭車両同士が連結された部分で、通常の連結部にある転落防止用のガードがなかった。
 主婦はすぐに立ち上がり、ホーム上に頭を出した。しかし、約160メートル離れた最後部の車掌は転落に気付かず、直後に動き出した電車とホームに挟まれて死亡した。(中略)

 (主婦は)飲食店のアルバイトなど四つの仕事を掛け持ちし、当日も日本料理店で勤務した帰りだった。会社員の夫は事故同夜、勤務先から帰宅しない妻を心配し、携帯に電話をかけ続けた。10回ほどかけた時、電話に出た警察官は「奥様は亡くなられました」と告げた。
 「直線のホームなのに、車掌はなぜ見えへんかったんやろ」。夫はインターネットで情報を探そうとしたが、「酔っぱらい」「間抜けな死に方」と書き込まれた掲示板を見て、パソコンを閉じた。

これで一つ分かったことがある。この主婦はホームから転落したがすぐに自力で立ち上がり、ホーム上に頭を出したというのである。私の疑問はブログで次のように書いたが、自力で立ち上がることまでは想像もしなかった。だからこそ気がついた人が彼女をホーム上に引き揚げようとしたのだろうか。つくづく車掌の気づかなかったことが悔やまれる。さらには悔いても詮無いことであるが、この主婦はなぜ頭をホームの上に出すのではなく、ホームの下にある待避空間に入らなかったのだろうか。咄嗟の判断を間違えたのが残念である。

被害者について、asahi.comは《ホームにいた女性が停車中の快速電車の連結部分から線路に転落。その後、電車が発車し、異常に気付いて車掌が約10メートル先で停車させたが、女性は死亡したという》のように《線路に転落》と報じたが、NHK、産経ニュース、読売新聞、時事通信なども《線路に転落》とこれに与している。ところが共同通信は垂水署への取材として《女性がホームと車両の間に頭を挟まれた状態で電車が進んでいた》と報じており、線路への転落とは明らかに状況が異なる。共同通信から配信を受けたのだろうか日刊スポーツも同じ内容である。微妙なのが毎日新聞で《ホームから車両間の連結部分に転落》というから、線路上に転落とは受け取りにくく、どちらかと言えば共同通信の線に沿っている。いずれにせよ線路上に落下していたのか途中で止まっていたのか、私には判断のしようがない。

しかし依然として主婦が酔っていたのかどうかへの疑問は残されたままである。何がどうなのかを次のようにブログに書いた。

毎日新聞はこの被害女性が《友人の女性(28)と同県加古川市で飲食し、事故当時は酔っていたらしい》と報じており、日経も《女性2人は同県加古川市で飲酒し、帰宅する途中》と伝えている。私が最初に見たasahi.comでは女性が飲酒したとか酩酊状態であったとかの報道は皆無であった。未だに真偽の確かめようはないが、女性が酩酊状態にあったとすれば、この人身事故に対する世間の見方が大きく変わってくるかもしれない。

今日の朝日の記事は最初の報道のように酩酊状態の有無には触れないという線を貫いているようである。被害者の血中アルコール濃度を取材すれば済むことであろうに、それを黙殺していることには不審を感じる。

「対策あれば救えた」というこの見出しは正論である。しかし、である。ホームから転落すると危ないというのは誰しも心得ていることであろう。転落すれば頭を打つこともあれば足をくじくこともあろう。そういう危険性を乗客が心得ていることを前提に交通機関が危険対策を立てるべきで、思いつくまま、言われるままの安全策を実施に移すにはお金が幾らあっても足りないだろうし、それはすべて乗客の負担に跳ね返ってくる。そこでどうも気になるのがJR舞子駅での柵の設置法である。記事を繰り返すとJR西は1月末、舞子駅で先頭車両同士の連結部が止まる場所3カ所のうち、車掌から最も遠い1カ所にのみ固定柵(幅約2.5メートル、高さ約1.2メートいる)を新設したの部分である。転落防止柵を文字どおり受け取れば連結部が止まる場所3カ所すべてに柵を設置すべきであろう。車掌の目の届く範囲ならすぐに気がつくだろうから、ここは設置しなくても済む、では筋が通らない。

JRとしてはホームから落ちないように元来は乗客が気をつけるべきであるのに、乗客何万人か何十万人か、または何百万人に1人の割合で、原因は何であれ結果としてホームから転落する希有な人のために、無駄な費用はかけたくないという発想で今回の処置になったのではないか、とげすの勘ぐりが働いた。しかしかりにこの勘ぐりが事実であったとしても、柵の設置に関しては私はJRの判断を支持したい。しかし異常が発生したことを車掌、もしくは運転士に即刻知らせる有効な手段を整備することは、これまた安全対策の基本として徹底すべきであろう。


この「日々是好日」にコメントなどを寄せてくださった方々へ

2011-02-11 16:14:00 | Weblog
今日ちょっとしたことがあって、このブログの編集画面で「トラックバック管理」をクリックしたところ、トラックバックの承認待ちが並んでいるのに気がついた。そういえばここしばらくトラックバックやコメント投稿を扱った覚えがない。ひょっとしてと思い「コメント管理」をクリックしてみたところ、ここにも保留状態のコメントがかなり多く届いていた。調べてみると、iPhone 3GS(iOS 4)のWi-Fiへの接続性が抜群に向上に寄せられた昨年7月8日のコメントを「公開」させていただいたのを最後に、コメント処理が滞っていることが分かった。なぜ見落としたのだろうと考えているうちに、一つ思い当たることがあった。

読者からのコメントやトラックバックの承認が寄せられると、従来は編集画面に「○件の新着メールを受信しました」のメッセージが現れるので、メールボックスを開くと、「あなたのブログにコメントが届きました! 」と通知が入っていたのである。ところがいつの間にか「新着メールはありません」のメッセージが続く日が多くなり、時々届くのはジャンクメールであったので、gooメールのフィルタリング機能がよくなったのだろうと思っていた。もう半年以上もコメントに接していなかったのは、そのメール連絡がなかったからである。

「あなたのブログにコメントが届きました! 」メールが届かなくなったのは、もしかしてgoo事務局からのメールを私が誤って「受信拒否」にしてしまったのかも知れない。そういえばこのメールの「送信者」であった「gooブログ」の記録が、昨年7月28日以降メールボックスには見当たらない。この問題の詮索はこれからのこととして、せっかくコメントを寄せて下さった方には、完全に無視するような結果になり申し訳なく思っている。時期はずれになってしまったが、遅まきながら以前に遡って順次公開させていただきたいと思う。

ただここで私の勝手を申し述べさせていただくと、コメントの公開・非公開は、まったく私の判断で決めていることをお許し頂きたいのである。非公開にしたコメントを寄せられた方でも、直接お話しすればお互いの考えが理解し合えるように思うが、ブログ上でのやり取りは、私には負担が重すぎるので、遠慮させていただいている。ご了解をお願い申し上げる次第である。

世間の片隅で好きなときにぼそぼそとつぶやき、勝手に気炎をあげているに過ぎないこの「なまけ者サイト」に、次ぎのアクセス解析が示すように、平均して毎日六百人を超える方が訪れて下さっているとは驚きである。


そしてここにもあるように、「日々是好日」を検索キーワードとしてのアクセスが多いものだから、「日々是好日」を先ほどGoogle検索すると、なんと、158万件の検索結果の第二位に私のブログがランクされていた。


これまでも折に触れてGoogleの検索結果を目にしているが、この第一位に出ている臨済宗黄檗禅公式サイトの「日々是好日」と、ここでは第三位の弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」が、時には入れ替わることがあっても不動の一位・二位であったのに、たとえ束の間とはいえ私のサイトが二位に顔を出したのだから驚きとしか言いようがない。別に八百長を仕掛けた覚えもないので、素直に嬉しく受け取ることとする。

どうかこれからも気楽にお付き合い下さらんことを!



八百長相撲 白鵬の言やよし

2011-02-10 23:06:01 | Weblog
昨日テレビで横綱白鵬の記者会見の模様を観た。八百長に関与したことや見聞きしたことがあるかと聞かれて、「それはないということしか言えないじゃないですか」と答えていた。日本語として実に正しい。その上、たったこれだけの文字数に、白鵬がモンゴルから日本にやって来て相撲界に身を投じ、今日の大横綱にまで登り詰めるまでの人生のすべてが凝縮されていることに、私は深い感銘を受けた。どれだけ深い含蓄があるのかは、他の人の言葉と比べてみれば分かる。

昨日のお昼の「ワイドスクランブル」に相撲親方の元女将が出ていて、八百長のことは一切知らないというようなことを言っていた。これが本当のことだったとすると、この方は相撲親方の女将としては失格である。八百長を当然悪いことだと考えているのだろうから、そういう悪に子どものような弟子が染まらないように、日ごろから身の回りには目を向けて、折りあるごとに厳しい躾をしなくてはいけない立場にあるはずである。親方はさておいても、女将が「八百長は悪いことだから絶対にしてはならない」と弟子たちに教え込まないことには、八百長が悪ということすら弟子たちは覚りようがないではないか。

相撲親方の元女将がそれほど脳天気であったとは思えない。そんなことで横綱二人を生んだ相撲部屋を切り回していけるはずがない。この元女将も「私としてはないとしか言いようがありません」と言えば、さすが、紫式部か清少納言か、はたまた和泉式部の再来か、と褒め称えることも出来たのに、出てきたのは「知りません」という実に浅薄な一言であったのである。これでもって白鵬の才気縦横ぶりがうかがい知れよう。これでは日本人、形無しだな、と思っていたところに、追い打ちをかけるように次の読売新聞の記事が目に入ってきた。

「認めた力士がいるのだから…」白鵬が発言補足

 大相撲の八百長問題について、横綱白鵬(宮城野部屋)が「『ない』ということしか言えない」と明確に否定をしなかったことについて、日本相撲協会の放駒理事長(元大関魁傑)は10日、「認めた力士がいるのだから、そうとしか言えないじゃないか、という趣旨だった」と補足した。

 特別調査委員会(座長=伊藤滋・早大特命教授)から報告を受けたもの。

 白鵬は、9日の朝稽古の後、この問題について初めて口を開き、自身が八百長にかかわったり、見聞きしたことはないかと聞かれた際、あいまいに答えたために、波紋を呼んでいた。同日夜、全関取を対象とした聞き取り調査で、調査委が横綱から話を聞いていたため、確認が取れた。同委員会からは「(モンゴル人であるため)言葉のハンデがある」との説明もあったという
(2011年2月10日20時23分 読売新聞)

元女将と同じく、過去に「八百長はなかった」と発言している放駒理事長の茶々はともかく、「(モンゴル人であるため)言葉のハンデがある」発言に至っては臍で茶を沸かすようなものだ。この委員会のメンバーこそ日本語の言い回しを三顧の礼でもって白鵬に教えて貰うべきなのである。

「相撲に八百長はつきもの」という日本人の常識を、立場上口にすることが出来なかった人も、八百長メールの発覚でその態度を貫くことは最早出来なくなってしまった。その反動かどうか、今度は八百長相撲の実態を徹底的に明らかにすると息巻いている。アホなことである。かりに解明の努力を推し進めていったとしても、行き着く先が誰かの書いた筋書き止まりであることは、常識のある人間が少し考えればすぐに分かることである。こういう無駄な努力はすべきではない。ではどうすればよいのか。「相撲に八百長はつきもの」を認めた上で、相撲協会を新しい興行主催団体に改変し、伝統興行の復興すなわち相撲ルネサンスを断行せばよいのである。その一つの選択肢を私は八百長相撲を興行に取り入れたらよいのではで示したつもりである。

トヨタ車の急加速は電子制御システムの欠陥にあらず―称賛すべき米国政府の姿勢

2011-02-09 15:44:43 | Weblog
すでに日本のメディアでも報道されているが、米運輸省がトヨタ車が急加速して制御不能になり事故を起こした問題で、電子制御系に欠陥がなかったことを最終報告書で公表した。The New York Timesは次のように伝える。

Electronic Flaws Did Not Cause Toyota Problems, U.S. Says

After dissecting Toyota’s engine control software and bathing its microchips in every type of radiation engineers could think of, federal investigators found no evidence that the company’s cars are susceptible to sudden acceleration from electronic failures, the government said Tuesday. (中略)

 “The jury is back,” said Ray LaHood, the transportation secretary. “The verdict is in. There is no electronic-based cause for unintended high-speed acceleration in Toyotas. Period.”


ではなぜ「意図しない急加速」が生じたかというと、すでにトヨタ車「意図していない急加速」問題の顛末は? WSJの記事とNYTの社説で紹介したように、ブレーキを踏んだつもりが実はアクセルを誤って踏んだ運転ミスであったのである。

この報告を8日に発表したラフード米運輸長官は、この急加速問題が生じたときには、その後撤回したものの、「リコール対象のトヨタ車の持ち主は、もし何か問題があれば直ちに運転することを止めて車をディーラーに持ち込むべし」と議会証言した人物である。その同じ人が今回はテレビで、娘に車を買うことを相談されたのでトヨタ車は安全だからそれを買うように勧めた、というまでに態度が変わったのである。そのように言えた裏にはとにかく徹底的な調査があったからで、いろいろと圧力があったのではと想像するが、公正さを貫いた調査機関がまず素晴らしい。

In a statement, the highway agency said that NASA engineers had evaluated the electronic circuitry in Toyota vehicles and analyzed more than 280,000 lines of software code for any potential flaws that could initiate unintended acceleration.


さらに最初から可能性が指摘されていたが、フロアマットが(移動して?)アクセルを押さえつけた事例は一件しか見つかっておらず、また踏み込んだアクセルが元に戻らなくなったとか、戻り方が遅くなったという事例が一件もなかったというのである。急加速のすべての原因は「運転ミス」とするきわめて明快な結論であった。それにもまして、ラフード長官が述べていることであるが、この問題が最初に議会で取り上げられたときに一人たりとも「運転ミス」を口にする人がいなかった状況から出発して、「運転ミス」を全面的に認めるに至った問題処理の経緯に、日本より遙かに成熟した米国社会の底力を感じた。

トヨタは少なくとも米国では今年末までに「ブレーキ・オーバーライド・システム」を全車種の標準装備とするようであるが、トヨタの業績回復に結びつくことになるのであろうか。


過去ログ
トヨタ車「意図していない急加速」問題の顛末は? WSJの記事とNYTの社説
二件の暴走事件 過ちをするのが人間?
Corvetteを運転できる暴走プリウスのドライバーSikes氏が
サンディエゴで暴走プリウスの怪
Smith夫妻の2007Lexus 350 ESは今どこに?
トヨタ 米公聴会で浮かび上がった問題点 日本では大丈夫?
「ブレーキ優先装置」または「ブレーキ・オーバーライド・システム」とは何のこと?



「キムチベーコンの卵丼」の美味かったこと

2011-02-08 20:37:53 | Weblog
日経夕刊に小泉武夫さんの「食あれば楽あり」という欄がある。今日の記事はベーコンの美味しい食べ方で、「ベーコンのお茶漬け」、「ベーコンとキャベツのスープ」、それに「キムチベーコンの卵丼」が紹介されていた。これがその卵丼の作り方、味わい方である。


ここまで美味しいそうに書かれたら、読むだけで唾が湧いてくる。数日前大阪の鶴橋で買ってきたポッサムキムチが幸い一回分だけ残っていることでもあるしベーコンもあるので、さっそく作ることにした。このポッサムキムチは牡蠣、貝柱、イカに魚肉など海鮮類の入っているのが特徴で、さらに各種の野菜に果実に木の実など素材の種類がとても多く、それだけに実にまろやかな旨味を醸し出している。生の海鮮類を別に取り出して、残りを適当な大きさに刻んだ。またベーコンはちょうどブロックがあったので5ミリ幅の薄切りにし、さらに角切りにした。調味料は一切使わず、キムチの漬け汁に湯を少し足してだし汁代わりとした。最後は卵とじの上に海鮮類を戻して出来上がり、5分もかからなかった。


食べ出すと驚いたことに小泉さんの書いた通りにことが進んだ。違うのは一口食べることに「美味い」という言葉が飛び出ることである。10回くらい声に出したか、「もう分かった」と妻が言う。実はキムチ、彼女の好みではないので、不断から遠慮しながら買ってくるのである。食べ終わってここぞとばかり「ああ美味かった」で締めくくった。

八百長相撲を興行に取り入れたらよいのでは

2011-02-05 14:26:39 | Weblog
今回の八百長相撲について影響力のありそうな人の発言で引っかかることがある。まずは次の発言である。

NHK会長「これまでとは次元が違う」 相撲八百長問題

 「土俵の中で起きた重大な問題だ。これまでとは次元が違う」。3日の記者会見で、NHKの松本正之新会長は、大相撲の八百長問題に厳しい姿勢を示し、11日のNHK福祉大相撲の中止を発表した。JR東海副会長から招かれ、就任10日目。初めての定例会見だった。
(asahi.com 2011年2月3日23時5分)
そして同じくasahi.comから。

土俵の外は、厳しい風が吹いている。

 協会を監督する文科省。高木義明大臣は4日の記者会見で「最優先すべきなのは全容解明。春場所の開催は調査状況をふまえたうえで判断すべきだ」と発言した。力士らへの調査が不十分なら、開催中止も検討するべきだとの考えを示唆した。

 「場所を開催するかしないかの権限は文科省にない」というのが、文科省の基本姿勢だ。公益法人である相撲協会の運営に問題があれば、監督官庁の文科省には、行政指導をする権限がある。ただ、スポーツの試合を中止させるといった指導は前例がない。

 それでも今回、文科省で厳しい見方が出ているのは、八百長が野球賭博と違い、「相撲自身にかかわる問題」(鈴木寛副大臣)だからだ。
(2011年2月5日5時33分)

これまでとは次元が違うとか「相撲自身にかかわる問題」とはかなりトーンが高いが、要は大相撲ではあってはならない八百長が行われた、と憤っているのであろう。でもこの認識は「相撲に八百長はつきもの」という日本人の常識とは大きくかけ離れていると言わざるを得ない。そういう発言をされる前に、せめて新田一郎著「相撲の歴史」(講談社学術文庫)に目を通して、大相撲の成り立ちについての理解を深められるべきであったと思う。

ここに名前の出た鈴木寛副大臣とは異なり、昔の政府高官にはなかなかさばけた人がいたようである。「相撲の歴史」に次のような記述がある。

 欧米流の近代国家建設を課題とした明治新政府の旗ふりのもとで、欧米文化の急速な流入がもたらした「脱亜入欧」の社会気運は、相撲界を激しくゆるがした。旧来のさまざまな風俗慣習が、文明開化の妨げとなる前近代的な旧弊として指弾され、社会から駆逐されてゆくという趨勢のなかで、相撲界は大きな危機を迎えたのである。
 たとえば断髪令・廃刀令に代表される旧俗の改廃は、そうした日本的な風俗に密着した様式性を重要な要素とする「故実」に支えられた相撲興行にとっては、存亡に拘わる危機であったといってもよかろう。幸いにも新政府部内に相撲に対する理解者が比較的多かったため、断髪令などは相撲界への適用をまぬかれたが、この時代、相撲への風当たりには相当に厳しいものがあった。
(277-278ページ)

正しくは「大相撲に八百長は文化であるから・・・」と鈴木副大臣は言うべきであったのである。現にどの国語辞書にも「八百長」の説明がちゃんと出ているのがその証拠である。しかも「八百長」の語自体が相撲界から起こっているのである。

「八百長」の語は、明治初年、相撲会所の実力者伊勢ノ海のもとへ出入りしていた八百屋の長兵衛(通称八百長)なる者が、囲碁の達者でありながら伊勢ノ海の機嫌をとるためにわざと負けていたことに由来するという。
(354ページ)

勝負そのものに対する見方が時代とともに変わってきたことも「相撲の歴史」に述べられている。

 相撲協会が公式の制度として個人優勝者を表彰するのは、大正15(1926)年にときの皇太子(後の昭和天皇)の台覧相撲の際の下賜金をもって東宮杯(現在の天皇杯)を作製し、これを幕内優勝者に授与することとして以来である。
 個人優勝と団体優勝との差異はあれ、こうした優勝制度が制定されたことは、力士たちの、またそれぞれの贔屓客の、勝敗に対する意識に、大きな変化をもたらした。優勝を争うという明確な目標が設定されたことによって、従来とは段違いの「勝敗へのこだわり」が生まれ、いきおい土俵上の取り組みも、勝敗を争う厳しさを増してゆく。(中略)

 取り直し・不戦勝といった制度も、個人優勝制度の制定とそれに伴う競技ルールの変更が、大相撲の性格を大きく変容させたのであった。そこにはあるいは、近代になって西洋から導入された「スポーツ」観念の影響も、あったかもしれない。
(289-290ページ)

近代になって西洋から導入された「スポーツ」観念の影響のおかげで、松本NHK会長や鈴木副大臣の発言を不思議と思わない国民が多いのかもしれないが、こういう人たちも大相撲の成り立ちを理解すると見方が変わってくるのではないかと思う。

軍人が幅をきかせていた戦前、相撲協会の会長・理事長に軍人を戴く習いがあり、戦時下のナショナリズムの高揚が追い風となって相撲人気が高まった。「国策」の一環として演出された面もあったようである。そういえば戦争中、私が通っていた朝鮮の京城公立三坂国民学校には立派な土俵があって、そこに大関名寄岩関一行を迎えたことがある。そしてその3、4年前になるが、双葉山が69連勝への記録を伸ばしているときの映像に、「国民精神総動員」の大きな垂れ幕を見ることが出来る。この双葉山を「相撲の歴史」は次のように的確に評している。

 双葉山が偉大な強豪力士であったことは疑いない。だた、双葉山の偉大さがその精神性のゆえをもって語られ、それを尺度として他の力士をも評価しようという傾向が、いまなお跡を絶たないことは、相撲にとって、また双葉山自身にとっても、むしろ不幸なことであると思う。
(298ページ)

八百長排除もその精神性重視の延長にあることは疑いない。しかし大相撲の本質はそんなものではない。

 相撲は、ときに「武道」という装飾をまといながらも、非常に早い時期から、実践的な闘技でも、信仰心を伴う孤独な修業の道でもなく、観客の存在を前提とした完勝に耐える技芸として成立し、洗練されてきたものである。中世には相撲節(すまいのせち)に由緒を求めた奉納技芸として、江戸幕府のもとでは故実に荘厳された勧進興行として、また近代には「日本的」なるもとを象徴する大衆娯楽として、相撲はそのときどきの社会情勢によって人々の支持を求めてさまざまに装飾を変えてきた。そうした、「興行としての相撲の歴史」を一貫するものは、「相撲道」などではない。あえて求めるならば、「相撲」の原義としての「格闘」であり、格闘を競技化し様式化した、娯楽としての相撲の姿であるに違いない。
(298-299ページ)

また財団法人としての相撲協会のある種の特質が次のように語られている。

 相撲協会は文部省(原文のまま)の管轄下にある財団法人である。相撲の指導普及を目的として認可された公益法人なのであって、本場所を興行し収益をあげることは、その目的達成のための手段として認められ、その目的の公益性を理由に、税制上その他さまざまな点で、営利私企業と異なる利便を与えられているのである。ところが一方で相撲興行は、そもそも相撲社会に生きる多くの人々の生活維持の手段なのであり、営利と無関係のものではありえない。財団法人の形が採られたのは、戦前戦中の「相撲道」が「武士道ノ精神」を体現した「国技」として、天皇の庇護、国家の保護のもとに維持されるべき、特殊な位置づけを与えられたことの証なのであった
(335-336ページ)

建前としての「相撲の指導普及」を国が必要としなくなった昨今、国が相撲協会を公益法人として認定するには国民的合意が得られるとは考えにくいし、また相撲協会も既得権利にしがみつくあまり、営利事業との非整合性という矛盾を何時までも抱え込むのは賢明とは言えない。

大麻とか野球賭博とか八百長など、最近の一連の不祥事の内容はそれぞれ異なるが、その結果として相撲協会の公益法人性が問われるようになった。ちょうど良い機会である。「国技」という呪縛から自らを解放し、政府の監督から離れ、ファンに親しまれる娯楽として大相撲を国民の間に定着させていけばよいではないか。そこで呼び物の一つとして八百長を興行の目玉とすることを提案したい。

毎日何組か八百長相撲をさせるのである。指示を受けた力士は芸の限り力の限りを尽くして芸術の域まで高めた八百長を行う。一方、観客はどれが八百長試合かを見破るのである。勝負の終わった瞬間に携帯メールで投票する。投票すれば課金されるし、的中すれば配当金を受け取る。一方、八百長を見破られなかった力士はその「芸術点」によるが報奨金を受け取る。どの程度の割合で八百長を組むのか、また横綱は別格で対象にならないとか、こまごましたゲーム作りや技術的なことは専門家が考えていけばよいのであって、要は八百長も興行の対象にしてしまうのである。参加者は「国技館」に行く必要はない。何時どこからでも携帯メールで投票するのである。これで大相撲の復活・隆盛は間違いなしと思うがいかがであろうか。もしこの案が日の目を見るようなことにでもなれば、この提案者へのご挨拶をどうかお忘れなきように。

おまけ 「双葉山の69連勝




勝ったぞ日本 サッカーアジア杯

2011-01-30 11:08:00 | Weblog
午前0時から始まった対豪州戦、0-0のまま延長戦を迎えた。その前半も0-0で終わり後半戦に入ったものだから、また対韓国戦同様にPK戦かと思いかけた時に、左サイドを駆け上がった長友のクロスを、途中出場の李忠成が見事なボレーシュートでゴールを決め、ついに先制点を奪った。豪州ゴール前の画面で目に入るブルーのユニフォーム姿は長友と李の両選手だけでしかも李は完全にノーマーク。間に豪州選手が四五人はいたようだが球は綺麗に李に渡る。まるでボレーシュートの模範演技を観ているようだった。延長後半終了間際に日本は選手交代で活を入れ、豪州のFKをはじき返してついに日本が栄冠を手にした。

対豪州戦は午前0時に試合開始だから、最後まで見ようとすると午前2時ごろになる。途中でしんどくなったらその時は寝ることにしようと思って見始めたが、結局最後まで見てしまった。最初は豪州の方が元気が良くて、何時入れらるだろうかとはらはらさせられた。入れられる瞬間なんて見たくないなと弱気にもなりかけたが、とにかく前半を0-0で切り抜けたのでとにかく日本の攻めるところが見たくなり、終わりまで見届ける覚悟を決めた。

最大の危機は後半間もなくであったか、球が日本のゴールラインの上かと思われるところを往き来したときで手に汗を握ったが、日本が何とかクリアしたのが引き金になってか、後半は日本の攻勢が目立った来た。そして0-0のまま延長戦を迎えたのである。とにかく凄かったのが試合の全場面でのGK川島の獅子奮迅の働きで、またそれをそれを盛り立てたのがDF果敢な動きだった。

それにしても感銘を受けたのがザッケローニ監督の采配である。私が観戦したのは対韓国戦とこの対豪州戦だけであったが、対韓国戦では途中出場で入ったばかりの細貝がゴールを決めたし、この対豪州戦でも健闘の前田にかわり延長前半で投入されたばかりの李忠成が鮮やかにボレーシュートを決めるなど、途中出場選手の能力を十分に発揮させたからである。しかしその伏線となるのは後半で藤本にかわり入った岩政がDFを固めて長友を上に押しやったことかなと思うと、神憑り的な采配のようにも見えてきたのである。しかしこれは素人の後知恵というもので、優勝の瞬間には興奮のあまり大声を上げていた。やはり勝つのはよいもので、気がついたら脇の下に汗をかいていた。さあ、今日一日はあの胸のすくようなボレーシュートを何回も見せて貰い楽しむとしよう。