goo blog サービス終了のお知らせ 

日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

クローズアップ現代「目指すは“世界最高”iPS細胞・山中教授に聞く」雑感

2010-07-15 21:43:45 | 学問・教育・研究
クローズアップ現代からは最近遠ざかっているが、今晩はホットな話題でもあるので7時のニュースに引き続いて見た。もう何年も京都大学には足を踏み入れていないので、山中伸弥教授が所長を務める「京都大学iPS細胞研究所」が京大のキャンパスのどこに出来たのか分かるかなと思い、つい周囲の光景を見回した。思ったより大きな建物が印象的だったが、研究室を始め内部はなんだか狭苦しくて、働いている研究者が養鶏場で卵産みに励んでいる鶏のように見えた(失礼!)。山中教授のiPS細胞研究こそ大金を注ぎ込むまたとないターゲットだけに、私の勝手な思い込みであるが、空間的にももっとゆとりのある大らかな感じのする研究所かと期待していたので、それが裏切られたような気がしたのである。

しかし研究リーダーの多くが30歳代とはわが意を得た思いである。この年代の人たちが思う存分力を振るうと、どれほど素晴らしい科学的成果がもたらされるのかその「実験」の場でもある。私は日本における科学の発展に必要なことは、若い研究者に直接研究費が渡り自らのアイディアを伸ばしていくことにあると信じている。その意味での成果もぜひ期待したい。所長の山中教授が「総合力で目指す世界最高」を強調しておられた。そのためのノー・ ハオの蓄積が近い将来日本の科学研究を推し進める大きな駆動力となってほしいものである。

ところが番組を観ていて違和感もあった。特許申請と関係があるのだろうが、研究員が実験ノートをそういう部署のオフイスに持参し、テーブルの上に山積みしている光景である。そのノートに何かが書き込まれていた様子から想像するに、特許申請とかまたは異議申し立てなどの資料としての形式を整えるためのものだろうか。一口で言えばいやーな感じ、これが大学の研究所?と思った。さらにアメリカのベンチャー企業だったか、投資家といえば聞こえがよいが、何でも金儲けの種にしてしまう金主が舌なめずりしているパーティ風景であった。私はこれまでも何回かiPS細胞研究に関わる特許問題について意見を述べてきたが、万能細胞(iPS細胞)研究 マンハッタン計画 キュリー夫人では次のように述べている。

京都大学(山中教授)が万能細胞研究の人類全体の医療に及ぼす影響の普遍性にかんがみ、すべての研究者が特許出願を抛棄するべく全世界に率先して働きかけて欲しいものである。研究者が自らの研究の社会的意義を考え、特許を念頭に置かずに研究成果をすべて公表する、これは一人一人の研究者の判断で出来ることであろう。科学者の社会的責任を今原点に戻ってじっくり考えていただきたいと思う。

山中教授も番組の中で言っておられた。京都大学の金儲けのためではなくて、より多くの人に(無償で?)利用して貰いたいからである、と。それなら最初から特許を意識せずに重要な発見を次から次へと論文で発表していけばよいのである。周知の事実となればもはや特許の対象とはならないし、世界中の誰もがその成果をもとに自分の研究を推し進めることができるではないか。「総合力で目指す世界最高」の研究所が一切の特許を放棄することを宣言すれば、それだけでもまず金字塔を打ち立てることになるではないか。

iPS細胞の臨床応用の面でも感じることがあった。難病治療の必殺技のような取り上げ方を番組がしているように私は思ったが、人への応用の話はまだまだ早すぎるのではないか。もちろん可能性は否定出来ない。しかし可能性である以上はサラッと紹介する程度に止めるべきで、実際に難病に罹っている患者・家族を番組に登場させるのは行き過ぎである。あまりマスメディアが先行するとその煽りを喰らうのは科学者である。下手するとペテン師にもされかねない。その意味では科学者もマスメディアとの付き合いには慎重のうえにも慎重であるべきだと思った。


沖縄科技大、初代学長にスタンフォード大教授とは

2010-07-09 00:05:27 | 学問・教育・研究
今日の日本経済新聞電子版の記事である(とお断りしたから無断複製・転載でないと信じる)。

沖縄科技大、初代学長にスタンフォード大教授

 2012年度開校予定の沖縄科学技術大学院大学(沖縄県恩納村)の初代学長に、米スタンフォード大学のジョナサン・ドーファン教授が就任することが8日明らかになった。同氏は素粒子物理学で成果を上げるとともに、スタンフォード線形加速器センターの所長を務めるなど管理業務の経験も評価された。
(2010/7/8 13:40 日本経済新聞 電子版)

この大学院大学学長に内定していた方は確かノーベル賞学者で、事業仕分けの時だったか、世界一周航空チケットの使い方でイチャモンをつけられた方だと思っていたが、私の思い違いか。それともイチャモンに嫌気がさして逃げられたから、その後任に来られるということなのだろうか。

その事業仕分けの時に、沖縄科学技術大学院大学なんて耳にしたことがなかったので少し調べたところ、世界最高水準の科学技術に関する研究及び教育を実施する大学院大学を沖縄に作る計画が進んでいて、それが沖縄科学技術大学院大学であると知った。私が疑ってかかることにしている「世界最高水準」なる文言が出てきたので、またあれかと思ったことを思い出す。なぜ私が「世界最高水準」に懐疑的なのかは、世界水準の研究教育拠点そして経費関係調書非公表の怪などにその理由を述べている。

もう10年越しの計画のようだから、これまでいろいろと努力を傾けてこられた方々には申し訳ないが、私は無駄なことをしているように見える。沖縄で世界最高水準の戦闘機とか爆撃機を維持するというのならすでにそれなりの実績があるので納得もできるが、本土遙か離れたあの島国に『世界最高水準の科学技術に関する研究及び教育を実施する大学院大学』なんて、本土にもないような『象牙の塔』が出来るはずがないと私は思っているからだ。井上章一さんではないが、「ラブホ」でも一軒がポツリと立っているところでは流行らないそうで、何軒も寄り合って密集するところで栄えるそうである。大学もまたしかり、日本の旧六帝大の所在地周辺を見渡してご覧じろ、である。沖縄科技大の設立にこれまで携わってきた人の中に、本土にもないような世界最高水準の最高学府が、沖縄のリゾート地にポツリと屹立するようになるとでも本気で思っている人が一人でもいるのだろうか。お目にかかりたいものである。

私の大胆な予想を申し上げれば、気がつけば沖縄科技大の大学院生はほとんど外国人になっていることだろう。理由は簡単。なんせここでの公用語は英語なんだから(と私は理解したので)、入学試験からしてすべて英語で行われることだろう。そうするとどういうことが起こるか、最近話題になった看護師国家試験を受験した来日インドネシア人、フィリピン人の挙げた成果を思い出せばよい。受験者254人で合格者はたった3名、試験が日本語で課せられたからである。沖縄科技大は世界に開かれた大学だから当然受験生の国籍を問題にしない。そして試験は英語で課せられる。公正な試験を行えばどういう結果になるのか、目に見えているではないか。学長をはじめとして、日本人がほとんど見えてこないこのプロジェクトに、ただでさえ乏しい国民の税金を注ぎ込む大義名分がどこにあるというのだろう。事業仕分けで本来取り上げるべきは世界一周航空券などではなくて、沖縄科技大計画の廃止であったと私は思う。今からでも遅くはない。昨日か一昨日か、文科省に国立大学法人運営費交付金の削減が求められているとのニュースが流れた。試算によるとその削減で私の出身校である大阪大学と九州大学の2大学を消滅させるぐらいの規模であるとか。その一方で、外国人のための沖縄科技大をこれから新に作ると?

この計画は自民党政権時代に始まったこと。げすの勘ぐりを進めると、沖縄に米軍基地を維持せんとする前政権の強い意志と連動した計画であること間違いなしである。政治に利用された現代の「バベルの塔」造りに担ぎ出された人たちこそあわれである。昨日の筑波大学「長論文」から逃げ出した共著者に問われる研究者倫理の場合とは逆になるが、早々と逃亡をお勧めする次第である。



筑波大学「長論文」から逃げ出した共著者に問われる研究者倫理

2010-07-07 16:29:15 | 学問・教育・研究
筑波大学「豆まきデータ」騒ぎ 問われるのは科学者としての姿勢を書いていて、問題の「長論文」の顛末が少々気になったものだから調べてみたところ、意外な事実が分かった。Physical Review Letters掲載論文には元来27名が共著者として名前を連ねていたが、なんとそのうち24名がこの論文から名前を取り下げていたのである。


下部の説明文を読むと、共著者から名前取り下げの要求があったのでそのようにした、と受け取れる。ジャーナル側のコメントのようであるが、ジャーナル側がこの事態をどのように考えたのかはこれからは読み取れない。残りの三名はこの論文が基本的に信頼出来ることを断言している、との説明が加えられているが、ジャーナルとしても頭を抱え込んだことだろう。この申し出が今年の2月23日に受理されて公開されたのが4月22日である。長さんが第一審で敗訴したのが4月19日だから、この共著者名取り下げの事実が判決に影響を及ぼしたのかどうか、微妙なところである。

そしてさらに新しい発見があった。この論文の訂正?版がこの6月1日に受理されて、25日に公開されているのである。


最初に発表された論文のタイトルに「Erratum:」なる言葉が被された見慣れない表題になっている。論文内容を見ることが出来ないので、どのように変わったのか分からない。二転三転、このように不様な論文を載せるとは「Physical Review Letters」の度量がよほど大きいのか、長さんの粘りに引かざるを得なくなったのか、ジャーナル側にもいろんな事情があったのだろう。今後、このような事態にどう対処すべきなのか、ジャーナル側でも当然検討を始めていることだろう。いったん論文を受理してしまった以上、もし審査過程に不備なり間違いがあったことがその後判明したとすると、それはジャーナル側の弱みになるからだ。長さん側とジャーナル側のせめぎ合いの結果、このような形で折り合いが付いたような気がする。政治的決着で、科学とは関係のないレベルでの話であろう。

ところで私がここで取り上げたかったのは、「長論文」から逃げ出した24名の共著者のことなのである。私は当初この程度の論文に共著者が多いのは、巨大装置?を使っての実験だから、装置を造り上げ、整備したり運転するのに必要とされる技術者までが共著者に含まれているのかと勝手に思い込んでいた。しかし今回論文を見直していて、論文の共著者名の最後に「GAMMA 10 Group」という名称のあることに気がついた。おそらくこの「GAMMA 10 Group」が装置の保守点検や運転に携わっていたのではなかろうか。そう考えると個人名で記載されているすべての共著者は歴とした研究者であると受け取るのが素直であろう。

では24名の研究者がなぜ最初の「長論文」に名を連ね、そして今回、なぜ共著者名を取り下げたのか、それを私は知りたいが、現時点では一切何も分からない。はっきりしているのはその事実が残されたということだけである。その事実だけでものを言うのであるが、なんとも情けない人たちである。これまで共著者に名前を連ねて論文を一つ稼いだといい気になっていたのに、なんだかやばそうになるとあたふたと逃げ出す。卑怯であり卑劣ではないか、というのが私の思いなのである。いいかげんな気持ちで共著者になるから、いいかげんな気持ちで共著者から逃げ出す。研究者失格である。私はこれまでも論文に名を連ねる資格などのことを、論文に名を連ねる資格のない教授とはを始めとしていくつかの小文で述べているのでここでは繰り返さないが、論文に名を載せて始めて研究者としてスタートするのであり、論文を出し続けることで研究者の地位を維持することが出来る。それをチャランポランにするようでは研究者失格である。

この逃げ出した共著者が、なぜ最初の「長論文」に名を連ね、そして今回、なぜ共著者名を取り下げたのか、その経緯を詳らかに説明して誰もが納得出来る形で身の証しを立て得た場合のみ、私も指弾を撤回したいと思う。逃げ出した共著者に一片の良心があれば、沈黙で済ますことは出来ないはずである。




筑波大学「豆まきデータ」騒ぎ 問われるのは科学者としての姿勢

2010-07-04 23:04:09 | 学問・教育・研究
昨夜は楽しみにしている韓国歴史ドラマ「朱蒙」が午後7時に始まるので、それまでに食事を終えておこうといつもより早めに食卓に坐った。そして4チャンネル毎日テレビにスイッチを入れたお陰でTBS系列報道特集「科学は裁けるのか… 解雇された世界が認める筑波大元教授の主張は」を始めから終わりまで観ることが出来た。

筑波大学が「本学教員が発表した論文における不適切なデータ解析について」なる文書を2008年3月に公表したことでこの問題が世間に知られるようになった。実験データ解析が問題の焦点の一つになっていることから、現役時代に分野は異なるものの私もデータ解析に取り組んでいたので、その立場から筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてなる意見をブログに載せたところ、意外な反響を呼ぶこととなった。私が問題となる実験データのことを「豆まきデータ」と表現したところ、この言葉が私の知らない間に関係者の間に飛び回っているようなのである。その辺の事情を「豆まきデータ」と揶揄した債務者とは私のこと?で質してみたが、答えは戻ってこなかった。ところが昨夜の番組で、ナレーターが『大学側の言う「豆まきデータ」・・・』と少なくとも2回は言ったので、どうも筑波大学が裁判関係の書類のなかで「豆まきデータ」なる言葉を使ったのではないかと見当をつけた。この言葉を使っていただいたこと自体ある意味では光栄であるが、私は「豆まきデータ」ではデータ解析に値しないから測定を繰り返してデータ精度を上げるべきだ、との積極的提言への取っかかりとして用いていたのである。しかし察するに原告側からは揶揄と受け取られた使い方をされたようで、その意味では残念である。

私にはこの「豆まきデータ」騒ぎが、『研究論文の実験データ改ざんを理由に懲戒解雇』と世間に報道されているような実験データ改ざんに当たるのかどうか、マスメディアを通じて入る情報だけでは判断出来ないので最初から態度を保留している。私の関心事は秋の珍事? 報道特集NEXT「大学教授はなぜ解雇された」の波紋に述べたことに尽きるので、ここにその部分を再掲する。

私が問題にしているのはデータの解析方法ではなくて、あくまでもデータ収集の手段なのである。同じ測定を繰り返し積算してデータの精度を上げる、これが実験科学者の鉄則であるからだ。

しかしが昨夜の報道番組で取り上げられたのはあくまでも「豆まきデータ」の処理を巡っての話で、それに耳を傾けているうちに私は問われるべきなのはデータ解析の妥当性というよりは、科学者としての姿勢であるよう気がしだした。昨年10月に放映された前回の番組もそうであったが、原告と被告の主張をそれぞれ依怙贔屓無く報じて是非の判断を視聴者に委ねるというのものではなく、あくまでも原告側に肩入れした報道なのである。一般向けのプロパガンダとしてはそれなりの出来であるが手法自体は古くさい。お見受けするところ実験現場からはすでに引退しているが、肩書きのあるいわゆる権威者を登場させて原告側の業績を称揚させるだけで終わっていたからである。ついでにノーベル賞学者を登場させればよかったのに、そこまでは力が及ばなかったようである。しかし私が注目したのは、「豆まきデータ」の取り扱いについて二、三の研究者の意見を紹介していたところで、それぞれ考えさせられた。

最初は一人の研究者のコメントである。「豆まきデータ」を両横から押して時間軸を圧縮すると、左端では何点かが上部に集中しているように見え、右端ではそれよりも下部に何点かが集中しているように見える。だからプロットが減少するのは明らか、というような発言であった。横軸を縮めようと縦軸を縮めようと「豆まきデータ」の本質が変わるわけではないから、データの散らばりをどう受け取るのかその人の主観を述べただけのことである。もし学生がこういうことを言ったとしたら、データの特徴をよく読み取ったと褒める指導者は一人もいないだろう。しかしこの方からは、少なくともこの「豆まきデータ」からある傾向を掴もうと努力する姿勢は窺われるので、この点は納得出来た。データから学ぶという実験科学者の基本姿勢は失われていないように思ったからである。ところがこれと対照的なのが同じく「豆まきデータ」から出発して、異なる解析手法によっても論文に示されたのと同じフィッティング結果が得られたと主張した別のお二人であった。

研究者が予断を持って実験するのは当たり前のこと、と言わんばかりに「豆まきデータ」を原告論文と同じ数式モデルにフィッティングさせると、解析方法が異なっているにもかかわらず原告論文と同じ形の関数が導かれたと言うのである。すなわち原告論文のデータ解析の妥当性を主張したつもりなのであろう。横軸を圧縮した例では少なくとも「豆まきデータ」に基づいて何らかの傾向を見つけようとの姿勢があったが、この例では最初から実験モデルありき、で解析を進めたのである。真摯な実験科学者なら実験データからまず学ぼうとするだろう。もし得られたのが「豆まきデータ」のように何が何やらわけの分からないデータであれば、測定を繰り返しデーターを積算して、それこそ見ただけでどのような傾向にあるのか、ときには関数の形さえ判断出来るところまでデータの精密度を上げようとするだろう。

一方、データを説明するある数式モデルを最初から持っておれば、そのデータがいかに乱雑であってもその数式モデルのパラメータは導かれる。ただ「豆まきデータ」から出発する以上、フィッティング曲線の「豆まきデータ」に対する適合度はかなり程度が低いことであろう。だからこういう試みも出来る。原告論文の数式モデルの代わりに、この「豆まきデータ」を楕円関数にフィットさせることを学生に課題として与えたら、100人が100人とも、たとえ異なった解析ソフトを使っても「豆まきデータ」にベストフィットする同じ楕円関数を導くことであろう。さて、原告論文の関数、そしてここで導かれた楕円関数をそれぞれ生「豆まきデータ」と比べてどちらのほうがもっともらしいフィッティング曲線となることだろう。こいうお遊びが出来るのも「豆まきデータ」を使うからこそであって、実験が正しくてデータ精密度が高いと自ずから楕円曲線の可能性は否定されてしまう筈ある。

私はすでに「論文不正あった」解雇認める=筑波大元教授敗訴で思うことで次のように述べている。

私は当初、このような杜撰なデータをなぜPhysical Review Lettersの査読者が見逃したのかが不審であったが、この論文そのものを目にして謎が解けた。査読者が生の「豆まきデータ」を目にはしていなかったのである。筑波大学が公開した資料2説明資料にのみに「豆まきデータ」から論文に掲載された図が導かれる経緯が出ていたのである。これでは査読者が不審を抱きようがない。

実はこの記事を書くに先立って、④の報道特集の映像がYoutubeで公開されていることを知ったのでそれを見てみた。長さんの言い分を全面に後押しせんばかりの一方的な報道姿勢で、科学のゆがめられたワイドショー化の現状がよく分かる映像である。そのなかで長さんを支持する世界の名だたる?核融合研究者の長さんに好意的なコメントばかりが紹介されていたが、私ならその一人ひとりに「豆まきデータ」を直接示して、あなたならこのデータをどのように扱いますか、と問いただす。彼らがほんとうに世界の名だたる核融合研究者であるなら、言葉を詰まらせるはずだ。

実験データから学ぶのではなく、すでに頭に描いている数式モデルをデータに当てはめる。このような場合もあることを完全に否定はしないが、私はそこまで自然に対して傲慢ではない。あの乱雑な「豆まきデータ」でエイ・ヤーッと一刀両断、あらかじめ頭に描いている数式モデルのパラメーターを決めてしまうのは見方によれば極めて剛胆である。それに引き替え、同じ測定を繰り返しデータを積算してその精密度を上げるべきだという私の意見は重箱の隅をほじくっているように見えるだろう。しかし生データとそれぞれのフィッティング曲線との適合度を比較すると、精密度の高いデータを使ったものほどより優れた適合度を与えることになり、それだけ説得力に重みが増す。

実験データそのものに多くを語らせることが出来ると、『データからこのような数式モデルが導かれてそのパラメータはかくかくしかじかである』と言うことが出来る。しかし一方、『得られたデータがこの数式モデルで表されると仮定してそのパラメータを求めるとかくかくしかじかになった』と言うので満足するのであれば、「豆まきデータ」を用いて、そのようにすればよいのである。要するに「仮定」で満足出来るかいなかで解析データに対する要求度が大きく異なるのである。ただ科学者は「仮定」を実証するのが仕事である。後者の例のように、「仮定」が前提となっているのに、あたかもそれを実証したかのように振る舞うとこれは人を欺くことになる。実験データいかんに関わらず、あらかじめ頭の中にある数式モデルをデータ解析に持ち出すことは、その時点で後者の道を歩み始めたことになる。その意味で「豆まきデータ」にどう立ち向かうかが自ずと科学者としての姿勢を示すことになる。そのことを考えさせたこと一つで、この報道番組は無駄ではなかった。


「研究助成受けたら小中で授業義務付け 文科省」とはなんとまあ・・・

2010-06-26 17:18:43 | 学問・教育・研究
旧聞に属するが次は日本経済新聞電子版の記事(010/6/22 21:12)である。

研究助成受けたら小中で授業義務付け 文科省

 文部科学省は22日、1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者に、小中高校での理科の出前授業などを事実上義務付けることを決めた。来年度から実施し、「競争的資金」を受ける約2000人が対象になる。国の科学研究を発展させるには研究者自身が成果を説明して予算配分に理解を得るとともに、「未来の担い手」を育てる努力をする必要があると判断した。

 競争的資金制度はテーマを研究者から募り、有識者らが優れたものを選定して助成する。文科省の科学研究費補助金(科研費)が助成総額の約4割を占める。

 文科省の方針では3000万円以上の助成を受ける研究者は最低でも年1回、小中高校で自身の成果を分かりやすく説明する出前授業をする。または一般市民向けの公開講座を開く。多忙な場合は共同研究者や外部講師に依頼できるが、発生する費用には研究費の一部を充てる。

 対象となる助成制度では、研究期間の途中段階で助成を続けるかどうかを審査するのが一般的。その際に研究の成果同様に、出前授業や公開講座も評価対象とする。実施しないと評価が1段階下がるため、事実上の義務付けとなる。

 科学技術政策の司令塔である総合科学技術会議(議長・菅直人首相)が22日に「国民との科学・技術対話の推進について」の基本方針を公表。この中に出前授業や一般向け公開講演会など「国民との科学対話に積極的に取り組むよう(競争的資金の)応募要項に記載する」と明記した。

 川端達夫文科相も同日の閣議後会見で「文科省として対応していきたい」と述べ、基本方針に沿う方針を明らかにした。これを受けて文科省は来年度分から、科研費などの応募要項に「出前授業を積極的にするように」と明記する。総合科技会議が直轄し、京都大学の山中伸弥教授ら30人が助成を受ける「最先端研究開発支援プログラム」では今年度から出前事業などを義務付ける。

 昨年秋の事業仕分けでは、スーパーコンピューターや宇宙開発の予算縮減判定に科学界が反発。研究者も研究の意義や成果を十分に説明していないと批判を受けた。必ずしも早期の実用化が期待できない研究予算に理解を得るには、説明機会を増やす必要があるとの声は多い。

私はこの記事を見て今時の研究者に同情してしまった。自分自身の研究成果を話す出前授業や一般向け公開講演会など、また余計な仕事を強いられそうであるからだ。『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』なんて、そうざらにいるわけではない。限られた人たちである。その域に達するまでにどれほどの厳しい研究生活を積み重ねてきたことだろう。文字どおり寝食を忘れるほどの精進があってのことである。寸暇を惜しんで研究に没頭する働き盛りの研究者に対して、『最低でも年1回、小中高校で自身の成果を分かりやすく説明する出前授業をする。または一般市民向けの公開講座を開く』ことが、いかに過重な負担を強いることになるのか、文科省の関係者は考えたことは無いのだろうか。研究者が毎年提出する研究成果報告書と、ここで要求されている出前授業とか公開講座で話す内容が同じであってよいはずはなく、児童・生徒や社会人に理解して貰おうと真面目に考えれば、それをやれるような研究者は100人に1人もいないのではないかと私は思う。それかあらぬか、『多忙な場合は共同研究者や外部講師に依頼できる』と始めから抜け道を作っているではないか。文科省も無理を承知で言っていることをこのような形で認めているのだから、一片の通達で研究者からただでさえ貴重な時間を奪い取るような愚行は即時改めるべきだと思う。

私はかって科学者は謙虚、かつ毅然たれで、『歴史は科学が「無用の用」でもあることを証明しているといえる。科学が「無用の用」であることをいかにスポンサーである国民に理解して貰えるのか、これこそ謙虚に地道な努力を重ねるしか術はないように思う。』と述べたことがある。その意味では『国民との科学対話に積極的に取り組む』ことは決して悪いことではない、と言うより、適切なやり方で大いに推進すべきであると思う。しかしその役割は『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』に担わせるのではなく、国民と研究者の間に立つ科学コミュニケーターに委ねるべきで、そのために優れた科学コミュニケーターの育成にこそ文科省の組織を上げての取り組みがあってしかるべきである。研究の遂行と国民との対話とはそれぞれが異なった次元での能力を要求するものだからである。

「天災は忘れた頃に来る」の箴言で知られる物理学者寺田寅彦は、大学の教育について「ファラデーのような人間が最も必要である。大学が事柄を教える所ではなく、学問の仕方を教え、学問の興味を起こさせるところであればよい。本当の勉強は卒業後である。歩き方さえ教えてやれば卒業後銘々の行きたいところへ行く。歩くことを教えないで無闇に重荷ばかりを負わせて学生をおしつぶしてしまうのはよくない」と述べている。もちろん高校以下での教育についてもその精神は合い通じるところがある。

私は最新科学の現状を国民に知らせるのは科学コミュニケーターに委ねればよいと思うが、一方、科学研究の未来の担い手を育てる努力の一貫としてなら『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』の出番もあるような気がする。自身の研究成果ではなく、いや、あってもよいが、主眼は「自分はなぜこの道の研究者になったのか」に置いて、話せばよいのである。これなら準備にかける時間は研究内容を話すのに比べて大幅に節約出来る。

先ほどの寺田寅彦であるが、このような話が残っている。寅彦は高知一中(旧制)の出身で当時は東京帝大の教授であったが、帰省中のえらい先輩と言うことで中学校で『物理学の基礎としての感覚』について1時間話をしたそうである。その話を中学一年生が聞いて『「何も用意してこなかったから」と前置きして、草稿一つ手にせず卓上の玻璃製の水差しの水と光線の屈折に関係した物理を講演された。もう細かいことはまったく記憶にないが、とにかく型破りのオリジナルなもので、私に物理は面白いものだと思い込ましたことに間違いはない』と後世語っている。事実、この中学一年生は東京帝大の物理に進み、寅彦の弟子の1人になったのである。

寺田寅彦は『尺八の音響学的研究』で理学博士の学位を得たかと思うと、後年、鉱物結晶の粉末にX線を当てて出るラウエ斑点を簡単に撮影する方法を発明して学士院恩賜賞を受賞した、というまことに融通無碍の研究者で、「自分はこれまでただ面白いと思って自分の興味に任せて学問してきた。何になろうなんのと、始めから考えていなかった」とその研究に対する姿勢を語っている。『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』のほとんどの方もそうであろうと私は推測する。だからこそ、どうしても出前授業を引き受けざるを得なくなったら、ご自身のこれまで歩んだ道を児童・生徒に語り、研究することへの興味をぜひかき立てていただきたいのである。それにしてもあれやこれや、余計な口出しする文部官僚が多すぎるようで、5割ぐらい人員削減すれば少しはすっきるすることだろう。


「東北大院生自殺で両親が東北大を提訴」をどう考えるか

2010-06-20 17:31:06 | 学問・教育・研究
私の以前の記事東北大院生自殺 「東北大学ハラスメント防止対策」がなぜ機能しなかったのか?へのアクセスが一昨日来急増した。この院生の両親が東北大に対して1億円の損害賠償を求めて岡山地裁へ提訴したことが報じられたからであろう。河北新報は次ぎのように伝えている。

東北大に1億円賠償請求 院生自殺で両親が岡山地裁へ提訴

 東北大大学院理学研究科の男子大学院生=当時(29)=が2008年8月に自殺したのは、指導教員だった元准教授男性(53)のアカデミックハラスメントが原因だとして、岡山県に住む両親が18日、東北大と元准教授に計約1億円の損害賠償を求める訴えを岡山地裁に起こした。
 訴状によると、①大学院生は07年、元准教授に博士号取得のための論文を提出したが受理されず、その後も添削や具体的な指導を受けられなかった。このため将来を悲観し、自殺したとしている。
 東北大は昨年5月に公表した内部調査結果の報告書で②「准教授の指導に過失があり、自殺の要因になった」と認定。大学院生が差し戻された論文は草稿や実験データから、博士号の審査を十分に受けられる内容だったとの判断を示した。
 大学の懲戒委員会は「停職に相当」と処分を決めたが、元准教授は処分決定に先立って辞職。③原告側弁護士は処分に関する報告書などの開示を求めたが、大学側は「プライバシーにかかわる内容のため公開できない」と拒否している。
 東北大は「訴状が届いておらず、提訴を承知していないのでコメントは差し控える」としている。
(2010年06月19日土曜日、①、②、③と強調は私)

この新聞記事で私がまず思ったのは、自殺の原因をそんな簡単に決めつけていいのだろうか、ということであった。①では将来を悲観し、自殺したとあるし、②でも准教授の指導に過失があり、自殺の要因になったとある。

遺書に自殺の理由が述べられていたとしても、それは自分を納得させるための言葉に過ぎない可能性もある。ましてや本人が口を閉ざしていたとすると、あるのは状況証拠に基づくと称する憶測のみである。そう考えると東北大学の内部調査結果の報告書での②「准教授の指導に過失があり、自殺の要因になった」と認定の部分は、あまりにも軽すぎる。本気で調査をした上でここに述べたような結論で人を納得させようと思えば岩波新書1冊分の文書でも足りないのではなかろうか。いずれにせよその報告書が③のような理由で原告側弁護士にも提示されていない以上、第三者がその結論の是非を判断することは出来ない。

同じことが原告の訴状についても言える。私は訴状を目にすることが出来ないから新聞記事のみが頼りであるが、それにしても①大学院生は07年、元准教授に博士号取得のための論文を提出したが受理されず、その後も添削や具体的な指導を受けられなかった。このため将来を悲観し、自殺したとは表面的な叙述である。真相(もし解き明かされるとすれば)をより少ない行数で表すだけ核心から遠ざかるような気がする。

これまでも大学院生をテクニシャンのように使いたがる教員がいる一方、「自由にさせるのが最良の指導法」をモットーにしている教員も結構いた。もちろん院生が議論をふっかけてきたらいくらでも相手をするし、助言も惜しまない。しかしそれは院生が求めてきたときには、である。教員にはそれぞれの指導スタイルがあるので、院生によって合う合わないが出てきても不思議ではない。合わなければ逃げ出せばいいのであって・・・、いや、逃げ出すべきなのである。それがお互いの為なのである。ここで指導者の准教授に「アカデミック・ハラスメント」と目される行為があったのかどうか、それは調査委員会がある程度は明らかにすることが出来ようが、これも限度がある。私が以前の記事で問題にしたのは、この大学院生に自分が「アカデミック・ハラスメント」を受けているとの認識があったのかどうかで、その認識があれば「部局相談窓口」なり「全学相談窓口」に本人から相談が寄せられたのでは、と期待するからである。それが機能していたようには見えなかったので東北大学の徹底した検証を期待したが、果たしてそれがなされたのかどうかは報告書が非公開なので分からない。

仮に「アカデミック・ハラスメント」の事実が認定されたとしても、それが自殺とどう関わるのかはまた別の問題である。その意味では東北大学の②「准教授の指導に過失があり、自殺の要因になった」と認定するのは性急ではなかろうか。東北大学ともなれば「自殺問題」の専門家も当然いるだろうが、そのような専門家の助力を仰いだ上での調査・結論とはとうてい思えない。というより、個々の自殺の理由がそれぞれ解き明かされうると思うほど私は楽観的ではない。自殺の「理由」なんて、デュルケームは信じない『自殺論』エミール・デュルケーム著に目を通して、私はその思いを強くした。

裁判の争点が何になるのか素人の私には判断しかねるが、もし本人が生存しておれば「アカデミック・ハラスメント」の有無を巡って決着をつけることは可能かも知れない。しかし本人が口を開くことが出来ない情況で、たとえ肉親といえども本人の自殺の理由を忖度して、それも原因が「アカデミック・ハラスメント」にあると断じて生命を購う意味での賠償請求をするのであれば、私には話が飛躍しすぎているように思われる。せいぜい「アカデミック・ハラスメント」の判定までではなかろうか。これは子の不慮の死を嘆く親の気持ちを慮るのとは別のことである。親を悲しませないためにも、どれほど研究がわが命であろうと、その行き詰まりとかで自らの命を絶つなんて「真理の探究者」に絶対あってはならないのである。

かっての大阪大学教養部北校を訪ねる―センチメンタル・ジャーニー?

2010-05-31 15:32:55 | 学問・教育・研究
最近の記事伊丹空港が米軍基地だった頃 そして・・・を書いた時に、私のかっての学舎であった教養部北校(「旧浪高高等科本館(現・阪大「イ号館」)」)の現在の様子をネットで見たばかりに懐かしくなって、この前の土曜日、何十年ぶりかに訪れた。

学生時代に通っていたように阪急三宮駅から特急で十三まで行き、宝塚線の急行に乗り換えて石橋で降りた。西改札口を出て線路沿いの商店街を少し後戻りして、左に折れると阪急線を横切って176号線との「石橋阪大下」交差点に出る。そして阪大に通じる坂、阪大坂を上り始める。この坂道の左手に学生がよくたむろしていた一膳飯屋というか喫茶店があったなと思ったが名前が直ぐに出てこない。ところがこの「憩」という名の店がまだ建っていた。建物自体が残っているのに驚いたが、帰り道にもう一度前を通りかかると、扉の隙間に夕刊が挟み込まれていたから住人がまだ住んでいるのだろう。


登り道の突き当たりには古びた門があったが、私が通っていた頃は医学部付属病院石橋分院があったようである。その後、大阪大学医療技術短期大学が置かれ、現在は大阪大学総合学術博物館になっているが、門の周辺には昔の俤を残すものは何も無かった。博物館には帰りに寄ることにする。


そこで右に折れると綺麗に敷石の張られた登り道が続く。朱色の柱があざやかな万福寺が右手に現れるが昔の姿を思い出すことは出来ない。そして右手に池を見下ろすところが豊中キャンパスへの入り口になっており、案内地図が掲示されていた。


やがて眼前にかっての北校校舎が見えてきた。しかしその手前の風景はまったくの様変わりである。校舎手前の木立の下あたりはテニスコートになっていて、機敏に動き回る女子学生のテニスウエア姿のまぶしかったことを思い出した。その中の数人の女子学生と思いがけないことで交流が始まったのは私が自治会活動に引きずり込まれてからののことであった。このことはまた改めて書こうと思う。


そのテニスコート跡一帯が造園されて緑が豊かである。その中に旧制高等学校生のマント姿の像と、その手前に金色の「まちかね童子」の像があった。よく見ると「旧姓浪速高等学校同窓会 寄贈 二0一0年五月二七日」と台座に刻まれているので、偶然にも二日前であったことが分かった。この部分の造園がなされたのも最近のことかも知れない。



そして右側のスロープを上っていくと縁に名残のつつじが何株かある。かなり大きな株であるが、半世紀以上も昔にも植わっていたものかどうか分からない。つつじの間に外側を向いて座り込んでいたことなどを思い出した。そして建物の前に出る。



扉の上に大阪大学教養部と記されているが、昔は木の表札が下がっていたような気がする。入り口全体がとてもモダンに造り替えられているようだ。中に入ると二階踊り場に通じる階段が目に入り、階段の上から振り返ると斜め格子模様の扉にその上のステンドグラスそしてシャンデリアがとてもお洒落である。でも昔からそうだったのかどうか、記憶にないのが残念である。かりにあったとしても、そういうところまで目を向ける心のゆとりが欠けていたのではないかと思う。入り口の右手は廊下に通じるが、その取っかかりにある男子トイレに入ってびっくりした。立派すぎるのである。すべてがオートマティックでなんだか無機質なものだから、昔の生物臭漂うトイレが懐かしくなった。それだけに改装から取り残されたのだろうか、がたびしするドアに心が和んだ。





直ぐ上の写真は3階への階段の踊り場で、左手の小部屋がかっては自治会室で私のたむろ部屋でもあった。右は講堂入り口でさらに右側にもう一つ扉がある。講堂に入るとその右側にピアノが一台置かれてあって、昼休みになると週に何回かその前に集まりコーラスを楽しんでいた。その成果を文化祭で披露したのがこの講堂の壇上で、その時の様子を以前にフェスティバルホール 大阪大学フロイントコールで紹介したことがある。扉の窓ガラス越しに内部をみると、テーブルと椅子が所狭しと並べられていたので、今でもなにかの講義に使われているのだろうか。ギターアンサンブルのようなグループが練習していたので、中に入るのを遠慮した。


建物の外に出て南側を見下ろすとグライダーが目に入った。何人かが周りを取り囲んでいるので、もし飛ばすのなら見物したいなと思ったが、考えてみるとグライダーを滑空させるような場所がない。下に降りて少し近づくと「読売テレビ主催 鳥人間コンテスト出場決定 飛行機製作研究会 アルバトロス」の立て看板が目に入って、ああ、あれか、と納得した。テレビで見たことがあったからである。ついでにもう少し足を伸ばすと美味しそうな匂いが漂ってくる。なんと、白昼大学のキャンパスでバーベキューをやっているのである。世間では公園はもちろん海辺でも河原でもいたるところ「バーベキュー禁止」である。小さなことだけれど大学にはまだこのような自由が残されていることに安堵した。グライダーにせよバーベキューにせよ、昔と違う学生生活のゆとりを感じてなんとなく嬉しくなった。しかし私はお昼は慎ましやかに図書館下の食堂で済ませた。この天津飯は450円なりで、ポテトサラダは確か10グラムが12円。土曜日だったがこの広い食堂が大勢の学生で一杯だった。何しに来ていたのだろう。大学事情にすっかり疎くなっていることを実感した。



帰りに大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館に立ち寄った。この建物自体は大阪大学医学部の前身である大阪医科大学の付属病院石橋分院として1931年に建てられたとのこと。その概要はネットで紹介されているが、充実した展示をゆっくりと見て回り、かって講義を聴いた先生方の風貌に直接接する思いをしたのもよかった。カフェの屋外テラスで穏やかな初夏の風に吹かれていると、昔と今を自由に往き来している自分を感じてしまった。





「論文不正あった」解雇認める=筑波大元教授敗訴で思うこと

2010-04-21 10:22:42 | 学問・教育・研究
一昨日、①筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてへのアクセスが増えたのは時事ドットコムの次のニュースによるもののようである。

「論文不正あった」解雇認める=筑波大元教授敗訴-水戸地裁支部
 筑波大大学院の長照二元教授(56)が、研究論文の実験データ改ざんを理由に懲戒解雇されたのは無効として、同大などに地位確認と2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が19日、水戸地裁土浦支部であった。犬飼真二裁判長は「恣意(しい)的なデータ解析などの不正行為を指導、実行した」と述べ、長元教授の請求を棄却した。
 犬飼裁判長は「懲戒解雇は学外の専門家を含む調査委員会で検討し、慎重に判断された」と指摘。解雇権の乱用には当たらないと判断した。(2010/04/19-17:33)

審議内容の詳細は分からないが、長照二さんの請求を棄却とは踏み込んだ判断が下されたように感じた。長さんの行為がすくなくとも科学的にまともでないとの判断を第三者が下した意義は大きい。「恣意(しい)的なデータ解析などの不正行為を指導、実行した」が具体的にどのことを指すのかは分からないが、長さんが問題となったPhysical Review Letters掲載論文の筆頭著者である責を負ったものといえよう。

①で述べたことであるが、『分野外の、しかしデータ解析を仕事の一部としてきた私』が、『実験の中身は分からないが、どのようなデータなら解析に値するかぐらいかの判断なら私にも出来そうだ』とこの論文のデータの一つに注目したのがこの問題への関わりの発端で、次のように意見を述べてきた。私なりの好奇心から出たことである。

これでは核融合研究より農業再生を
「豆まきデータ」と揶揄した債務者とは私のこと?
秋の珍事? 報道特集NEXT「大学教授はなぜ解雇された」の波紋

私が問題としたのは②で述べた次の一点に尽きる。

要するに解析に値しないデータをいくらいじり廻してもそんなものは無意味であると言っているのである。ここで私のいう「豆まき」データをもう一度筑波大学が公開した資料2説明資料からここに引用しておく。



よく目をこらすとこの点の分布が来年の干支のうしのようにも見える。左側が頭で角もあるようだ。人によってかたつむりに見えたとしても何の不思議もない。無限の想像力がかき立てられる。「豆まき」データとはそのような状態のもので、いわば水晶の玉の中に煙がもうろうと立ちこめているようなものである。練達の占い師ならこの先に待ち受けている素晴らしい人生をこれで予言してくれるかもしれないが、この「豆まき」データを科学的解析の対象にしたこと自体私には「驚き桃の木山椒の木」なのである。

専門家の間では解析法を問題にしていたようであるが、データそのものが科学的解析の対象となりうるものではないことを強調したのである。

私は当初、このような杜撰なデータをなぜPhysical Review Lettersの査読者が見逃したのかが不審であったが、この論文そのものを目にして謎が解けた。査読者が生の「豆まきデータ」を目にはしていなかったのである。筑波大学が公開した資料2説明資料にのみに「豆まきデータ」から論文に掲載された図が導かれる経緯が出ていたのである。これでは査読者が不審を抱きようがない。

実はこの記事を書くに先立って、④の報道特集の映像がYoutubeで公開されていることを知ったのでそれを見てみた。長さんの言い分を全面に後押しせんばかりの一方的な報道姿勢で、科学のゆがめられたワイドショー化の現状がよく分かる映像である。そのなかで長さんを支持する世界の名だたる?核融合研究者の長さんに好意的なコメントばかりが紹介されていたが、私ならその一人ひとりに「豆まきデータ」を直接示して、あなたならこのデータをどのように扱いますか、と問いただす。彼らがほんとうに世界の名だたる核融合研究者であるなら、言葉を詰まらせるはずだ。それでも長さんを全面的に支持するとの返答が戻ってきたら、私は②で述べた次の思いをますます深めるだけである。

ひょっとして核融合研究なるものはある種の「ぺてん」かも、というとんでもない疑惑を抱くようになったのである。

それにしても長さんのグループは長年にわたって私のいう「豆まきデータ」をグループ内でルーティン化された手法で論文にのっけるきれいな図に仕上げていたのではなかろうか。そう考えると私が①で述べた次の強調部分が素直に理解できる。

件の論文には筆頭著者の教授以下全員27名の著者が名前を連ねているが、データ改ざんに関与しているとされたのは筆頭著者の教授と共同研究者のうちの大学講師3人の計4人である。一応専門家集団と呼ぶことにするが、この4人の間ではルーチン化していたデータ解析の手法が大学院生にはどうも異様に映ったようである。すなわち専門家集団では日常化していて当たり前のやり方が大学院生に「ノー」と言われたのである。ここで注目すべきなのは、もしこの専門家集団に不正を働いているとの意識があれば、その手口をわざわざ大学院生に指導と称して教え込むだろうか、ということである。その後の研究公正委員会調査委員会の調査で「改ざん」と断定されたデータ解析手法が、専門家集団の常識であったのだとすると、同じく東京新聞の記事《一方、教授らは改ざんの事実を認めていないという。》こととは矛盾しない。これがまず気になったことである。(強調は私)

ここで浮かび上がるのは、少なくともこの専門家集団は実験データの収集からその解析に至るまで、科学的に間違ったことをしているとの意識がなかったということである。それでいて科学研究のためにと言い張って国から研究費を引きずり出していたのなら、これは国を、そして国民を偽るようなものではないか。裁判所の判決にこのようなことまで考えてしまった。




速水淳子さんの提言「能を授業に取り入れよう」に大賛成

2010-04-17 11:16:43 | 学問・教育・研究
今日の朝日朝刊「私の視点」に高校教員の速水淳子さんが「能を授業に取り入れよう」との意見を寄せられていた。速水さんのかっての教え子が能楽師であることを知り、高校の国語の授業で教えて貰ったそうである。

生徒にまずは目の前で能楽師の声の迫力を体感させる。圧倒された生徒もおうむ返しで口まねをしているうちに、能楽師に声の力に引っ張られてどんどんと声が開かれている、という体験から話をすすめ、次のように要点を主張されている。


私もまったく同意見である。「若者が力強い豊かな声で日本語を話すこと、それが若い人たちの幸せにつながると信じている」の「若者」を「日本人」と置き換えてもよい。とくに最近、政治家の空虚な力のない言葉ばかりを耳にしているものだから、この思いが一層深まる。

若い頃から嗜んでいた父の謡曲が私たち兄弟の子守歌だったそうで、それこそ小さい頃から父の口まねをしていた覚えがある。どういう物語か折に触れて父が語ってくれたことが、私の歴史好きを掻きたててくれたようなものである。大学に入って本格的に習い始めたが、残念ながら長続きしなかった。私が忙しすぎた?のである。父の謡曲を日ごろ耳にしてきた妻は私がちゃんと習っていたらよかったのに、と今でも時々託つ。

狂言の「附子(ぶす)」を授業で習った記憶がある。主人がこれは附子といって、そちらから吹いてくる風に当たっただけでやられてしまう毒だと脅かして秘蔵している砂糖を、その留守中に太郎冠者と次郎冠者が二人で食べてしまい主人を怒らせる話である。最後に何やかやと言い抜けて逃げ出す二人を主人が「やるまいぞやるまいぞ」と追いかけていくが、その口調が面白くて仲間同士で「やるまいぞやるまいぞ」といいながら追っかけごっこをした覚えがある。

つい最近もお久しぶり 竹本住大夫さんで、「お腹がすいてもひもじうない」といういつの間にか私のなかに住み着いたこのせりふと記したが、これは元来が浄瑠璃・歌舞伎でのせりふである。古典に小さい頃から触れていることが日本人としての存在を自然と自覚することにもなる。この速水さんの提言の趣旨はきわめて明快で現実的である。まずは地方自治体の教育委員会が先頭に立てば直ぐにでも実現することであろう。関係者の真剣な取り組みを期待したい。

名張毒ぶどう酒事件と農薬鑑定に使われたペーパー分配クロマトグラフィー

2010-04-07 14:20:07 | 学問・教育・研究

今日の朝日朝刊第一面の見出しである。そういえば昔そんな事件があったな、という程度の認識であるが、第三面にも関連記事が出ており、この事件でもブドウ酒に混入したとされる農薬の鑑定結果を巡り問題点のあることが指摘されている。ところがこの朝日の記事ではその問題点がもうひとつはっきりと浮かび上がってこない。


「名張毒ブドウ酒事件の毒物をめぐる鑑定の情況」として問題となる鑑定結果が図示されている。②が『犯行現場に残されたブドウ酒(鑑定は事件の2日後)』で①が『「ニッカリンT」を入れたばかりのブドウ酒(事件時を想定)』である。記事ではさらに『1961年の捜査側鑑定では、ブドウ酒に農薬「ニッカリンT」を混ぜて再現したもの』とあるが、この農薬「ニッカリンT」の出所がこれでは分からない。いずれにせよ、両者が見かけ上異なるものであることはこの図で分かる。ところがこのように見かけ上、明らかに異なる結果が得られたにもかかわらず、検察側は両者は同じ物質であるが、実験条件によりあたかも異なるもののように現れた、と主張したようである。

このように朝日の記事を読んだだけでは、①と②が仮に同じ農薬に由来するとして、なぜそれが奥西勝さんの犯罪行為の実証になるのかが分からない。その点、夕べのNHKニュースでは、①の農薬が奥西さんの家から発見されたと言っていた(所持していた?)ようなので、この前提があって農薬の同定が重要な意味を持つことが分かる。さらに朝日は農薬の分析手段については触れていないが、NHKニュースではペーパークロマトグラフィーと伝えていた。調べてみると名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会に、三重県衛生研究所が行ったとされるペーパークロマトグラフィーの検査結果を掲載している。どのような情況でなされたのかは分からないが、少なくとも捜査当局側が行ったのではないように思われる。この図の(1)(2)が朝日図解の②と①に対応すると見てよいだろう。


ところでペーパークロマトグラフィーは正しくはペーパー分配クロマトグラフィーと呼ばれるが、濾(ロ)紙を用いた分配クロマトグラフィーで、やり方としては短冊状の濾紙の一端近くに試料溶液をスポット状もしくは線状につけ、密閉容器内で濾紙を上から吊して試料側の下端を適当な展開液に浸す。すると毛管現象の原理で展開液が上昇していき、試料が複数成分の場合、試料も溶液とともに上昇するが、それぞれの物理化学的性質に応じて分離するものは分離していく。溶液の先端が濾紙の上端に近づいたところで展開を止め、適当な手段でそれぞれの成分を検出して原点と先端の間隔100に対してどの位置に出るかで成分の同定をする。

奥西さんが所有していたとされる農薬と『犯行現場に残されたブドウ酒(鑑定は事件の2日後)』に含まれていた農薬が図解のように異なったクロマトグラム(クロマトグラフィーの結果、濾紙上に現れた一連の着色スポットのこと)を与えるのであれば、明らかに両者は異なると言える。同じ筈であったものが異なったクロマトグラムを与えたというのであれば、科学的にその違いを説明できなければならず、説明できないのであれば同一との主張に科学的根拠がないことになる。形勢としては同一との主張の根拠が薄弱のように私には思われるが、差し戻し審での審議を注目したいと思う。願わくば科学的な素養にも富む裁判官の審議を期待したい。

ところでこのペーパー分配クロマトグラフィーという分析手段を私もかった用いたことがある。膜蛋白と水溶性蛋白が複合体を作ることを証明するためにこの手段を導入したのである。それもこのと起こりは高校のクラブ活動で化学研究部に入っていて、文化祭でのデモンストレーションにようやく日本でも注目されるようになったこの手法を取り入れて、色素の分離に用いたことにあった。濾紙一枚あれば出来たのである。その直後だったか、「分配クロマトグラフィーの開発と物質の分離、分析への応用」でJ.P.MartinとR.L.M.Syngeが1952年のノーベル化学賞を受賞したのである。高校時代に経験したその手法をタンパク分子同士の相互作用の分析に導入したものだから、その当時、世界で最初の適用例と自負したものであった。この実験結果などを論文にまとめて学会英文誌に投稿したのが1961年11月27日。名張毒ぶどう酒事件が発生したのが1961年3月28日というから、多分ほぼ同じ頃に警察と私がペーパー分配クロマトグラフィーに取り組んでいたのであろう。不思議な因縁話である。ちなみに、この論文は私がはじめて筆頭著者となったもので、大学院博士課程在学中であった。ごそごそと探したらその論文が出てきたので、そのクロマトグラムをご覧に入れることにする。