「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「飯桐・いいぎり」

2006-11-14 22:18:40 | 和歌

 所用があって、久方ぶりに本郷の東大を訪ねた。三十分ほど時間の余裕があったので、三四郎池を訪ねたら、「飯桐」の大木が池に覆いかぶさるかのように、梢から赤い実房を垂らして、何とも幻想的な情景であった。かつて読んだ漢詩の情景と重なって、しばし陶然と時を忘れた。




 帰宅して本のページを繰ったら、中唐の詩人「銭起」の詩が見つかった。
藍田渓に独り遊び、魅入られて帰るのを忘れ、釣糸を垂れる叟と清談しつつ野宿するという、自然の中の夢幻世界を賦した作品である。和して長歌を試みた。

 また念のため「飯桐」を図鑑で調べたら、その昔、大きな葉でお握りを包んだので「飯」の字が使われ、赤い実房が特徴の此の木は、又の名を「南天桐(なんてんぎり)」とも言うと書かれていた。


           藍田渓与漁者宿   銭 起(せんき)

           独遊屡忘帰  況此隠淪処
           濯髪清泠泉  月明不能去
           更憐垂綸叟  静若沙上鷺
           一論白雲心  千里滄洲趣
           蘆中夜火尽  浦口秋山曙
           歎息分枝禽  何時更相遇


                独り来れば

            しばしば帰るも 忘るかな 

            まして俗世を ここに遁れ
 
            泉を観ては 髪濯ぎ

                明月出ずれば 
            
                いかで去んぬる


            ああ あはれ

            釣糸垂らす 叟かな

            静かな姿は 鷺に似て

            ひと度語れば 白雲の

                こころは高く 

                隠者の風情ぞ 


            芦中に

            野宿の焚き火 尽きるころ

            浦と山とは 秋の曙

            ああ 枝を分かちて とまる禽

                何れの時にか 

                相まみゆらむ



 三四郎池には、釣糸を垂らす叟は居なかったが、番いの鴨が水に浮かんで餌を啄んでいた。都会の真ん中とは言え、俗世間と隔絶されて秋の深まり行く此処は、まさに「隠淪処」であった。詩人・銭起君と静かに語らう想いの、ひと時であった。