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信濃町駅から四谷見附界隈までの散歩へ

2014-06-05 | 散策

信濃町駅から四谷見附界隈までの散歩へ

 

お茶に招かれたのを縁に、信濃町駅から四谷見附までお寺巡りをしました。

地形図で見ると、須賀町から若葉町、左門町あたりは、無暗にお寺のマークが多く、
前から一度訪ねてみようと思っていました。

ある記録によると、
「この地区は、かつて四谷区寺町、南寺町で、
その町の名の通り、新宿区内寺院の25%の寺院がここに集中している。」とあり、 

そのわけは、どうも江戸の火災によるらしいです。

「寛永11年(1634)に江戸城西丸が全焼した際、城の北西の外堀拡張・新設計画に従って、
麹町の寺社が四谷に集団移転してきたもので、
江戸時代に活躍した人士、あるいはその頃の無縁仏の風化した墓石、石仏が多い。」
とありました。

尋ねていると、由緒ある人たちの墓が多く見られます。

例えば、服部半蔵、縞保己一、最後の武士と云われた高松喜六 、それに伊賀の忍者たちの墓です。

それと、無暗に坂道が多く、平坦な道は、むしろ少ないです。

その道を、すでに真夏を思わせる暑さの中を歩き回りました。

歩いたコースは次の赤線です。距離たったの約3Km。

 

先ず、信濃町駅から、慶応病院沿いに北に進み、途中から左の折れました。

途中は寺だらけです。

正覚寺、顕性寺、本性寺、報恩時、永心寺、勝興寺、西応寺、それから坂を下りて左へ、
そして右に観音坂を登って、真成寺、蓮乗院・・・、

真成寺さんは、納骨堂を営まれていました。

そして、途中に、寺町には珍しい神社がありました。須賀神社です。



その境内をうろちょろして、

また、お寺さんです。
真英寺、法蔵寺、円通寺、そしてやっとの思いで甲州街道へ出ました。

確か真英寺には、この戦争で亡くなられた英霊が祀られていました。

 

甲州街道を渡ってしばらく進むと、新宿歴史博物館がありました。

入口には、在りし日の四谷見附橋の古い写真や、元の四谷橋の欄干などが並んでいました。

  

それに添えて次の説明板がありました。

「・・・この橋が架かるまで四谷見附は、
江戸城防備のため甲州街道の要衝として築かれた  の字状の枡形の名残をとどめ、
麹町方面には直進することが出来ませんでした。

そこで東京市は、甲州街道を直行する橋を計画し、
明治四十四年(1911)三月に着工、大正二年十月に完成しました。・・・」

そして、博物館の中には、
昔懐かしい新宿駅前の「高野フルーツパーラー」や、三越や伊勢丹の建物の写真が見れました。


なんたって、都電が走っている頃の写真ですから。
また、ゆっくり別の日に、歴史博物館見学だけにまいりましょう。
 

さて、だいぶ暑さにまいりましたので、
四谷見附までの三栄通りで、手打ちそばと 『生』 を一杯、きこし召しました。
美味かったです。やっと人心地を取り戻しました。

それから、お招きいただいたカフェにまいりました。

後は、よろしいように、ご想像を・・・。