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駒場東大周辺の散歩

2012-12-19 | 散策

駒場東大周辺の散歩

 

二日に一回は散歩するようにしています。健康と文化遺産探訪の為です。

今日は、近くの駒場東大近くを散歩しました。

残念ながら、後で調べたら旧前田侯爵邸は通り過ごしていました。

また、サクラの季節にでも伺いましょう。

 

散歩コースは下の地図です。7.5Kmはあります。

 

先ずは、東大先端科学技術研究センターへ。

使われていないような古い建物と、先端科学を研究するにふさわしい超近代的な建物が混在していました。

 

 

そこから、駒場野公園へ。

 

入口の説明板『駒場の今昔』によると

 

「駒場一帯は台地で、かっては駒場野と呼ばれ、笹が一面に生い茂り、所々に松林などがある原野が広がっていました。そのため古代から中世にかけて東国武士たちの軍馬の放牧地として利用されてきました。

江戸時代になると、鳥や獣が数多く駒場の一帯は、高狩り場となりました。

将軍の鷹狩のたびに、田畑は人馬で荒らされ、そのうえ地元の農民たちは場所ごしらえや道普請、鷹の餌の昆虫集めなどに駆り出されました。

江戸末期には幕府の軍事訓練所が計画され、明治にはいると初めての陸軍観兵式がここ駒場野の原野で行われました。

維新後日が浅かった当時、軍事教練のスタイルもイギリス式、フランス式、ドイツ式とバラバラであったものでした。」

 

それにしても、鷹狩のたびに農地を荒らされた農民はたまったものではありませんね。

戦国時代の戦場やその通路の農民も同様でしょう。保障なぞなかったでしょうし。

 

また、ここには農学校があり、そのための農園もありました。

 

今でも、『ケルネル田圃』があります。その説明板によると、

「ケルネル田圃は、旧駒場農学校の実習田です。駒場農学校は、明治政府が近代農学に基礎を置く欧米農法をとりいれるために、農業指導者を養成する学校として明治11年(1878)に設置されました。

札幌農学校がアメリカ系統の農業技術を導入したのに対し、駒場農学校はドイツ系統の農学が取り入れられました。・・・

ドイツ人教師ケルネルの名を付けたケルネル田圃は、新しい日本農業の指導者を育てた駒場農学校の実習地の跡として貴重な史跡です。・・・」

 

アップダウンの多い土地柄だけに、いろいろなことを感じさせる公園です。

 

そこから、駒場東大前駅の出て、「一般の人の入場お断り」標識を無視して大学構内に入りました。

人の少ない静かな大学です。野球場もテニスコートも人一人見えません。贅沢な学園環境です。

 

そうして、『東大裏』バス停から山手通りを北上し、代々木八幡から緑道へ出て帰りました。

この、山手通りと新中野通りの接点の工事もようやく終わりましたが、長かったですね。

多分4,5年はかかったのでは?

 

総延長距離約7.5Km 所要時間二時間半のウオーキングでした。

いい汗をかきました。後は家で一杯。


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