前回のブログで藤井寺球場のコメントが多数おましたので
最近の画像を貼り付けておきまひょ~
現在はこんなモニュメントが球場の跡地に建てられてまんねん。
小さい画像でっけどクリックしてもろたら拡大できまっさかいにな。
ほな~ 不思議な神社をやりまひょ。
葛井寺から東へ歩いて30分ぐらいになりまっかな。
(澤田八幡神社) (大阪府藤井寺市沢田)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
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何処にでもある村の鎮守さんやないかって、思いまっしゃろ。
次の画像を見ておくんなはれ~
(神社の境内を 近鉄電車が通過)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(今度は反対側 大阪阿部野橋行きが通過)
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ありゃま~ 神社の境内を電車が通過してまっせ。
電車でしょっちゅう通過して見てましたんやけど。
現地へ行って写真を撮ったんは初めてでんねん。
(澤田八幡神社の拝殿)
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(拝殿側から見たら こんな感じ)
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こんな神社の境内を鉄道が通っているなんてあまり聞きまへんわな。
何故、こんなけったいな事になったんか種明かしを、しまひょ。
(藤井寺市の地図)
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地図の右上に柏原ちゅう駅がおまっしゃろ、そこから下の方へ
道明寺駅を通って古市駅まで鉄道が出来たんが1898年(明治31年)だそうな。
近鉄電車で現存する一番古い線区だそうですわ。
当初は柏原駅で今のJRへ乗り入れる予定でしたんやろね。
大正時代になって当時の大阪鉄道(大鉄)はんが大阪市内まで電車を走らそう
と言う事になったんやそうな。
道明寺駅から左へ大きくカーブしてまっしゃろ。
右上に天皇の御陵があるんで、ほぼ90度曲がったらこんどは
仲津姫皇后の御陵が左下にありまんねんな。
御陵と集落がくっついてるので線路を敷けないとなったんですわ。
そこで当時の沢田村の氏神さんの境内を通らして貰う代わりに
駅を二つ造ることになったらしいんですわ。
地図に古室と書かれた地名がおまっしゃろ。
戦前まではそこに応神天皇御陵前ちゅ駅があったんやそうな。
今は土師ノ里駅一つだけになってまっけど。
わてが幼少の頃はまだ近鉄ちゅうより大鉄またはボロ鉄って呼びましたんや。
奈良や伊勢へ行く本線がメインで、こちらは何かにつけ後回しにされ
カーブも多くて時間がかかる電車やったからですわ。
(仲津姫皇后陵) (応神天皇の皇后だそうな?)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
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小高く見える御陵の向こう側の裾野を近鉄電車が走ってまんねんで。
この仲津姫御陵も全国で9番目という大きな古墳でっせ。
今なら古市駅から左上の藤井寺駅へ直線で線路を造るんが常識ですわな。
古市駅から柏原駅までは支線にすると思いまんねんけど。
でも当時は道明寺の天満宮と天皇の御陵巡りが大事だったんでっしゃろな。
こんな90度の大カーブするような線路を敷いてしまったようですわ。
この仲津姫皇后陵までが藤井寺市で高速道路(西名阪道路)を越えて
その下に特別に大きな御陵がおますやろ。
これが応神天皇の御陵でこれから先が羽曳野市になりまんねん。
(応神天皇の御陵) (全長420mの巨大な前方後円墳)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
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応神天皇陵は堺市の仁徳天皇陵に次ぐ面積で2番目の巨大古墳で
盛り土から推定して体積では世界一の墳墓だそうでっせ。
古市古墳群には大小合わせて120基もの古墳がおまんねんで。
この応神天皇陵を中心にして世界文化遺産に登録を申請中だそうですわ。
わてが生きてる間に世界文化遺産に認定は難しいと思いまっけどな。
(澤田八幡神社の石灯篭) (天保11年の銘が彫られているね)
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話は澤田八幡神社に戻りまっけどな~
明治の頃は鉄道が村の中を通るのに反対したとよう聞きまっしゃろ。
ここは神社の境内を通過させるだけじゃなく土地を無料で譲渡したそうな。
大阪市内への交通機関が必要だと村の住民が考えたんでしょうな。
当時は小学校も村が経費を負担してこしらえたそうでっせ。
沢田村が造った道明寺小学校は藤井寺市内では一番古いんやて~
それだけこの村は当時としては文明開化の進んだ処だったんでしょうな。
ちなみに八幡さんちゅう神さんは何時の間にか応神天皇だとされてますわな。
ここ澤田八幡神社の祭神は仲津姫皇后が主神で応神天皇と合わせて
お祀りしたと書かれていますわ。
江戸時代の初期に私の町にある誉田八幡宮から分祀したと伝えられてま。
(古室山古墳) (藤井寺市古室)
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このように古墳に登ることができる処も多いんでっせ。
宮内庁の管理している墳墓以外は立ち入りがOKちゅうことでんな。
丘に木が植わってるだけで古墳だとは気が付かないかも知れまへんけど。
(宮内庁陵墓監区 事務所) (大阪府羽曳野市誉田)
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古市古墳群にある天皇や皇后の御陵だけじゃなく、皇族関係と伝えられている
墳墓はここで一括に管理してはりまんねんで。
応神天皇陵の側に200坪以上の敷地がおますかな。
これらは正確な数は知りまへんけどおよそ30基ぐらい、おまっしゃろか~
無断で立ち入ると逮捕されまっせ。
勿論、お堀で魚を釣ることも禁止でっせ。
立札があるので地元の方なら知ってまっけどな。
ここから約2kmぐらい離れた我が家の横にある安閑天皇陵や
その皇后である春日山田皇后陵もここで管理されてまんねんで。
ながながと~ 書きこみましたが今日はこれでお仕舞いにしまひょ。
ほな~ ごめんなっしゃ~
最近の画像を貼り付けておきまひょ~
現在はこんなモニュメントが球場の跡地に建てられてまんねん。
小さい画像でっけどクリックしてもろたら拡大できまっさかいにな。
ほな~ 不思議な神社をやりまひょ。
葛井寺から東へ歩いて30分ぐらいになりまっかな。
(澤田八幡神社) (大阪府藤井寺市沢田)
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何処にでもある村の鎮守さんやないかって、思いまっしゃろ。
次の画像を見ておくんなはれ~
(神社の境内を 近鉄電車が通過)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(今度は反対側 大阪阿部野橋行きが通過)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
ありゃま~ 神社の境内を電車が通過してまっせ。
電車でしょっちゅう通過して見てましたんやけど。
現地へ行って写真を撮ったんは初めてでんねん。
(澤田八幡神社の拝殿)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(拝殿側から見たら こんな感じ)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
こんな神社の境内を鉄道が通っているなんてあまり聞きまへんわな。
何故、こんなけったいな事になったんか種明かしを、しまひょ。
(藤井寺市の地図)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
地図の右上に柏原ちゅう駅がおまっしゃろ、そこから下の方へ
道明寺駅を通って古市駅まで鉄道が出来たんが1898年(明治31年)だそうな。
近鉄電車で現存する一番古い線区だそうですわ。
当初は柏原駅で今のJRへ乗り入れる予定でしたんやろね。
大正時代になって当時の大阪鉄道(大鉄)はんが大阪市内まで電車を走らそう
と言う事になったんやそうな。
道明寺駅から左へ大きくカーブしてまっしゃろ。
右上に天皇の御陵があるんで、ほぼ90度曲がったらこんどは
仲津姫皇后の御陵が左下にありまんねんな。
御陵と集落がくっついてるので線路を敷けないとなったんですわ。
そこで当時の沢田村の氏神さんの境内を通らして貰う代わりに
駅を二つ造ることになったらしいんですわ。
地図に古室と書かれた地名がおまっしゃろ。
戦前まではそこに応神天皇御陵前ちゅ駅があったんやそうな。
今は土師ノ里駅一つだけになってまっけど。
わてが幼少の頃はまだ近鉄ちゅうより大鉄またはボロ鉄って呼びましたんや。
奈良や伊勢へ行く本線がメインで、こちらは何かにつけ後回しにされ
カーブも多くて時間がかかる電車やったからですわ。
(仲津姫皇后陵) (応神天皇の皇后だそうな?)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
小高く見える御陵の向こう側の裾野を近鉄電車が走ってまんねんで。
この仲津姫御陵も全国で9番目という大きな古墳でっせ。
今なら古市駅から左上の藤井寺駅へ直線で線路を造るんが常識ですわな。
古市駅から柏原駅までは支線にすると思いまんねんけど。
でも当時は道明寺の天満宮と天皇の御陵巡りが大事だったんでっしゃろな。
こんな90度の大カーブするような線路を敷いてしまったようですわ。
この仲津姫皇后陵までが藤井寺市で高速道路(西名阪道路)を越えて
その下に特別に大きな御陵がおますやろ。
これが応神天皇の御陵でこれから先が羽曳野市になりまんねん。
(応神天皇の御陵) (全長420mの巨大な前方後円墳)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
応神天皇陵は堺市の仁徳天皇陵に次ぐ面積で2番目の巨大古墳で
盛り土から推定して体積では世界一の墳墓だそうでっせ。
古市古墳群には大小合わせて120基もの古墳がおまんねんで。
この応神天皇陵を中心にして世界文化遺産に登録を申請中だそうですわ。
わてが生きてる間に世界文化遺産に認定は難しいと思いまっけどな。
(澤田八幡神社の石灯篭) (天保11年の銘が彫られているね)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
話は澤田八幡神社に戻りまっけどな~
明治の頃は鉄道が村の中を通るのに反対したとよう聞きまっしゃろ。
ここは神社の境内を通過させるだけじゃなく土地を無料で譲渡したそうな。
大阪市内への交通機関が必要だと村の住民が考えたんでしょうな。
当時は小学校も村が経費を負担してこしらえたそうでっせ。
沢田村が造った道明寺小学校は藤井寺市内では一番古いんやて~
それだけこの村は当時としては文明開化の進んだ処だったんでしょうな。
ちなみに八幡さんちゅう神さんは何時の間にか応神天皇だとされてますわな。
ここ澤田八幡神社の祭神は仲津姫皇后が主神で応神天皇と合わせて
お祀りしたと書かれていますわ。
江戸時代の初期に私の町にある誉田八幡宮から分祀したと伝えられてま。
(古室山古墳) (藤井寺市古室)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
このように古墳に登ることができる処も多いんでっせ。
宮内庁の管理している墳墓以外は立ち入りがOKちゅうことでんな。
丘に木が植わってるだけで古墳だとは気が付かないかも知れまへんけど。
(宮内庁陵墓監区 事務所) (大阪府羽曳野市誉田)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
古市古墳群にある天皇や皇后の御陵だけじゃなく、皇族関係と伝えられている
墳墓はここで一括に管理してはりまんねんで。
応神天皇陵の側に200坪以上の敷地がおますかな。
これらは正確な数は知りまへんけどおよそ30基ぐらい、おまっしゃろか~
無断で立ち入ると逮捕されまっせ。
勿論、お堀で魚を釣ることも禁止でっせ。
立札があるので地元の方なら知ってまっけどな。
ここから約2kmぐらい離れた我が家の横にある安閑天皇陵や
その皇后である春日山田皇后陵もここで管理されてまんねんで。
ながながと~ 書きこみましたが今日はこれでお仕舞いにしまひょ。
ほな~ ごめんなっしゃ~
特に応神天皇陵や后の陵も在るんですきか。
そのため御陵優先で神社境内を鉄道が通るとは面白いですね。
それにしても鉄ちゃん爺やは、日本発祥の地のええとこに住んでいますね・・・・
ユニークな神社ですね。
境内に踏み切りがあるなんて、ここくらいのものですよね。
いやー、大阪はおもろいですね。
三か所ぐらいに、散らばってますね。
我が町と藤井寺市のは半径3kmぐらいに集中して古墳が残っています。
応神天皇陵は盗掘されていない可能性が高いそうで
歴史学者は発掘調査をしたい一番の古墳だそうです。
昔から八幡さん(応神天皇)だから祟りを恐れて誰も盗掘しなかったんだと思います。
神社が存在すると書き込まれてましたよ。
大阪府枚方市に踏切じゃなくてJRの線路の下を
地下道で潜り抜ける神社があるそうですけど。
全国を見渡してもこんな踏切が境内にある神社は珍しいと考えています。
大津の関蝉丸神社(下社)も鳥居の向こうに線路があり、
線路を越えて本殿がありました。
また天智天皇稜の近くにある
御陵駅は(みささぎえき)と読むとは知りませんでした。
境内の中の電車にも驚いたけど
まわりにたくさんある御陵にも驚きました。
ほんとに日本の元の土地って感じがします。
素敵なところにお住まいですね~感心しました!!
神社の目の前を電車が通るところはありますが、境内に踏切があるのは珍しいですよね
この辺りも、古墳密集地ですね
神社の中を電車が・・・
読ませて頂き亦一つ物知りになりましたm(._.*)m
今週もよろしくm(._.)m お願いを致します。
あれ~と思っちゃいました鳥居の先に踏切が見えました。
歴史の多い大阪でも120基もの古墳でまたビックリ
世界遺産に登録してもいいですね~。
現天皇のお墓はどうなるのでしょうかねえ・・・