飛鳥 ・ アスカ ・ ASUKA ・ ASKA
こう並べたら何をイメージされまっしゃろか?
お騒がせの麻薬犯ASKAなら迷惑な話ですわ。
豪華クルージングの「飛鳥Ⅱ」なら乗ってみたい~♪
アスカなんとか言う化粧品の会社もおますんやな。
昔の話に成りまっけどアスカちゅう車もおましたで。
関西には地名で飛鳥が二箇所おまっせ。
一つは我が町の近くに「近つ飛鳥」でっけど
そんなに有名じゃないので知らない人も多いですわ。
もう一つが奈良県の「飛鳥」で高松塚古墳の壁画で
古代史ブームを興したので全国に知られてまんな。
その大和の飛鳥巡りを3回ぐらいに分けて
主な史跡などを紹介させてもらいまっさ。
ほんなら 行きまひょ。
(近畿日本鉄道 吉野線 飛鳥駅舎)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
古代史とかで飛鳥時代って日本歴史で習いましたやろ。
当時の「飛鳥」は今よりも広い地域でしたんや。
桜井市や橿原市を含む奈良盆地の南半分を含んでいたとか。
現在は高松塚古墳で有名になった明日香村(あすかむら)
その辺りだけを「飛鳥」と呼ぶように成りましたけど。
(明日香村の マンホールの蓋) (人口約5500人)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
村全体が歴史的風土の保存地区に指定されて居るちゅうのは
日本国中を探してもここだけと違いまっしゃろか?
でも逆に規制が厳しくて建物を立て替えたり新築するにも
条件が多くて他の土地に移っていく人が多いんだって。
昔は1万人ぐらいの人が住んで居たのが現在では半分ですわ。
国や県の補助金が多いんでっしゃろな、鉄ちゃん爺やが
30年ぶりに訪れたら見事な古代史のロマンに浸れる
素晴らしい歴史的な風土地区に生まれ変わってますがな。
飛鳥巡りはアップダウンが多いので自転車が有効ですわ。
土日=1台1000円とは高い料金を取りまんねんで。
でも歩いたら半分も廻れないので我慢して借りまっさ。
レンターサイクルを借りて、それじゃ出発進行!
(猿 石 = 吉備姫王の墓)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
吉備姫王(きびひめのみこ)の墓地内におますんや。
このお方は皇極天皇や孝徳天皇の生母に当たるそうで
第29代欽明天皇の孫娘で宮内庁の陵墓参考地でおます。
日本書紀によれば第38代天智天皇や第40代天武天皇の
お婆ちゃんに当たるお方になりますな。
実は18世紀にお隣の欽明天皇陵近くの水田から石像が四体
掘り出され何故かこの吉備姫王の墓地内に置かれてますんや。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
何に使われてなぜ水田に埋まっていたのかは不明だとか。
飛鳥巡りには奇岩や珍石が在って、それを見学するのも
一つの楽しみであるとか聞きましたで。
お隣の欽明天皇陵にも立ち寄って行きまっせ。
(第29代 欽明天皇陵)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
明日香村では唯一の前方後円墳で他の古墳が7世紀頃の
終末古墳が多い中では比較的古い部類に入りますんや。
欽明天皇は高校ぐらいに日本史で仏教が百済から伝えられ
その時の天皇と学習したほぼ実在の天皇陛下でおます。
でも御陵の方は北隣にある「見瀬丸山古墳」が正しいと
現在の欽明天皇陵に異を唱える学者も多いそうですわ。
明日香村に存在する多くの古墳でこの欽明天皇陵だけが
立派なお堀に囲まれているのが特徴なんでっせ。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
鉄ちゃん爺やの独断と偏見で、この欽明天皇から連綿と
現在の皇室は繋がっていると考えてますんや。
おそらくこの欽明天皇の父親である第26代継体天皇が
越の国か又は近江の国からやってきて新しい王朝を作った。
それまでの王朝との交代があったと考えますんや。
前王朝の娘を妃にして生まれたのがこの欽明天皇だった。
だから前王朝を継承している血統だとも言える訳でんな。
自転車で次の所へ走りまひょ。
(鬼の雪隠=せっちん)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(鬼の俎=まないた)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
鬼の俎=まないた の方が丘の上にあって何故か分からないが
鬼の雪隠=せっちん のほうが転がり落ちて両方が残った。
元は古墳の石室か又は石棺であったのが分離したんでしょうな。
伝説上の鬼の話など説明書きの碑文を読んでおくれやす。
次は亀石の方へ走りまっせ。
(亀 石)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
昭和の50年代に息子と娘を連れてここで写真を撮りました
息子が亀石の上によじ登って娘が下で立ってましたかな。
現在では、よじ登る雰囲気はとても考えられまへんな。
すっかり観光用の亀石になってましたわ。
次は甘樫丘(あまかしのおか)へ向いまっせ。
(県道155号線の 道路標識)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
甘樫丘(あまかしのおか)は明日香村の北西に位置する
高い所でも標高が145mぐらいの丘陵でおます。
頂上部分に展望台があって北側に視界が開けてますんや。
大和三山を一望にできる飛鳥の人気スポットでっしゃろな。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(甘樫丘への遊歩道にて)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
明日香村が標高で60m前後でっさかいに軽いハイキング
そんな訳で自転車を置いて、鉄ちゃん爺やも登りましたで。
(甘樫丘展望台にて撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
画像は大和三山で一番高い「畝傍山」(うねびやま)
山裾の家並みは奈良県第二の人口を誇る橿原市で
古代史では神武天皇が即位した処となってまんな。
まあ~ 伝説上の天皇陛下で詳しくは分かりまへん。
その奥に霞んで見える双頭の山が二上山でっせ。
太陽はこの方角に沈んでいきますんや。
だから万葉人はこの丘から見える風景や夕日を
凄く神聖なものと捉えていたようでんな。
(大和三山 耳成山 & 天香久山)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
左側に小高く見えるのが「耳成山」(みみなしやま)で
標高は一番低いけど円錐形の美しい形をしてますんや。
右手から中央になだらかに延びている山が万葉集にも
登場する「天香久山」(あまのかぐやま)だっせ。
「春過ぎて 夏きたるらし 白妙の
衣ほしたり 天の香久山」 (持統天皇)
この山も神聖な場所として万葉人には大切にされたんだとか。
(甘樫丘 展望台から飛鳥川を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
眼下に飛鳥川が見えてますんや、北上してから
大和高原から流れてきた大和川に合流しますんや。
左手の遠くに見える山は生駒山で奈良県と大阪府の境界。
(甘樫丘の中腹で 万葉植物を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
名札が付いてなかったら見逃してしまいそうな感じ。
万葉植物に興味が有る方なら詳しく観察されるのかな。
(甘樫丘にて 万葉の植物園路 立て札)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
それでは下山して次を目指しましょうかな。
飛鳥川の見える付近まで下ってきましたで。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
甘樫丘(あまかしのおか)は残念ながら明日香村である
東側や南側は展望が良くないのが難点ではおます。
日本書紀によればこの甘樫丘(あまかしのおか)付近には
当時の権力者だった蘇我本宗家の大邸宅が在ったとか。
それらの痕跡は何にも残されてはいませんけど。
(県道155号線で 飛鳥川を渡る)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここで飛鳥川の左岸から右岸へ移動したことになりま。
近くの埋蔵文化財展示室へ立ち寄ってみまひょ。
(史跡 飛鳥水落遺跡 説明書きの碑文)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
斉明天皇の6年に中大兄皇子(後の天智天皇)が飛鳥川の水を
使って日本初の水時計を設置したと書かれてますわ。
正式には漏刻(ろうこく)といいまんねんで。
(明日香村 埋蔵文化財展示室)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
飛鳥時代の装束を再現して展示してますんや。
画像の手前が飛鳥時代でも後期になるんだそうで
奥の方が前期の装束で冠で位を表しているんだって。
(古墳から出土した 馬具 & 刀子)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(日本書紀の 写本)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
横に開いて読めるように置かれてますんやけど
漢文で記されているんで凡人には読めまへん。
(終末期古墳 柩のレプリカ)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
有名な高松塚古墳の被葬者などもこんな柩で
葬られていたんでしょうな。
飛鳥巡りの初回のブログはこれでお仕舞いにしまひょ。
次回は飛鳥大仏やら有名な石舞台古墳などを紹介しまひょ。
ほな さいなら~
こう並べたら何をイメージされまっしゃろか?
お騒がせの麻薬犯ASKAなら迷惑な話ですわ。
豪華クルージングの「飛鳥Ⅱ」なら乗ってみたい~♪
アスカなんとか言う化粧品の会社もおますんやな。
昔の話に成りまっけどアスカちゅう車もおましたで。
関西には地名で飛鳥が二箇所おまっせ。
一つは我が町の近くに「近つ飛鳥」でっけど
そんなに有名じゃないので知らない人も多いですわ。
もう一つが奈良県の「飛鳥」で高松塚古墳の壁画で
古代史ブームを興したので全国に知られてまんな。
その大和の飛鳥巡りを3回ぐらいに分けて
主な史跡などを紹介させてもらいまっさ。
ほんなら 行きまひょ。
(近畿日本鉄道 吉野線 飛鳥駅舎)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
古代史とかで飛鳥時代って日本歴史で習いましたやろ。
当時の「飛鳥」は今よりも広い地域でしたんや。
桜井市や橿原市を含む奈良盆地の南半分を含んでいたとか。
現在は高松塚古墳で有名になった明日香村(あすかむら)
その辺りだけを「飛鳥」と呼ぶように成りましたけど。
(明日香村の マンホールの蓋) (人口約5500人)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
村全体が歴史的風土の保存地区に指定されて居るちゅうのは
日本国中を探してもここだけと違いまっしゃろか?
でも逆に規制が厳しくて建物を立て替えたり新築するにも
条件が多くて他の土地に移っていく人が多いんだって。
昔は1万人ぐらいの人が住んで居たのが現在では半分ですわ。
国や県の補助金が多いんでっしゃろな、鉄ちゃん爺やが
30年ぶりに訪れたら見事な古代史のロマンに浸れる
素晴らしい歴史的な風土地区に生まれ変わってますがな。
飛鳥巡りはアップダウンが多いので自転車が有効ですわ。
土日=1台1000円とは高い料金を取りまんねんで。
でも歩いたら半分も廻れないので我慢して借りまっさ。
レンターサイクルを借りて、それじゃ出発進行!
(猿 石 = 吉備姫王の墓)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
吉備姫王(きびひめのみこ)の墓地内におますんや。
このお方は皇極天皇や孝徳天皇の生母に当たるそうで
第29代欽明天皇の孫娘で宮内庁の陵墓参考地でおます。
日本書紀によれば第38代天智天皇や第40代天武天皇の
お婆ちゃんに当たるお方になりますな。
実は18世紀にお隣の欽明天皇陵近くの水田から石像が四体
掘り出され何故かこの吉備姫王の墓地内に置かれてますんや。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
何に使われてなぜ水田に埋まっていたのかは不明だとか。
飛鳥巡りには奇岩や珍石が在って、それを見学するのも
一つの楽しみであるとか聞きましたで。
お隣の欽明天皇陵にも立ち寄って行きまっせ。
(第29代 欽明天皇陵)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
明日香村では唯一の前方後円墳で他の古墳が7世紀頃の
終末古墳が多い中では比較的古い部類に入りますんや。
欽明天皇は高校ぐらいに日本史で仏教が百済から伝えられ
その時の天皇と学習したほぼ実在の天皇陛下でおます。
でも御陵の方は北隣にある「見瀬丸山古墳」が正しいと
現在の欽明天皇陵に異を唱える学者も多いそうですわ。
明日香村に存在する多くの古墳でこの欽明天皇陵だけが
立派なお堀に囲まれているのが特徴なんでっせ。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
鉄ちゃん爺やの独断と偏見で、この欽明天皇から連綿と
現在の皇室は繋がっていると考えてますんや。
おそらくこの欽明天皇の父親である第26代継体天皇が
越の国か又は近江の国からやってきて新しい王朝を作った。
それまでの王朝との交代があったと考えますんや。
前王朝の娘を妃にして生まれたのがこの欽明天皇だった。
だから前王朝を継承している血統だとも言える訳でんな。
自転車で次の所へ走りまひょ。
(鬼の雪隠=せっちん)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(鬼の俎=まないた)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
鬼の俎=まないた の方が丘の上にあって何故か分からないが
鬼の雪隠=せっちん のほうが転がり落ちて両方が残った。
元は古墳の石室か又は石棺であったのが分離したんでしょうな。
伝説上の鬼の話など説明書きの碑文を読んでおくれやす。
次は亀石の方へ走りまっせ。
(亀 石)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
昭和の50年代に息子と娘を連れてここで写真を撮りました
息子が亀石の上によじ登って娘が下で立ってましたかな。
現在では、よじ登る雰囲気はとても考えられまへんな。
すっかり観光用の亀石になってましたわ。
次は甘樫丘(あまかしのおか)へ向いまっせ。
(県道155号線の 道路標識)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
甘樫丘(あまかしのおか)は明日香村の北西に位置する
高い所でも標高が145mぐらいの丘陵でおます。
頂上部分に展望台があって北側に視界が開けてますんや。
大和三山を一望にできる飛鳥の人気スポットでっしゃろな。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(甘樫丘への遊歩道にて)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
明日香村が標高で60m前後でっさかいに軽いハイキング
そんな訳で自転車を置いて、鉄ちゃん爺やも登りましたで。
(甘樫丘展望台にて撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
画像は大和三山で一番高い「畝傍山」(うねびやま)
山裾の家並みは奈良県第二の人口を誇る橿原市で
古代史では神武天皇が即位した処となってまんな。
まあ~ 伝説上の天皇陛下で詳しくは分かりまへん。
その奥に霞んで見える双頭の山が二上山でっせ。
太陽はこの方角に沈んでいきますんや。
だから万葉人はこの丘から見える風景や夕日を
凄く神聖なものと捉えていたようでんな。
(大和三山 耳成山 & 天香久山)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
左側に小高く見えるのが「耳成山」(みみなしやま)で
標高は一番低いけど円錐形の美しい形をしてますんや。
右手から中央になだらかに延びている山が万葉集にも
登場する「天香久山」(あまのかぐやま)だっせ。
「春過ぎて 夏きたるらし 白妙の
衣ほしたり 天の香久山」 (持統天皇)
この山も神聖な場所として万葉人には大切にされたんだとか。
(甘樫丘 展望台から飛鳥川を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
眼下に飛鳥川が見えてますんや、北上してから
大和高原から流れてきた大和川に合流しますんや。
左手の遠くに見える山は生駒山で奈良県と大阪府の境界。
(甘樫丘の中腹で 万葉植物を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
名札が付いてなかったら見逃してしまいそうな感じ。
万葉植物に興味が有る方なら詳しく観察されるのかな。
(甘樫丘にて 万葉の植物園路 立て札)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
それでは下山して次を目指しましょうかな。
飛鳥川の見える付近まで下ってきましたで。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
甘樫丘(あまかしのおか)は残念ながら明日香村である
東側や南側は展望が良くないのが難点ではおます。
日本書紀によればこの甘樫丘(あまかしのおか)付近には
当時の権力者だった蘇我本宗家の大邸宅が在ったとか。
それらの痕跡は何にも残されてはいませんけど。
(県道155号線で 飛鳥川を渡る)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここで飛鳥川の左岸から右岸へ移動したことになりま。
近くの埋蔵文化財展示室へ立ち寄ってみまひょ。
(史跡 飛鳥水落遺跡 説明書きの碑文)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
斉明天皇の6年に中大兄皇子(後の天智天皇)が飛鳥川の水を
使って日本初の水時計を設置したと書かれてますわ。
正式には漏刻(ろうこく)といいまんねんで。
(明日香村 埋蔵文化財展示室)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
飛鳥時代の装束を再現して展示してますんや。
画像の手前が飛鳥時代でも後期になるんだそうで
奥の方が前期の装束で冠で位を表しているんだって。
(古墳から出土した 馬具 & 刀子)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(日本書紀の 写本)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
横に開いて読めるように置かれてますんやけど
漢文で記されているんで凡人には読めまへん。
(終末期古墳 柩のレプリカ)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
有名な高松塚古墳の被葬者などもこんな柩で
葬られていたんでしょうな。
飛鳥巡りの初回のブログはこれでお仕舞いにしまひょ。
次回は飛鳥大仏やら有名な石舞台古墳などを紹介しまひょ。
ほな さいなら~
高松塚古墳を見に行ったのが
昭和57年頃だったと記憶します。
あの頃は飛鳥ものどかな風景で
素朴な飛鳥が残っていましたね。
今は修学旅行や観光用ツアー客の
バスなどで賑やかで騒がしいですな。
高校二年の時でしたでしょうか?
夏休みに、何人かのグループで、こちらのほうへ行って、サイクリングしたような記憶があります。
もう30年以上前のことになると、本当に記憶があいまいですが。。。
国が飛鳥歴史公園なんて名前で3箇所も造ったもんで観光地化してしまいましたね。
私の知っている高松塚古墳も当時は竹林に囲まれた素朴な古墳でしたよ。
その内に画像で紹介しますが遊歩道で一周させる変な史跡になってしまいましたね。
壁画もカビの問題で元に戻せないかもしれませんね。
確かに亀石や鬼の雪隠などは昔のままで
同じ姿で置かれていますな。
遺跡、旧跡を拝見した処では時が 止まったままに観えますよ
残念ながら 当時 直に観られた高松塚古墳の壁画が 封印された事でしょうか
後世に伝える為にも必要なのでしょう
マユミの木は隠れ家の郷の林の奥深く自生しているようですが 眼にはしていません
関西も梅雨入りとなっていますが 被写体巡りにお気を付けくださいね
大阪府では千早赤阪村の一つだけになりました。
飛鳥とか明日香は日本の文字が良いですな
変な横文字は似合わないですよね。
飛鳥ナンバーって有ったかな?
でも田舎ちゅう感じで若者にはどうなのかしら。
私は数学は得意な方でしたが英語が一番苦手でしたね。
でも~ もう50年ぐらい昔の話になりました。
産まれるお子様にも多くなっているかも~
車両のナンバーにも?
最近は「村」の名称に心響くものがありますね。
ふるさと~心のよりどころ~求められていることかも?
今日は1日南と東側の窓開けてました。 梅雨入りは1日ですね自分が予測した通りピタリとあたり。吃驚です。 気象の勉強はしてます。
僕自身も世界史より日本歴史が良いです。定時制の頃の日本歴史の本未だに持ってます、
小野小町などの平安時代も好きですね。
日本史と国語が得意で数学は丸っきり駄目です。 京都は坂本龍馬のお墓にも行きましたよ
池田屋も。また行きます。
大阪も夕方から小雨が降りだしましたよ、明日には梅雨入りの発表が出るかもしれませんよ。
私も世界史よりは日本史の方が得意でしたね。
新しく改装されるんですね。
おやおや~ マンホールの蓋が高値で売れたんですか知りませんでした。
大阪は雨が降りだしましたよ、明日にも梅雨入りの発表が有るかもしれませんね。
日本史が好きで高校いけなかったので。小倉西高校の定時制です。今は定時制はなくなりましたが高校はあります。 一度は奈良県も行きたいと思ってます、中学校の修学旅行で行きましたよ。それ以来行ってません。機会を見つけていこうと思います。日本史の勉強は楽しかったです。九州北部昨日梅雨入りです。暑いので十分体調管理して下さいね。又お邪魔します。
見所いっぱいのところでの自転車巡りもいいですね
先日の国立競技場・・・
マンホールの蓋が高値で落札を
直ぐに完売だったとか~凄いですね^^。
飛鳥の1000円は協定でどこも同一料金のようだけど高いような気がするね。
中古の自転車だったら6千円ぐらいで手に入るはず。
まあ~ 半日ぐらい楽しめたので良しとしますかな。
よく利用したことを思い出しました。
ぐっと行動範囲が広がり時間が稼げますね。
その場合は遠方の場所から始めて、
だんだん戻るようなコースどりをするのがよいとか。
その後、札所めぐりで利用した時に、
レンタサイクル店の人に教えてもらいました。
やはり奈良は地味で余程の歴史や古い仏閣に興味がなければ
新幹線からも外れていることもあり訪れる機会が少ないようですな。
私は自宅から30分~1時間で奈良のほとんどの処へ行けますので
日帰りのデジカメ散歩には良く出かけますけど。
歩いてでは割と広範囲に散らばってますので
1日では余程の健脚でなければ無理でしょうな。
自転車を利用しての飛鳥巡りが最適で私もこの日は1万2千歩ぐらいでした
その内自転車の分が2千歩ぐらい含んでいますかな。
高速道路や地下鉄の工事の前に調査行われて
貝塚や土器などが出土していますね。
我が家の辺りは丘陵地帯で標高も50m以上ありますので大昔から
海になったことは一度もないようですけど。
計画したり、ホテルの予約までしたこともあるのですが、
体力のあるうちに行っておきたい所ですね。
くちこの場合、自転車さえも怪しいのですが。。。
レンタ・サイクルというのは、思いつきませんでした。
白河駅(新幹線・東北本線のどちらか)近くにレンタサイクルがあると聞きました。それで回ると良いですね。
往復20km見ておけば良いでしょう。
此方には貝塚はありまして
この頃埋蔵物を掘り起こしている様子です
ここの貝塚の上にお寺も建ち民家も建っていましてす。