法隆寺は他府県の方でも修学旅行や遠足で
一度は訪れられたことが多いと思いまんねん。
でも法隆寺の「夢殿」の東側にひっそりと佇む
「中宮寺」は、ご存知ではないでしょうな。
(中宮寺門跡 案内の道標)
このお寺は江戸時代には皇族の姫宮様が門跡を務める
門跡尼寺として、高い格式を持つお寺でしたんや。
内親王様が門跡(住職)に成られたことも有ったとか。
明治になって皇族の姫宮様が降下されることは廃止に。
民間の女性が住職を務める尼寺として今も健在だとか。
現在でも尼さんが住職を務める奈良尼寺三か寺の一つ。
(中宮寺=ちゅうぐうじ 遠景)
現在は法隆寺の子院である敷地にひっそりと佇む
お寺なんですが、約400mほど東側に基礎石だけ
残る奈良時代から中世までは大きな寺院でしたんや。
寺伝によれば、聖徳太子の母親である間人皇后さまが
斑鳩御所を中央に置き、西の法隆寺と対照的な位置に
創建されたのが、このお寺だったそうですわ。
創建当時から法隆寺は僧寺として、ここ中宮寺は
尼寺として造られた事が基礎石から判明するんだとも。
(中宮寺 入口)
ここまでやつて来る観光客も、素朴な山門を観たら
素通りするか、引き返す方が多いかもしれまへん。
実は「世界の三つの微笑像」と呼ばれる国宝の
菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)が有るなんて
知らない方が多いのは、当然だと思いまっけど。
鉄ちゃん爺やは学生時代から知ってましたで。
美しい仏さまだと日本史の先生から教わった記憶が。
中宮寺・本尊 菩薩半跏像 (飛鳥時代の製作?)
別名 如意輪観世音菩薩像 (平安時代以降)
写真撮影は禁止なので中宮寺のパンプレットから。
(国宝 中宮寺 菩薩半跏像) (案内書から転写)
「世界三大微笑像」とは
中宮寺 本尊の 菩薩半跏像
エジプトの スフインクス
レオナルド・ダ・ヴィンチ作の モナリザ
この三つをそのように呼ぶんだそうですわ。
これを知ったのは15年ぐらい前の事でっけど。
(中宮寺 表御殿=おもてごもん)
おもてごてんと読みそうですが、おもてごもんが正解。
皇族方が来られるので格式の高い「御座の間」を含む
六部屋からなる建物で見事な襖絵が施されているんだって。
建物自体は江戸時代の再建で登録文化財になってますんや。
(中宮寺 本堂)
鉄ちゃん爺やが前回に訪れたのは1958年(昭和33年)
この本堂は1968年(昭和43年)完成との事なので
今回が初めて、ここには小さいお堂が在ったのかしら?
ご本尊さまには記憶がおますんやけどお堂は分かりまへん。
珍しい池の中に建てられた本堂なのが印象的でっかな。
高松宮妃さまのご提案で再建がされたようでっけど。
(中宮寺 本堂の柱と周囲の池)
(山吹の花で囲まれた 中宮寺の本堂)
(中宮寺の パンフレット) (黄色い花は山吹)
「山吹の寺」として春には黄色い花でさぞかし綺麗なはず。
「山吹の寺」だとは今回訪れて初めて知ったんでっけど。
この本堂には現在はレプリカでっけど「天寿国曼荼羅繍帳」が
(天寿国曼荼羅繍張=てんじゅこくまんだらしゅちょう)
国宝で現在は奈良の国立博物館に保存されているんだって。
聖徳太子が622年(推古天皇30年)御年48歳で薨去
遊ばした後、お妃の橘大郎女(たちばなおおいらつめ)が
いたくお嘆きになり、太子様をお慕いのあまり宮中の采女に
命じて聖徳太子様の往生されている天寿国という世界を想像し
刺繍によって織らせたとの貴重な曼荼羅なんだそうですわ。
飛鳥時代の繊維が残っている貴重な物で鎌倉時代に法隆寺の
蔵から発見されたを何度も修復したと伝えられてますんや。
保存が難しいので奈良国立博物館に寄贈されたようでんな。
(中宮寺 門前の掲示板)
菩薩半跏像は京都広隆寺の弥勒菩薩像と似ているのでは?
鉄ちゃん爺やの独断でっけど、ほぼ同じ時代の製作かも?
共に朝鮮や中国から伝わった技法で製作されたはず。
中宮寺の菩薩半跏像はクスノキの寄せ木造りだとの事。
(京都太秦 広隆寺の弥勒菩薩像)
共に右足を左膝の上に置き右手を曲げて、その指先は
ほのかに頬に触れる、優美なお姿になってまっしゃろ。
広隆寺の弥勒菩薩さんの方が庶民的なお顔のようでんな。
もう一度中宮寺の菩薩半跏像の方を貼り付けて置きまひょ。
コピーなので分かりずらいかもしれまへんが
美しいお姿を、是非とも拝見にお越しくださいませ。
それにしても美しい仏様だと思いますんや。
法隆寺の百済観音様と甲乙が付けられないお姿でんな。
台座から1m40cmぐらいの小さな仏様なんですよ。
(中宮寺 菩薩半跏像)
本堂でご本尊さまを写真で撮影することは禁止でおます。
本堂の中でテープの説明を受けるだけになってますんや。
あの天寿国曼荼羅も、ご本尊様の前に掲げられてまっせ。
蛇足ながら中宮寺の菩薩半跏像は、鉄ちゃん爺やが若い頃
50円の郵便切手の図柄に採用されてましたはず。
昭和の50年代まで流通していたような記憶がおます。
(中宮寺 本堂への参道)
(中宮寺の ご朱印)
(法隆寺 国宝 南大門の柱と自撮り)
国宝・南大門の柱と写真を撮って戻ることにしました。
法隆寺と中宮寺の紹介はこれにてお仕舞にしまひょ。
ほんなら~ これで、 さいなら~🎵
一度は訪れられたことが多いと思いまんねん。
でも法隆寺の「夢殿」の東側にひっそりと佇む
「中宮寺」は、ご存知ではないでしょうな。
(中宮寺門跡 案内の道標)
このお寺は江戸時代には皇族の姫宮様が門跡を務める
門跡尼寺として、高い格式を持つお寺でしたんや。
内親王様が門跡(住職)に成られたことも有ったとか。
明治になって皇族の姫宮様が降下されることは廃止に。
民間の女性が住職を務める尼寺として今も健在だとか。
現在でも尼さんが住職を務める奈良尼寺三か寺の一つ。
(中宮寺=ちゅうぐうじ 遠景)
現在は法隆寺の子院である敷地にひっそりと佇む
お寺なんですが、約400mほど東側に基礎石だけ
残る奈良時代から中世までは大きな寺院でしたんや。
寺伝によれば、聖徳太子の母親である間人皇后さまが
斑鳩御所を中央に置き、西の法隆寺と対照的な位置に
創建されたのが、このお寺だったそうですわ。
創建当時から法隆寺は僧寺として、ここ中宮寺は
尼寺として造られた事が基礎石から判明するんだとも。
(中宮寺 入口)
ここまでやつて来る観光客も、素朴な山門を観たら
素通りするか、引き返す方が多いかもしれまへん。
実は「世界の三つの微笑像」と呼ばれる国宝の
菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)が有るなんて
知らない方が多いのは、当然だと思いまっけど。
鉄ちゃん爺やは学生時代から知ってましたで。
美しい仏さまだと日本史の先生から教わった記憶が。
中宮寺・本尊 菩薩半跏像 (飛鳥時代の製作?)
別名 如意輪観世音菩薩像 (平安時代以降)
写真撮影は禁止なので中宮寺のパンプレットから。
(国宝 中宮寺 菩薩半跏像) (案内書から転写)
「世界三大微笑像」とは
中宮寺 本尊の 菩薩半跏像
エジプトの スフインクス
レオナルド・ダ・ヴィンチ作の モナリザ
この三つをそのように呼ぶんだそうですわ。
これを知ったのは15年ぐらい前の事でっけど。
(中宮寺 表御殿=おもてごもん)
おもてごてんと読みそうですが、おもてごもんが正解。
皇族方が来られるので格式の高い「御座の間」を含む
六部屋からなる建物で見事な襖絵が施されているんだって。
建物自体は江戸時代の再建で登録文化財になってますんや。
(中宮寺 本堂)
鉄ちゃん爺やが前回に訪れたのは1958年(昭和33年)
この本堂は1968年(昭和43年)完成との事なので
今回が初めて、ここには小さいお堂が在ったのかしら?
ご本尊さまには記憶がおますんやけどお堂は分かりまへん。
珍しい池の中に建てられた本堂なのが印象的でっかな。
高松宮妃さまのご提案で再建がされたようでっけど。
(中宮寺 本堂の柱と周囲の池)
(山吹の花で囲まれた 中宮寺の本堂)
(中宮寺の パンフレット) (黄色い花は山吹)
「山吹の寺」として春には黄色い花でさぞかし綺麗なはず。
「山吹の寺」だとは今回訪れて初めて知ったんでっけど。
この本堂には現在はレプリカでっけど「天寿国曼荼羅繍帳」が
(天寿国曼荼羅繍張=てんじゅこくまんだらしゅちょう)
国宝で現在は奈良の国立博物館に保存されているんだって。
聖徳太子が622年(推古天皇30年)御年48歳で薨去
遊ばした後、お妃の橘大郎女(たちばなおおいらつめ)が
いたくお嘆きになり、太子様をお慕いのあまり宮中の采女に
命じて聖徳太子様の往生されている天寿国という世界を想像し
刺繍によって織らせたとの貴重な曼荼羅なんだそうですわ。
飛鳥時代の繊維が残っている貴重な物で鎌倉時代に法隆寺の
蔵から発見されたを何度も修復したと伝えられてますんや。
保存が難しいので奈良国立博物館に寄贈されたようでんな。
(中宮寺 門前の掲示板)
菩薩半跏像は京都広隆寺の弥勒菩薩像と似ているのでは?
鉄ちゃん爺やの独断でっけど、ほぼ同じ時代の製作かも?
共に朝鮮や中国から伝わった技法で製作されたはず。
中宮寺の菩薩半跏像はクスノキの寄せ木造りだとの事。
(京都太秦 広隆寺の弥勒菩薩像)
共に右足を左膝の上に置き右手を曲げて、その指先は
ほのかに頬に触れる、優美なお姿になってまっしゃろ。
広隆寺の弥勒菩薩さんの方が庶民的なお顔のようでんな。
もう一度中宮寺の菩薩半跏像の方を貼り付けて置きまひょ。
コピーなので分かりずらいかもしれまへんが
美しいお姿を、是非とも拝見にお越しくださいませ。
それにしても美しい仏様だと思いますんや。
法隆寺の百済観音様と甲乙が付けられないお姿でんな。
台座から1m40cmぐらいの小さな仏様なんですよ。
(中宮寺 菩薩半跏像)
本堂でご本尊さまを写真で撮影することは禁止でおます。
本堂の中でテープの説明を受けるだけになってますんや。
あの天寿国曼荼羅も、ご本尊様の前に掲げられてまっせ。
蛇足ながら中宮寺の菩薩半跏像は、鉄ちゃん爺やが若い頃
50円の郵便切手の図柄に採用されてましたはず。
昭和の50年代まで流通していたような記憶がおます。
(中宮寺 本堂への参道)
(中宮寺の ご朱印)
(法隆寺 国宝 南大門の柱と自撮り)
国宝・南大門の柱と写真を撮って戻ることにしました。
法隆寺と中宮寺の紹介はこれにてお仕舞にしまひょ。
ほんなら~ これで、 さいなら~🎵