大阪人は親しみを込めて「石切さん」と呼びまんねん。
「でんぼの神様」 関西では腫物を「でんぼ」と言いまぁ。
関西では有名な神社でっけど全国的には知られてないかも。
ふりがな入れないと読めない難解な神社でっしゃろ。
(石切劔箭神社の お守り)
毎年の初詣は孫を連れて道明寺天満宮でしたんや。
今年は孫たちが帰ってこないので、息子の車で東大阪市の
「石切劔箭神社」(いしきりつるぎやじんじゃ)へ。
(石切劔箭神社 三の鳥居)
この三の鳥居と本殿の前に、お百度石が置かれてますんや。
「腫物や癌」の平癒を願って、ぐるぐる回りまんねんで。
本殿と三の鳥居間を時計回りに、無言でお百度参りしますんや。
平日なら数十人の方が、ぐるぐるお百度参りをされてまつせ。
元旦なので初詣の参拝客で、お百度参りすることは不能でんな。
初詣なのに、こんなに参拝客が多いとは想定外でしたわ。
(お百度参りコースには 参拝客の行列が)
社務所で買った100本の「こより」を一周するたびに
本殿にお祈りして、「こより」を1本だけ納めますんや。
100本納めで、お百度参りが結願したことが分かりまぁ。
病気平癒を願い、ひたすら神に祈る真剣な姿なんですよ。
神にすがるしかない、悲痛な祈りだとも言えますかな。
だから写真を撮ることは、憚られますので写しまへん。
この場所から撮影するのは、初詣の今回がお初なんですわ。
(石切劔箭神社=いしきりつるぎやじんじゃ 本殿)
ご祭神は「饒速日命=にぎはやひのみこと」 と
その息子「可美真手命=うましまでのみこと」のお二人。
饒速日命はスサノウノノミコトの三男だとの説がありまぁ。
天照大神の孫だとの説もあり、定かでない神様ですわ。
皇紀2年に神武天皇の命で創建されたとの社伝がおます。
でも約700年前に社殿と宝物殿の全てが焼失してまぁ。
創建された当時の記録は全く残ってないそうですわ。
平安時代の「日本三代実録」によれば、こんな文面が。
「河内の国 正六位の石切劔箭神社に 従五位下を授ける」
だから由緒もある、古い神社である事は確かなんでっせ。
(石切劔箭神社の お守り入れ)
何故、この神様が「でんぼを治す」ご利益があらたかなのか?
大阪人が考え出した、生活の知恵だったのか、それとも昔に
本当に重病の腫物を祈ったら、平癒したのかもしれまへんな。
神社の公式ホームページにも記載はおまへんけど。
私の祖母の時代には「でんぼの神様」で通ってましたで。
鉄ちゃん爺やが祖母に連れられて初めてお参りしたのは
記憶では小学校の1~2年生だったはず。
(本殿前の ご神木)(楠の古木)
ご祭神の ご神威が強固な岩をも切り裂き貫き通すほど
偉大なさまを、社名にした元々は「武の神様」だったはず。
神話によれば、神武天皇が日向の国から攻め上った際に
この地でナガスネヒコと戦って敗れたとされる地でもおます。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は神話ではナガスネヒコの
妹を妻にして可美真手命(うましまてのみこと)を生ませた。
可美真手命はナガスネヒコを殺害して神武天皇に帰順したと。
歴史上に現れる物部氏(もののべし)の先祖だとの説がおます。
天皇家が大和に入る前から、土着していた豪族だったのかも?
(元旦のファミレスで 鉄ちゃん爺や親子)
内の奥さんと息子が久しぶりの登場になりまんな。
本日はこれにてお仕舞にしまっせ。
次回は同じく息子の運転で訪れた奈良県の壷阪寺を
紹介することにしまひょ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵
「でんぼの神様」 関西では腫物を「でんぼ」と言いまぁ。
関西では有名な神社でっけど全国的には知られてないかも。
ふりがな入れないと読めない難解な神社でっしゃろ。
(石切劔箭神社の お守り)
毎年の初詣は孫を連れて道明寺天満宮でしたんや。
今年は孫たちが帰ってこないので、息子の車で東大阪市の
「石切劔箭神社」(いしきりつるぎやじんじゃ)へ。
(石切劔箭神社 三の鳥居)
この三の鳥居と本殿の前に、お百度石が置かれてますんや。
「腫物や癌」の平癒を願って、ぐるぐる回りまんねんで。
本殿と三の鳥居間を時計回りに、無言でお百度参りしますんや。
平日なら数十人の方が、ぐるぐるお百度参りをされてまつせ。
元旦なので初詣の参拝客で、お百度参りすることは不能でんな。
初詣なのに、こんなに参拝客が多いとは想定外でしたわ。
(お百度参りコースには 参拝客の行列が)
社務所で買った100本の「こより」を一周するたびに
本殿にお祈りして、「こより」を1本だけ納めますんや。
100本納めで、お百度参りが結願したことが分かりまぁ。
病気平癒を願い、ひたすら神に祈る真剣な姿なんですよ。
神にすがるしかない、悲痛な祈りだとも言えますかな。
だから写真を撮ることは、憚られますので写しまへん。
この場所から撮影するのは、初詣の今回がお初なんですわ。
(石切劔箭神社=いしきりつるぎやじんじゃ 本殿)
ご祭神は「饒速日命=にぎはやひのみこと」 と
その息子「可美真手命=うましまでのみこと」のお二人。
饒速日命はスサノウノノミコトの三男だとの説がありまぁ。
天照大神の孫だとの説もあり、定かでない神様ですわ。
皇紀2年に神武天皇の命で創建されたとの社伝がおます。
でも約700年前に社殿と宝物殿の全てが焼失してまぁ。
創建された当時の記録は全く残ってないそうですわ。
平安時代の「日本三代実録」によれば、こんな文面が。
「河内の国 正六位の石切劔箭神社に 従五位下を授ける」
だから由緒もある、古い神社である事は確かなんでっせ。
(石切劔箭神社の お守り入れ)
何故、この神様が「でんぼを治す」ご利益があらたかなのか?
大阪人が考え出した、生活の知恵だったのか、それとも昔に
本当に重病の腫物を祈ったら、平癒したのかもしれまへんな。
神社の公式ホームページにも記載はおまへんけど。
私の祖母の時代には「でんぼの神様」で通ってましたで。
鉄ちゃん爺やが祖母に連れられて初めてお参りしたのは
記憶では小学校の1~2年生だったはず。
(本殿前の ご神木)(楠の古木)
ご祭神の ご神威が強固な岩をも切り裂き貫き通すほど
偉大なさまを、社名にした元々は「武の神様」だったはず。
神話によれば、神武天皇が日向の国から攻め上った際に
この地でナガスネヒコと戦って敗れたとされる地でもおます。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は神話ではナガスネヒコの
妹を妻にして可美真手命(うましまてのみこと)を生ませた。
可美真手命はナガスネヒコを殺害して神武天皇に帰順したと。
歴史上に現れる物部氏(もののべし)の先祖だとの説がおます。
天皇家が大和に入る前から、土着していた豪族だったのかも?
(元旦のファミレスで 鉄ちゃん爺や親子)
内の奥さんと息子が久しぶりの登場になりまんな。
本日はこれにてお仕舞にしまっせ。
次回は同じく息子の運転で訪れた奈良県の壷阪寺を
紹介することにしまひょ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵