鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの  広島紀行 パート5

2016-03-26 14:17:10 | 旅行
広島市内にはアストラムラインと呼ぶ
新都市交通の乗り物がありまんねんで。

早う~、言ったらモノレールのような感じ。

1994年(平成6年)8月20日に開業

大通り駅 ~ 広域公園前駅間 18.4km

(1000系 アストラムライン)



広島市の繁華街や県庁のある大通り駅から
時計とは逆回りで円を描いて4分の3周して
広域公園前駅が終点になってますんや。

何で~ こんな処で終点やと考えたんでっけど、
平成30年頃までにJR西広島駅まで延伸するとか。

JRを交えて360度で広島市内を一周しまんな。

なるほど~ これで鉄ちゃん爺やも納得ですわ。

平成30年じゃ鉄ちゃん爺やは生きてないかも。

(JR新白島 駅名標)



(アストラムライン 新白島駅舎)



新幹線も停まるJR広島駅は政令指定都市なのに
繁華街や原爆ドームのある地区とは離れてますんや。

JR広島駅前から広電と呼ばれる路面電車か、もしくは
バスで移動しなければならない、不便な町でしたんや。

広電の路面電車が黒字だと言うのも納得ですわ。

だから娘の自宅へはアストラムラインの大通り駅まで
高い電車賃を2回払って、遠回りする感覚でしたで。

JR在来線とアストラムラインが2015年3月から
互いに新駅を開業して、少し便利になったのかな。

鉄ちゃん爺やも娘の自宅へは、この新白島駅で乗り換え
時間短縮も出来たし、行動が随分と楽になりましたで。

一寸、アストラムラインの不動院駅で途中下車しまひょ。



広島市は原爆が投下されたもんで、市内に残る
国宝はこの不動院の金堂が唯一なんでっせ。

お隣の宮島・厳島神社には沢山おますんやけど。

あそこは廿日市市で広島市とは違いまんねん。

(国宝 不動院 金堂)(大修復後 2016年)




1540年(天文9年)の墨書が建物に残っていて
建立されたのが、室町時代だと判るんだって。

このお寺の南側が牛田山の裾野に成っている関係で
原爆が投下された日も、屋根が破損したのと柱が
1本だけ壊れたのみで、倒壊を免れたと書いてまんな。

爆心地から北へ約4kmぐらい離れてますんや。

(不動院 楼門) (国の重要文化財)





原爆が投下された日の惨状が書かれてますんで
読んで貰った方が、良いかなと思いまんねん。

国宝の金堂は被爆建物として認定されてるだって。

(不動院 鐘楼) (国の重要文化財)



新しく塗り替えられてまっけど、金堂より古く
1433年(永享5年)の建築だそうですわ。。

この不動院は足利尊氏が全国に建てた「安国寺」の
一つで、当時は臨済宗のお寺でしたんや。

戦国時代の戦乱で衰えていたのを、安国寺恵瓊が
山口市に在った大内氏の菩提寺から移設したのが
現在の金堂の建物だと伝えられてるようでっせ。

安国寺恵瓊は関ヶ原の戦い後に処刑されてしまい、
毛利氏も長門の国に移され、福島正則が変わって
入国し臨済宗から、真言宗に改宗させたんだって。

本尊が不動明王なので現在は不動院と呼ぶそうで、
本堂を見れば禅宗の建物で違和感がおますかな。

真言宗と言ったら密教系のお寺でっさかいに。

江戸時代には安芸42万石浅野家の篤い保護を受け
由緒あるお寺なんでっけど、現在は訪れる人もなし。

広島市内では唯一の国宝なのに残念な事ですわ。

一寸だけ脱線して西条の街へ出かけてみまひょ。

(JR山陽本線 西条駅舎)



西条は古くから栄えた宿場町で、西国街道が通り
現在は灘・伏見と並び日本三大酒造の街と言われ
呑んべぇ~ には必見のところでっしゃろな。

現在は東広島市という味気ない名前が付いてまっけど。

(東広島観光協会の 観光マップ)



(西条の酒造メーカー 七社)



現在は酒造メーカー七社が町興しの一環として
工場内の一部を一般公開し、試飲が出来ますんや。

七社を全て回って試飲したら、結構と酔いまっせ。

赤レンガの煙突と白壁の街を2~3紹介しまひょ。

(西條鶴酒造)



(福美人酒造)











名前が素敵で若い女性の見学者が一番多いとか。

ここには珍しい色紙が飾られてますんや。

歴代の総理大臣が「國酒」と書いた直筆でっせ。

(歴代総理大臣 直筆の色紙)



大平元首相が中国で「白酒=パイチュ」の乾杯を受け
我が日本には日本酒がある「國酒」と呼んだのが最初。

でも公式の場では日本は今もワインを使ってますかな。

だから~ 太平さんより以降の総理が全員「國酒」と
色紙に書いて酒造メーカーに飾ってあるんだそうな。

本物は日本酒造協会に保存されているのかしら。

それとも献金をして直筆を頂戴したのかしら?





達筆も有り、それほどでもないのもあり~

西条では福美人酒造さんだけにしか飾ってない?

本物かレプリカなのか聞き忘れましたんやけど。

最近は「焼酎」も「國酒」と呼ぶんだって?

(町のマンホールもこんな感じ)





お酒の街をPRしたマンホールの蓋でっしゃろ。

最近になって町興しで新しく作ったようでんな。

9年前に訪れた時には下に張り付けました
こんなデザインでしたんや。

今も駅前から離れるとそのまま残ってまっけど。

(東広島市 西条 マンホールの蓋)



(賀茂鶴酒造)





西条で一番大きなメーカーで、娘が独身時代に
会社で取り扱っていた「賀茂鶴」なんで大阪でも
なじみの深いお酒で、私も良く飲みましたんや。

実は鉄ちゃん爺やがデジカメを動画にセットし
知らないで撮影してしまい失敗の巻きでおます。

色んなお酒を賀茂鶴さんで6杯も飲んだから
酔っぱらっていたのかしら?

残念ながら、この2枚だけしか写ってまへん。

(賀茂鶴酒造 酒粕 かりんとう)



「かりんとう」だから甘いんでっけど、なんとなく
賀茂鶴のお酒の香りが口の中で広がりまっせ。

酒の粕を利用して作られたお土産のよですわ。

娘のリクエストで買って帰り2人で食べましたで。

内の奥さんはお酒が飲めないのでパスでしたけど。

娘の話では七社とも味が違うと言ってましたわ。

(亀齢酒造=キレイしゅぞう)







広島のお酒は甘口が多いんでっけど、亀齢さんのは
辛口でキリットした味に感じましたで。

先祖は毛利家の家臣だったとか、酒蔵には毛利の家紋が。





(旧の西国街道)





(御茶屋 本陣跡)



安芸の国主である浅野家のお殿様は広島城を出て
最初の休憩は、ここ西条の御茶屋でされたんだって。

浅野家は大藩なので、ここも含めて9か所も
西国街道筋に御茶屋を持っていたそうですわ。

備後の尾道市まで浅野家の領地でしたからね。

参勤交代の大名も利用した御茶屋と書かれてまぁ。

(酒蔵通りの 標識)



それでは最後は広島港の方へ向かいまひょ。

ここは最初に書いたアストラムラインの
起点で大通り駅は地下になってますんや。

地上にでるとこんな感じの繁華街でんな。

(大通り駅前の 繁華街)



このアーケドを奥の方へ300mぐらい進むと
原爆ドームの側にある元安橋のたもとに出まっせ。

それでは広電の路面電車に乗ることにしまひょ。

(広電の最新型 路面電車)



(広島港のターミナルビル)





(広島港から 安芸小富士を撮影)



直ぐ目と先にある「似島=にのしま」という島の
北側に聳える富士山を小さくしたような美しい山で
標高は278mで、「あきのこふじ」と読みまっせ。

この島が広島市内では一番南の端になるとのこと。

広島市内からも少し高台になれば良く見える山で
終戦までは陸軍の検疫所が置かれていたんだって。

原爆の投下の後は1万人もの被災者が収容されて
多くの方が亡くなったので慰霊塔もあるそうでっせ。

カメラを左へ振ると、江田島の北側が遠くに見えまぁ。

(広島港から 江田島を望む)



ここからは江田島が大きくかぶさっているので
呉市の街並みは見えまへんけど。

(旧 宇品港の基礎石)



現在は広島港と呼んでますが、戦前は宇品港と言いました。

九州を除く西日本の兵隊さんの多くが、この宇品港から
中国本土や南方に送られ、その半数の方々は生きて再び
祖国の地を踏むことなく、旅立った悲しい歴史がおます。

そんな「宇品港」だったと、忘れてはならない所ですかな。

何せ広島市は軍都と呼ばれ当時はこの港まで、国鉄の線路が
有って、輸送船で兵隊や軍需品を送り出す重要な港でした。

そんな訳で、原爆の投下される大きな原因にもなったとか。

現在は観光船が行き交う静かな港ですが、原爆の被害と共に
ここ宇品港の悲しい歴史も、若い人々に語り継がれるのかしら。

長くなりましたので、鉄ちゃん爺やの広島紀行は
これにてお仕舞とさせて頂きまっさ。

OCNフォトフレンドから貼り付けました画像が4月以降
どうなるのか、実験を兼ねて今回もピックアップしました。

画像が消滅するかもしれまへんので、その節はご容赦のほど。

次回は同窓会で有馬温泉へ行ってきましたんで
その際の画像などでも紹介しまひょかな。

ほんなら、これでさいなら~♪



コメント (20)
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