鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

食べた事おますか~   大阪寿司って言いまんねんけど

2013-08-10 20:00:55 | 大阪
最近のお寿司屋さんでは、江戸前の「握りずし」がメインになってまっけど、
歴史を問えば「大阪寿司」の方が随分と古いんだっせ。

江戸時代の文化文政時代(19世紀前半)までは寿司といえば「大阪寿司」だけが
お江戸でも屋台の店なんかで、売られてたそうですわ。

「握りずし」が出来たのは文政時代(1818年~)華屋与兵衛だとの説がおますな。

喜多川歌麿の浮世絵を見たら華屋与兵衛さんも最初は大阪寿司を売ってたようでっせ。

「華屋与兵衛」ちゅう店が関東におますけど親戚なのか一族なのか知りまへんけど。

昭和も戦後になってから「握りずし」が一番人気になったんやそうですわ。

まあ~ 冷凍技術の向上と回転寿しなどが出来たからの影響でっしゃろな。

(大阪寿司)  (すし萬 あべのハルカス店)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

関西では「押し寿司」とか「箱寿司」とも呼びますんや。

長方形の箱型の調理器具を使って作りまんねんけど、我が家にも
母親が生きている頃は家庭料理としてこの箱型がおましたで。

だから関西では「押し寿司」なんて、特別な料理やおまへんでした。

(すし萬 あべのハルカス店) (総本家 小鯛雀寿司 鮨萬)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この「すし萬」さんは大阪でも江戸時代から続く大阪寿司の老舗でっせ。

代々の店主は「鮨屋萬助」を名乗り現在の社長はんも15代目の萬助さんだそうな。

この「すし萬」さんは「小鯛雀寿司」という商標登録を持ってはりますんや。

なにせ1653年(承応2年)に福島村で「雀鮨」を船場の高麗橋で「魚棚」を
開店したんやそうで、今年が創業310年ちゅうことになりまんな。

それを記念して大阪市が募集していた「阿部野歩道橋」のネーミングライツに
応募し契約に成功したそうでんがな。

(阿部野歩道橋)  (平成25年5月 二代目完成)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この画像は高いビルから眺めたパネルを写してきたんでっけど、阿部野の「あ」を
アルファベットで「a」に置き換えてデザインしたんやそうですわ。

この歩道橋に「鮨屋萬助 阿部野歩道橋」と表示するように申請中だとか。

なんでも創業310周年にちなみ年間310万円で三年契約だとかの話でんな。

あの梅田のロート製薬さんのネーミングライツに次ぎ二番目に決まったようでっせ。

正式な屋号は「総本家 小鯛雀寿司 鮨萬」と言う堅苦しい名前なんですわ。

「すし萬」は最近までの屋号で今でも読みやすいので店頭には使ってはりまんねん。

(小鯛寿司)  


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

「すし萬」さん以外でも「小鯛寿司」として同じものが食べられますけど
「小鯛雀寿司」とは名乗れないのは当然ですよね。

元々は「雀鮨」といって「江鮒」(エブナ=ボラの子供)を背中から開き
寿司飯を入れたら腹が膨れて雀のように見えるから名づけたとの説。

1781年(天明元年)に初代 石本萬助が宮中の仙洞御所(京都市)に
お寿司を納めることになり、江鮒じゃなく西宮の戎神社の近海で獲れた鯛を使い
「小鯛雀寿司」と改めて献上したのがルーツだそうでっせ。

この時に「鮨」という名前も「寿司」という寿字に変更したようでんな。

明治天皇にも献上され、現在でも天皇家や秋篠宮家からご用命があるんだとの事。

(小鯛寿司の 作り方) (テレビ東京 TVチャンピオンより拝借)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

関西ではこの押し寿司の調理器具はそんなに珍しい物でもおまへん。

私の母親などは寿司飯を甘くして関西風の押し寿司をよく作ってくれました。

最近は押し寿司の器具が無くても弁当箱やタッパで作れるそうでっせ。

関西のお寿司はどちらかと言えば酢飯を甘くして日持ちがするような考えでんな。

関東の握り寿司は魚などの具を味わうという意味で甘さは控えめでっしゃろ。

(バッテラ)  (鯖の押し寿司)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

小鯛雀寿司なんて、そうそうは庶民には縁がない訳で、バッテラならOKでっかな。

大阪ではサバの押し寿司を「バッテラ」と呼びまんねんで。

これならスーパでも売ってますし1パック300円~500円ぐらいでっしゃろな。

バッテラとはポルトガル語らしく「バッテイラ」はボートやそうで魚の半身が
ボートに似てるからちゅうのが語源のようでっせ。

明治の頃は「コノシロ」ちゅう魚を使ったそうだっけど値段が高くなり
安いサバに変えたら、大阪では庶民のお寿司ちゅうことになりましたんや。

表面が光って見えるのはサバの上に薄く削った白板昆布が乗ってまんねんで。

「大阪寿司」は原則として醤油は付けずにそのまま食べるのが基本でっしゃろな。

(棒ずし)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

こちらは江戸前の握りずしと、大阪寿司の「あいのこ」みたいな感じ。

「あいのこ」って言葉は放送禁止用語だったかしら?

酢飯を棒状に伸ばして魚などの具を乗せて巻きすで仕上げるお寿司ですわな。

(いなり寿司)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

関西の「いなり寿司」は関東よりも甘いでっせ、きつねうどんも同じでっけど。

ところで~ お寿司って日本語では色々と書き方がおまっしゃろ。

「寿司」 「鮨」  「鮓」  「寿し」

いなり寿司は魚じゃないから「寿司」が一番お似合いでっしゃろな。

元々は「寿司」の語源は寿字として作られたアテ字でっけど。

江戸前の握りは「鮨」で塩や砂糖や酢を使った「早やずし」がルーツでっしゃろか。

関西では「鮓」が良く使われるのは魚を薄く裂いた状態を意味する
「押し寿司」や「バラずし」を想像するからでっしゃろか。

関西で言う「バラずし」は関東では「ちらし寿司」に似たものでんな。

それと関西では「こけらずし」と言う言葉が今でも寿司職人は使いはりまっせ。

「こけら」とは木の屑という意味でご飯に混ぜ込む魚の切り身をそのように
見立てたようで、大阪で言うバラ寿司や五目寿司などがこれに該当しますかな。

「こけらずし」は室町時代の文献にも見られ江戸時代の初期にかけて
ご飯に酢をそそぐ「早やずし」と呼んで、これが大阪寿司に変化して行ったようでっせ。

元々は「お寿司」とは発酵させる「馴れ寿司」がルーツで現在の滋賀県に残る
「鮒すし」のように発酵させたご飯は捨てて発酵させた魚を食べるようでんな。

わても~ 初めて食べた時は発酵したご飯を食べようとして笑われましたがな。

それが、「早やずし」となって「握りずし」などに発展したんでっしゃろ。

(握りずし)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

現在はやはり全国的に「握りずし」が一番ですよね。

「大阪寿司」も最近は若い人にはあまり興味がないようでんな。

でも~ 日本人はお寿司が好きなようで全国各地に独得のお寿司がおます。

わてが~ 好きなのは岡山の「祭りずし」これは、ちらし寿司では有名でっせ。

富山の鱒ずし・奈良は柿の葉ずし・秋田のハタハタずし・鹿児島の酒ずし

北海道のサケずし・金沢のかぶらずし・高知のサバの姿ずし・東京の毛抜きずし

まあ~ 全国各地には色んなお寿司がおますな。

ほんなら~  今日はこれでお仕舞い  さいなら~








コメント (18)
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