真夜中、丑三つ時間近のドイツ・フランクフルト。
突然の雷雨の後、夜の街には初秋のような風が吹いている。
僕は大学病院の救急病棟待合室で、もう小一時間ほど
宿に戻るタクシーを待っている。
日本からの出張者がドイツに着いた初日に意識不明になり、
根元を切られた古い木のように突然、倒れてしまった。
いつ会っても仕事熱心、すこぶる有能で誠実な方だ。
長旅の疲れと低血圧、接待の酒、突然の夏日などが
重なってしまったのだろう。
ドイツと日本の間で沢山の人があまりに多くの仕事をし過ぎている。
万が一でも、異国で突然、過労死で亡くなっていたかもしれない。
それでも、彼は明日からの契約交渉に臨もうとしている。
人の、自分の命は一回限りのことなのに、
残される家族との時間は取り返すことができないのに。
ヨーロッパでも、日本でも人間の存在自体の幸福が
中心的価値として、社会を形成したり、動かしたことはまずない。
だから、私達は私達の存在自体の意義を問いかけること
自らとその裏腹の他者の生命を大切にすることも
子供の頃から、おおよそないがしろにしてきているのだろう。