「沖縄座間味島・広島・福島・家族」 - 伝えるべき言葉への想い

2011年06月03日 | 家族

今日は家族の話、そして、今、自分達に起きていること、過ぎ去らない昔のことに
ついて書こうと思う。




(2011年4月、沖縄・慶良間諸島・座間味島の海岸にて。
美弥、健、ママライン、自分。ようやく心が解けたとき。)


ドイツ・ベルリンの平和団体から派遣され、北海道・札幌郊外の自然農場で
昨年の9月から兵役代替業務を務めていた長男の浩太。福島の原発震災が
起きた3月11日は恒例の広島での平和セミナーに参加していた。僕の父親の
親族、そして何十万人の日本人が原爆によってその命を断たれた土地だ。

翌日の3月12日には日本で民間業務を行っていたドイツの若者達、約20人に
対して、ドイツへの即時帰国指示が発せられた。浩太も3月15日に成田経由で
ドイツに戻ることになった。ほぼ不眠不休で日独のテレビとインターネットの
情報を読み合わせつつ、飛行機の手配を図り、広島からの新幹線、東京駅から
成田への移動に対し、福島原発第一の事故がさらに拡がった時に、日本語の
おぼつかない息子をどうやって安全圏に移動させるか、その際に最低限の水と
食料を確保するのにどうするのか、頭を悩ませたことを思い出す。
そんな中でも、「戦後65年の帰結がこれだったのか」という思いが、何度も
何度も押し寄せてきた。

結局、浩太達の兵役代替業務は4月30日をもって例外的に終了となり、今年の
夏まで日本での滞在を考えていた20人のドイツの若者にとっては、人生の
始まりにおいて、突然の空白期間が生じることとなった。日本の惨状を思えば
大したことではない。それでも一人一人の若者にとっては小さな夢の喪失である。

そんな中、5月7日に浩太は日本に戻り、札幌郊外八剣山の自然農場で最後の
勤めを果たすこととなった。ホストファミリーの学さん、御厚意に感謝致します。
どうも有難うございます。




(2011年4月末、座間味島の海。ネイチャーランド カヤックス・
佐野さんと過ごした一日。家族で初めてウミガメを見る。)


明日から沖縄・慶良間諸島の座間味島に、島の方々の御厚意、賢さんと
佐野さんとの御縁、御援助により実習生として約2ヶ月移り住むこととなります。
御助力、本当に有難うございます。よろしくお願いします。




(座間味村の地図)

「そして私は、那覇の西方海上に浮かぶ慶良間諸島へと通い始めた。
慶良間諸島の海は、素晴らしい透明度を誇っている。那覇から高速艇で
渡嘉敷島に35分、座間味島には1時間で着く。港に近づくと海の色は紺碧
からエメラルドグリーンに変わり、島の緑と調和して美しい。
この海は世界でも有数の透明度を誇るダイビングのメッカであり・・・」
            (出典:森住卓/沖縄戦「集団自決」を生きる)

浩太は何も知らない。19才の時、僕も同じように何も知らなかった。
海軍志願兵、病で特攻隊から生き残った父親の話には、柳井出身・広島育ちの
親父の話には、原爆の話には耳も貸そうとしなかった。
僕が息子に出来ることは、広い大きな人生、肯定的な生き方、人、時間、
自然との大きなつながりをつかめるように願うこと。

日本、沖縄、座間味の人と自然に触れて、いろいろなことを感じ、考え、
体得できることがあれば、父親としては嬉しい。





今の浩太が読めなくても、知らずとも、最後に幾つかのことは書き留めて
おきたいと思う。それは日本の戦争が、それを支えた思想や体制が座間味島に
沖縄にもたらした1945年の帰結についてのことだ。
(自分が50を過ぎるまで、この沖縄の歴史について何も考えていなかった
ことは本当に申し訳なく、恥ずかしく思う。)

「絶対アメリカには捕虜になるな。最後、どうにもならないときには、
死になさいという教えは、誰でも受けていました。今から考えると、
あの『集団自決』というのは。何だったのかなと思うのですよね。」

「父は『どうしても死なないといけないのか』と漏らしたけれど、兄は
『軍の命令だから』と、父親を諭すように言って、水杯を交わした。・・・
そして子供達を抱き寄せて、『こんなに大きく育てたのにくやしい。
ゴメンね、父さんも一緒だからね』と言って涙を流し・・・」

「オバーが、どうしたのかと聞くと、『お父さんが殺した』と言っていた。
双子のもう一人の貞夫は、入り口の水桶にもたれかかるようにして息絶えていた」

「国として都合の悪いことでも、事実は事実として受け止めて欲しい。
沖縄の戦争の歴史の真相を隠すことはおかしい。二度とあの戦争を子や孫に
させてくないですよ・・・」

「どこにも逃げ場の無い閉ざされた島の中で、軍は、『軍官民共生共死』の下、
住民の行動を監視、統制し、さらに絶対に米軍に捕らえられてはならぬ、と
厳命されていた。」

「人々がいかに追いつめられていたとしても、そこにある行動選択の
『命令』がなければ、肉親をわが手にかけるという異様・異常な行動に
出ることはなかったろう。」

            (出典:森住卓/沖縄戦「集団自決」を生きる)


浩太や子供達に、その意味が伝わるように、この一つ一つの言葉をドイツ語で
書き記し、伝えていくことは、日独の子供達の父親となった僕の務めだと思う。
それは近いうちに必ず果たそうと思う。

今起きている原発の問題、日本の現状や被曝の実際を隠蔽し、塗り替える
情報操作、大衆操作の事実。このことを考える時にも、僕達は自らの過去の
歴史を振り返るべきだと思う。

座間味島での2ヶ月。親バカであっても、浩太には心と体がつながる、
よい経験になって欲しいと思う。

賢さん、佐野さん、座間味島の方々、よろしくお願いします。