今季最後のトマト(8月2日)
トマトには太陽が似合うというイメージを持っている。長梅雨が終わりやっと太陽が顔を出してきたというのに、わが菜園のトマトの収穫は終わりを迎えている。きのうはトマトハウスといえば聞こえはいいが、簡便な“雨除けセット”を解体した。
ことしは長梅雨の中でトマトは育った。平年に比べて収穫期間が短かく、収量だっていつもよりも少ない。それなのにことしほどトマトを食べた年はないのではないか。よく食べた。
もともとトマトは嫌いではないがすすんで食べようとはしない。好きで食べるというよりも、食べないとむだにしてしまうから食べてきたといえる。
わたくしの子供時代はトマトといえば“ファースト“だった。青臭かった。まずかった。嫌いだった。あの味を舌が覚えていてずっと食べられなかった。食べられるようになったのはトマト栽培を始めた30数年前、いまも人気の“桃太郎”が登場したばかりのときであった。
4月と5月の種苗店でなにが目立つかといえばトマトの苗の売り場。多くの品種が並んでいる。目移りして選ぶのが困るほどだ。うまいトマトを目指して品種改良がすすんでいる。いつのまにか大人にも子供にもトマトがもてはやされているのは、この品種改良のおかげだとわかる。
その一つひとつを順番に育てて味を見てみたいという誘惑にかられる。これだけの品種があるのだから、なかにはうまい!という品種に巡り合えるかもしれない。しかし選ぶのは毎年同じ品種ばかり。新しい品種に挑戦しない限りは、最前線のトマトの味を知る機会がないと自省することもある。しかし新しい品種でもそれほど味は変わらないのではないかと侮っているところがある。
トマトは嫌いではないというのは、うまいと感じるときがあるからで、それは完熟物を食べたときだ。完熟物は大玉でも中玉でもミニでもうまい。とくに大玉は果物になる。しかしそれを味わえるのは知り合いに農家があるとか自分で菜園をやってる人に限られるだろう。
なんだかんだ言ってもトマトは作る。今季は本数を減らしたのだが、それでも食べきれないで近所に分けてもまだ余った。食べた食べたといっても、やはり好きでも嫌いでもない。その程度の興味しかないのなら、いっそのこと来年はすべて新しい品種を試すことにためらいはないはず。そうしようか。いまはそう思うのだが、さて来年は?