調べものがあったので図書館に行く。うまいぐあいに書棚の脇に4人用のテーブルがあった。着席したら目の前に小さなプレートがあり、こう書いてあった。「このテーブルは次のような方々の専用席です。1、ご高齢の方 2、・・・・ 3、・・・・」。? 周りをみたら確かに。どうしようから。このまま座っていようかなと思いながらも「団塊の世代のオレは高齢者かな」とつぶやきながら立ち上がり別な席をさがした。
中が空っぽだから空芯菜。毎年同じことを書いているな
空芯菜が食べごろだなと目の端にとらえながら、ずっとその存在を意識していた。それなのにきょうまで口にしなかった。ほかの夏野菜を食べるのに追われて空芯菜にまで手がまわらなかっというべきか、それとも空芯菜を食べる間がなかったというべきか。勝手なもので夏野菜、とくに葉物が乏しくなると急に空芯菜の存在が目立ってきた。
この夏の終わりの時期に葉物はありがたい。いやあ、目をかけなくてワルイ、ワルイといいながら、先っちょの若い芽を20センチほど摘み取る。葉物の調理は決まっている。これもおひたしで食べる。ゆでて、かつお節をかけ、しょうゆを落とすだけ。そんなにうまいとはいえないが、今年初めてなだけに食感が新鮮だった。ぜいたくいわずにやはり食べておくべきである。秋の葉物出てくるまでの9月いっぱい食べられるのだから感謝である。空芯菜からすれば「いままでほったらかしにしておいて勝手な言い草ね」と映るだろうね。
、