きのうは地域の夏祭りだった。低学年の子たちが太鼓をたたいている。親たちがその様子を眺めている。わたしは模擬店で買った生ビールを飲みながら見ている。太鼓の音を聞きながら、いつしか、わが家の、もう30をとうに過ぎた息子たちの子ども時代に思いをはせていた。私は親として子どもたちとこんな時間があったのだろうか。子どもが低学年のとき私は30代。たしかに休日には一緒にすごしたほうだが、私の30代は自分が遊ぶのにも忙しかった。悪い遊びもあったが、いまとなってはすべて過去のこと。それでもわが身の勝手さを思うとこころがしんみりとなり、ビールがいつもより苦く感じられた。
いまのこの時期、ウオーキングコース上にある公園の林床にはキツネノカミソリが咲いている。キツネノカミソリをはじめて聞く人は、これが花の名前だとまず思うことはないだろう。花の名前には妙なものがよくあるが、これもそのひとつだ。花を見て、名前を知ったら、忘れることはあるまい。
花を見ないで、名前だけを聞いたらどんな花を思い浮かべるだろうか。「キツネ」と「カミソリ」、似たような同質のイメージを想起させる。このふたつの言葉を重ねると、ヤバそうな感じだ。キツネの代わりに「タヌキ」と「カミソリ」となると、こちらのほうが安心する。
実際に見ると、なんともきれいな花である。どこがキツネで、どこがカミソリなんだと思いたくなる。この花は鮮やかである。彼岸花の仲間だと知ると納得がいく。
かみさんは昨晩、夜行バスで西へ、山歩きに向かった。それならと、私は北アへ行く予定でいた。すべて用意万端だった。しかしいざ出掛けるとなるとこのところきまって腰の状態が悪くなる。どうもついていない。それだけにかみさんの元気さがうらやましくなる。ここすうじつは、またまた留守番。おさんどんは自分でやらねばならない。